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東日本大震災から10年に想ふ

東日本大震災から10年が経ちました。

今日はあれから10年の日。
あの時の出来事を振り返りながら、今の心境について話をさせていただきます。


あの時たくさんの方が亡くなりました。
私の家族や友人、知人はありがたいことに誰も亡くなったり傷つけられた人はいませんでした。

当時は現在所属する社会福祉法人本部の高齢者施設で勤務をしていました。

午前9時くらいから近くの総合病院で入居される方の受診があったため車で出かけていました。

予約は取っていましたが、時間がかかり帰ってきたのは確か13時30分頃だったと思います。

記録を入力して上司へ通院結果を報告を行い、いざ昼食を食べようと思ったらその時は訪れました。

あまりの出来事に詳しい事は覚えていませんが、今までの人生で経験したことのないような大きな揺れを体験しました。立っていることなどできません。

その瞬間からすべてのライフラインが途絶えました。ライフラインが全て回復するまでに3月いっぱいかかりました。(しかし4月上旬にまた大きな地震があり、またライフラインが使用できなくなりました。あの時の絶望感は最初の時よりもひどかったです)


3月中旬なのに雪がちらつき、夜空を見上げると星が悔しいほど綺麗だったのは今でも忘れません。

夜中に懐中電灯照らしながら、おむつ交換をしていました。入居者の方と一緒に寝ながらラジオを聴いていると、津波で壊滅的な被害があり近くの海で死体が300体ほど浮いているなどの情報が入ってきました。(この情報は後に誤報だったということが判明したそうです)

テレビが見れないので想像の中で、施設の外はとんでもないことになっているということがわかりました。

3月中はまともに食事が出来ませんでした。3月下旬に地域の方からいただいた卵や大根などで炊き出しをして、親子丼を食べて号泣したのは一生忘れることがないでしょう。

高齢者施設なので、シーツが汚れたり一般家庭よりたくさん洗濯物が出るので、近くの川に洗濯をしに行きました。昔話のような出来事をまさか体験するとは思いませんでした。

今回の新型コロナウィルスの時もそうですが、こういった非常事態の時は普段何気なく接している人でも本性がばれてしまうものです。

あの時に感じたのは確かに津波や地震と言うものは恐ろしいものだと思いますが、一番恐ろしいのは人間だと思いました。

一時的に職場から家族の安否を確かめに避難所に行ったのですが、数少ない支援物資をもらうため人と人とが争い合う光景を目にしました。

また、津波の被害をひと目見ようと他県から野次馬が訪れました。

さらにひどいのは、亡くなった方の遺体から金品を盗むものや、火事場泥棒的な人の皮を被った悪魔も多数いました。

あの時を境に感じたこと。
それは

「今ある幸せが当たり前のものではないと言うこと」

そしてこう誓いました。

「亡くなった方の分まで精一杯生き抜こう」


私はライフラインが寸断されただけで、その後は普通の生活を送らせていただいてますが、あの時に家族を失った方々の心境を思うと言葉になりません。

あれから10年が経ちました。

あの時誓ったことは今でも忘れません。

だけど10年が経過していく中で生きていくと正直辛いこともたくさんあります。

私自身、様々な置かれている立場はこの10年間で変化しました。

それでも生きていかなければなりません。

毎日少しずつ、一歩一歩進んでいこうと思います。

今日は少し早めに起きてちょっとだけお出かけをしました。

とても素敵な夜明けです。
今日もこれからも精一杯生きていこうと思います。

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