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"生きやすさ"の探求は続く


たぶん、わたしはHSPだ。

HSP(=Highly Sensitive Person)とは、"視覚や聴覚などの感覚が敏感で、非常に感受性が豊かといった特徴を生得的に持っている人"のことを指す。病気とは違って生まれもったひとつの気質を言い表したものだ。
わたしよりも遅く生まれたくらい最近の概念で、5人に1人はHSPだとも言われているらしい。

ものごとを深く考える、刺激を受けやすい、感情の面で反応しやすく共感しやすい、かすかな刺激に対する感受性が強いといった特徴がある。

1年ほど前にSNSで知り、自分に当てはまりすぎて驚いたのを覚えている。診断テストを受けたり本を読んでみたりもしたのだけれど、知れば知るほど腑に落ちることばかりだった。



HSPの人は幼いときから不穏な空気を感じとり、どうにかしようと苦心してきた人が多いらしい。
母が幼少期のわたしについて、あまり手がかからず弟の面倒をよく見てくれた、と言っていたのを思い出した。反抗期がなかったのも頷ける。

一番納得したのはドラマや映画を見られないこと。
それぞれの登場人物に強く感情移入してしまうので、例えフィクションでも強いダメージを受けてしまう。心を鷲掴みにされ無理やり揺り動かされるような感覚があって、余韻も長く引きずるので苦手だ。
みんな気軽に親しんでいるのになぜわたしは、とずっと疑問だった。

それに、時折東京から逃げ出したい衝動に駆られる、それがなぜなのかも何となくわかった。
単に人が多いというだけでなく、いろんな人のいろんな感情が渦巻き、関係あろうがなかろうが否応なしに巻き込まれてしまうからだ。些細な事で人を責めたり声を荒げたりする人、避ける気がさらさらないかのように突進してくる人、心配になるくらい生気のない顔をしている人、、、他にも、満員電車の空気や歩きたばこの匂いや夜もまばゆい店々なんかも含め、ありとあらゆる人や物がごちゃ混ぜになって存在していて、そういう一つ一つを無意識に全身で感じ取っては消耗してしまう。
賑やかで何でもあって常に人でごった返す東京の街は、わたしには刺激が強すぎるのかもしれないと思う。

そして、どんなに親密な人とも長時間一緒にいられない、この長年の気掛かりも関係しているようだった。
大切で気の許せる人なのに、一緒に過ごす時間が長くなればなるほど気疲れしてしまう。それをずっと切なく感じていた。1人になりたい、頭の片隅でそう思ってしまうことに罪悪感もあった。
でも、むしろ大切だからこそ際限なく気を遣ってしまうのだし、わたしにとっては相手がどんな人であろうと、人と一緒にいることそれ自体が刺激になり得るのだと知った。


"気にしすぎない方がいい"
"そんなことで悩まなくていい"
"人は人、わたしはわたし"
その通り、それはちゃんと分かっている。

けれど、決して短くはない人生を生きてきて、自分の性格やそれに基づく思考はある程度確立されてしまった。それを根本的に覆すのがどれほど困難なことなのかは、十分体感してきたつもりだ。

少なくとも、わたしには簡単なことではなかった。



この1年ほどで急に世界が変わってしまった。看護師として働くわたしたちは、ある日を境に突然"最前線で戦う人たち"とクローズアップされるようになった。
必要とされる仕事なのだなと実感すると同時に、医療者としての責任が想像以上に重くのしかかってきた。その上、制約だらけの生活でストレスは吐いても吐いても溜まっていき、一時期メンタルが底の底まで落ちてしまった。

苦手な場所や相手と会うときには、一時的に感覚を抑えることも必要です。でも、いいものをめいっぱい感じるのも、嫌なものや痛いものを感じるのも、同じ「感覚」。
感覚を麻痺させるということは、「嫌なものや痛いものは感じにくくなるけれど、同時に、生きていく上での喜びやときめきも感じづらくなってしまう」ことなのです。

ー武田友紀/「気がつきすぎて疲れる」が驚くほどなくなる「繊細さん」の本

家に閉じこもり読書に明け暮れる日々で出会った一節に、過酷な状況で生き抜くために心のシャッターを閉め続けたまま過ごしていたと気付かされた。
感覚を麻痺させることなどなく心身ともに落ち着いて過ごすためには、どんな場所に身を置くのかについても突き詰める必要があるのかもしれない、と就職してから初めて考えた。

「自分が楽に生きられる場所を求めたからといって、後ろめたく思う必要はありませんよ。サボテンは水の中に生える必要はないし、蓮の花は空中では咲かない。シロクマがハワイより北極で生きるほうを選んだからといって、誰がシロクマを責めますか」

ー梨木香歩/西の魔女が死んだ



HSPかもと意識し始めてから、"わたしにはこういうところがあるから"と自覚があるだけ苦しさが和らいだように感じている。分かっていれば何かしら対処の仕様があるし、どうしてわたしはと落ち込みすぎずに済む。

自分自身について、諦めず、向き合い、詳らかにしようとし続けることで、実感の伴う新しい発見と出会い、ふっと力が抜けた瞬間があった。これからも自分のために、そんな気付きを積み重ねていきたいと思っている。


そして最近は、この性格を"治す"より"活かす"方法があるはずだと信じ、模索している。

感受性の強さからくる苦悩と孤独にはほとんど耐えがたいくらいにきつい側面がある。それでも生きてさえいれば人生はよどみなくすすんでいき、きっとそれはさほど悪いことではないに違いない。もしも感じやすくても、それをうまく生かしておもしろおかしく生きていくのは不可能ではない。

ーよしもとばなな/キッチン あとがき

ずっと、どうしてわたしはこんなに弱くて脆いのだろうかという漠然としたやるせなさを抱えていた。今思えばこれは、HSPの気質を弱みだと捉え、受け入れられなかった結果なのだと思う。
けれどこの気質は、上手に付き合えば"あなたでよかった"と言ってもらえる瞬間を生み出すひとつの要素にだってなり得るのだ。
「うまく言えないことを汲み取って言葉にしてくれたり、整理して気づかせてくれる能力を持っているんだよ」
幾度となく反芻してきたこの友人の言葉に、どれほど救われただろうか。

HSPという概念と出会いそれを知っていく中で、この気質を否定せず活かして生きていくことが、わたしにとって一番自然で健やかなことだと考えられるようになった。



振り返れば、20代前半は気合いと体力で乗り切ったようなものだったと思う。限界がひたひたと押し寄せてきては生活や思考を見つめなおしていたけれど、それを繰り返すうちにずいぶんと価値観は変わっていった。

これからは少しずつ、心地よい居場所での生き方、楽に呼吸ができる無理のない生き方を求めていきたいと思っている。
わたしが一番しあわせを感じられる在り方のまま、周囲の人にもしあわせをそっと手渡していけるようになれたらいい。


わたしの生きやすさの探求は、日々の発見と変わりゆく価値観に影響されながら、これから先もゆるやかに続いていく。



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