最強のレトリック

突然ですが、レトリックって種類多すぎませんか。

反復法、擬人法、倒置法、比喩、オノマトペ、体言止め、省略法、対句法、漸層法、、、

ざっくり、レトリックは文章を彩る表現技法みたいなものという認識でいいでしょう。

文豪と呼ばれ、その作品にて実に多彩なレトリックを用いて豊かな文章を生み出す名だたる作家たちは当然のこと、誰かもわからないコメントまでもあっと驚く文章を書いてあることもしばしば。

斎藤一の牙突のように一つの技を極限まで磨くことはレトリックにおいては一見望ましくありません。なぜなら、表現が単一では初めのインパクトは絶大でも、長くなればなるほど面白みがなくなってしまうからです。

ですから、技のデパートたる舞の海秀平、多彩な変化球を武器にするダルビッシュ有、ゴムゴムの〇〇という具合で多彩な技を使うルフィなどのような存在が強いわけです。

しかし、それでは斎藤一の生き方は否定されてしまいます。しかも、やたらめったら色々な表現技法を使うと却って読みにくい文章が出来上がることもあるでしょう。そこで、タイトルにもある通り個人的に最強のレトリックを紹介します。

それは比喩です。

例えることですね。例えば、思考の整理が追いつかないまま、くどくどと話してしまったとしましょう。そこで、一発決め球のようにキレのある例えを鋭いコースに放り込むことによって、相手からの納得が得られることでしょう。

会話中はむしろうまい例えを探しながら話すほどで良いではありませんか。そこで誤魔化しながらきちんと考えを整理させれば良いのです。

おいおい、さっき単一のレトリックはいただけないと言ったばかりではないかと思うかもしれませんが、比喩は別格です。牙突どころの騒ぎではないでしょう。アンパンチレベルです。アンパンチほどの破壊力があれば、一発で事足ります。

余談ですが、私は頭の回転がかなり遅いです。そんな私のような人にとってどんどん言葉を出すことは結構なストレスになります。そこでなんとかして自分の考える時間を創り出すことはできないか、せめて相手がボールを持っている時間を長くすれば余裕が生まれるのに、と考えた結果、比喩を使うことが良いのではないかと行き着いたのです。比喩は時間だけでなく選択肢を与えてくれます。相手の解釈に委ね、相手の読みや自分の表現が大ズレしたら後から修正すれば良い。もちろん比喩ばかりに頼っていては効果は弱まります。ですから、ここぞという場面で使えば良いわけです。日常会話であれば、多少言い回しが似たり寄ったりでも気にすることは少ないでしょう。

ということで、ぜひ比喩を使っていきましょう。


最後に、文学者でも研究者でもなんでもない素人の稚拙な文章をお読みくださりありがとうございました。もちろん、他のレトリックを見下して不要だと考えているわけでは到底ございません。しかし、最近になり村上春樹や欧米の著名な演説や発言を多く目にすることがあり、比喩の力は偉大だなと思い筆を取った次第であります。ことばというものは往々にして私たちを苦しめるばかりではなく、生活に彩りを与えてくれるものだと信じております。改めまして最後までお読みいただきありがとうございました。

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