アラフォー介護職ですがなにか?
私の自己紹介をさせていただきます。
表題にある通り、アラフォー介護職です(笑)
自分の簡単な生い立ちから自己紹介をさせていただきたいと思います。
1.高校時代
学生時代の私は今風の言い方で言うといわゆる「コミュ障」でした。
人と関わるのがとても嫌いだったし、学校の授業で先生に当てられるだけで
心臓が口から飛び出そうになるくらい緊張をしました。
高校時代は、県内の某有名校に入学しましたが、その学校でも学力が低い 生徒が入学するコースだったのでヤンキーが沢山いました。
入学式後1週間はさながらクローズ(漫画や映画にもなっている不良が 活躍?する話)のような出来事が毎日起きました。
いたる所でケンカが起きて、ガラスが割れた音がしたかと思うと血だらけで歩いている生徒がいたり、他校の10人を相手に喧嘩をして勝利をする者 など、コミュ障の私には毎日が恐怖の連続でした。
次第にそんなヤンキーたちが徒党を組み、弱い者をパシリにし始めます。
そして更にいじめへと発展していきます。
恐喝や暴力は当たり前。
今の時代であれば間違いなくニュースになっていたであろう出来事が毎日 起きていました。
私自身は同じ中学校から高校に入った同級生の中にヤンキーがいたので
「〇〇中出身」ということでいじめやパシリになることはありませんでしたが、メインパシリが学校を休んだ時の補欠要因でサブパシリとなることが 何度かありましたが、暴力や恐喝などのいじめにあう事はありません でした。(パシリ自体もいじめなんでしょうけど…)
高校時代は毎日脅えながら生活をしていました。
今はあまり思い出したくないし、思い出せない高校時代です。
その一方家では反抗期が酷く、親を悩ませました。
家中の壁に穴が開き(私が叩いて貫通させました)、親には暴力を振るう
最低な子どもでした。
今思うと、学校でのストレスを家で暴れることで発散させていたのかもしれません。
そんな私も福祉の専門学校に通うことになります。
何故福祉の専門学校へ行こうと思ったかは、ぶっちゃけて言うと…
働きたくなかった。
そして女子が沢山いると思った!
これにつきます。
はい、思春期ですから…すいません。
2.専門学校時代
専門学校は今思い返しても楽しい思い出しかなかったです。
いじめや喧嘩がないスクールライフはこんなにも素晴らしいものかと思いました。
高校時代の毎日がクローズしか経験をしたことがない私にとって学校が こんなに居心地がいい場所だとは思いませんでした。
更に念願叶い?人生初の彼女も出来ました(笑)
学校帰りは毎日街中で同級生と遊び、幸せの連続でした。
しかし、居心地が良いばかりではなくて、専門学校時代には自分の介護人生の根本を決める出来事が起きます。
3.福祉を変える!!
専門学校時代には定期的にボランティアを行いました。
仲の良かった同級生たちと月1回を目安に障がい者施設、児童施設、高齢者施設などにボランティアに行きました。
そこである障がい者施設へボランティアに行った時のことでした。
うろ覚えなのですが、筋ジストロフィーの方がマクドナルドのハンバーガーが食べたいとの事で、車いすを押して施設の近くにあるマクドナルドへ足を運びました。
そこにいたのは暴走族の集団で、爆音を鳴らして外でハンバーガーをほおばっています。
筋ジストロフィーの方が店内に入ると、暴走族の一部が店内に入ってきて こちらを見てゲラゲラと指をさして笑っています。
おそらくは、筋ジストロフィーの方の仕草などを見て馬鹿にしているの だろうと思いました。
もうやり場のない怒りにどうする事も出来ず、虚無感と共にボランティアを終えて帰ってきました。
次の日、学校で今は亡き担任の先生に事の経緯を全て話しました。
「その方々だって今では障がいを受容されているかもしれないが、好きで そのように生まれてきたかった訳ではない。」
「なのに何故あんなに馬鹿にされなくてはいけないんだ」
「こんな世の中、間違っている」
そこでこんなことを先生に言いました。
「自分が福祉を変えてやりますよ!」
4.病院勤務時代
若気の至りで先生に放った一言。
そんな勢いのままスムーズに就職…
とはいきませんでした。
私が卒業する年は、ちょうど介護保険法が施行して新しい施設が沢山出来て
いました。
それ以上に、今では考えられませんが福祉を志す若者も沢山いて、企業側が人材を「選べる」時代でした。
どれくら落ちたか分かりません。
おそらく書類選考を合わせると40社近く落ちたと思います。
就職部の先生からは、最後の砦とも言うべき病院を紹介されました。
「ここに落ちたらあとは入る所ないよ」
最後通告ともとれる言葉が頭の中で反芻し、面接は記憶がなくなり何を話していたか全く覚えていませんが、なんとか内定をいただき、この病院で 6年間を過ごすことになります。
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いざ勤務をすると、高校時代のクローズにはなかった微妙な人間関係が存在しました。
福祉業界に居座るいわゆるお局様や、知識が全くないのにご意見番もどきな年長者たち。
また、学校で学んだ介護技術がそのまま通用したことなどはあまりなかったように思います。
この頃の私は、専門学校時代の熱さを前面に出し、悪気なく良い事も悪い事も意見をして突っ走っていました。
そのため、今でも付き合いのある仲間も沢山出来ましたが、それ以上に
毛嫌いもされたような気がします。
休憩室に私以外のスタッフが誰もいなくなり、一人ぼっちにされたり、陰口をたたかれることも多かったです。
その後、介護支援専門員の取得をきっかけに退職して現在に至ります。
5.現在
現在はグループホームと言う居住系サービスの責任者をしています。
福祉業界にどっぷりはまり、介護福祉士や社会福祉士、介護支援専門員等の資格の他に、厚生労働省が定める認知症研修の講師も務めています。
学生時代はクラスで話すことすら苦手だった私が、今では多い時で100人以上を前に話をする機会をいただくこともあり、本当に不思議な気もしますが、私が言えることは「人は変われる」ということです。
よく、職場のスタッフに昔は人前で話すのが苦手だったと言うと、
「信じられない」と言われますが、本当なんです。
今では学生時代のような「熱さ」はありませんが、ある程度冷静に分析して物事をとらえることが出来るようになったと思っています。
また、「コミュ障」だった私が、チームを円滑にするために大切なことの一つとして「対話」を上げています。
これもまた不思議なものです。
以上、長くなりましたがこれが私の自己紹介です。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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