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Hey!Say!JUMPというおとぎ話。

はじめに
Fab!-Music speaks-が発売されたとき、私はもういっぱいいっぱいだった。
今年新社会人として、上京をしたものの新型コロナが猛威を振るい、
ただでさえなれない仕事に、新型コロナで思うように遊べない。
大好きな実家にも帰れない。親友にも会えない…。
そのうえ、生きがいのイベントもすべて中止。
積みあがった予算達成のためにひたすら仕事。
JUMPどころじゃないと思いつつでも、アルバムだけは妥協できず、
仕事を切り上げて新宿タワレコに走った。
すぐにスマホに入れ聞いた。確信した。
Hey!Say!JUMPも、いや彼らこそおとぎ話(童話)なんだ…。

そもそもおとぎ話ってなに
そもそも、正確にいうなら童話≒おとぎ話だけ、
今回のテーマは童話=おとぎ話でも問題ないと仮定する。
(購入者が大人もいること、曲が大人向けなものも多いし!)
そもそもおとぎ話とはなにか。
もちろん、こどもに聞かせるための昔からある空想的な物語という意味もあるのだが、
もう一つの意味として「徹夜でする、退屈をなぐさめる話」という意味もある。
「御伽」という言葉には、(高貴な人の)傍につきそって話し相手となり
退屈をなぐさめること*という意味がある。
(*学研 現代新国語辞典参照)
「御伽」+「話」でおとぎ話。
意図してか、意図せずか。このアルバムは私を退屈なニューノーマルな世界から、連れ出してくれた。

通勤電車は、物語へ。
前回のアルバムを引っ提げてのツアー、PARADEのオープニング曲の
「Zombi Step」で「次の招待状も送るよ すぐ会えるよ」という歌詞、
最後の曲「パレードは終わらない」が、毎回すごく好きだったのだけど、
それが伏線とも思えるような鮮やかな回収だった。
PARADEは終わらなかった。さらにレベルアップしてファンを全力で
楽しませに来ていた。子供たちへ語り掛けるように。
「ありふれた世界なら君はいない。誰もがみんな意味を抱えている」
こんな時代だから、こそ突き刺さるメッセージを持った曲を皮切りに
様々な物語が次々に展開されていく。
どれも、これまでのJUMPのようであって、そうではない。
ニューノーマルなJUMP。
これまでなら「JUMPっぽい」とか「んー、、、こういう曲まえもあったな」
というものがあったのだが、今回は何かがちがった。
心地よい違和感。
何か起こるんじゃないかという高揚感。
10周年を超えて、「自分たちがどのグループよりも売れたい!」
とかではなく、「自分たちにできること、自分たちにしか、このグループでしかできないことはなにか」
が見えてくるようなアルバムだと思った。
バチバチにライバル意識を持つのも私は大好きだ。
高みを目指していくのも大好き。
ついてこい!って感じもめっちゃすき。
だけど、今回のアルバムはそうではなくて
「いっしょに、楽しい世界をみてみない?暗闇からでてみない?」
と言われているようだった。
毎日、憂鬱な、息の詰まる電車が、毎日が、
急に特別な時間に変わった。JUMPが迎えに来てくれた。

Hey!Say!JUMPという「おとぎ話」
世の中、生きるのって難しい。苦しい。目まぐるしい。
年々、私の世界は退屈になる、
夢なんて、かなわないことはざらにあるし、
王子様探しはAIをもってしても難しい。
キラキラしたものやことには、お金がかかるし、
おなかがすいても、あったかいご飯は出てこない。
寝るときに「明日もたのしみだな」なんて、もう数年思ってない。
けど、発売日から少しだけ、私は起きるのが楽しみだ。
明日は、この曲を聴こう。
お昼のコーヒーと、読書と、JUMPのこの曲。
春になったら、大好きなJUMPファンの友達とツアーに行こう。
今回のセトリは?今回の演出は?
そんなドキドキ、わくわくが退屈をすこし、しのいでくれる。

「すこし、僕たちとお話楽しまない?今回のお話(音楽)はね…」
彼らこそ、「おとぎ話」なのかもしれない。

はやく、ツアーに連れ出して。