はる。

物書きの端くれ。インテリアコーディネーターやっていた人。文章で食っていける人になりたい。

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最近の記事

[ネタバレ]哀愁しんでれらを見た話。

アマプラで哀愁しんでれらを観ました。最近は公開日から程なくして配信されるので、公開される映画が限られる田舎民としては非常にありがたい限りです。 思いっきりネタバレをしておりますので、まだ観ていない方はぜひご覧になってください。好き嫌いが分かれるなぁと思いましたが、わたしはすきな部類の映画でした。この渦中にいると、色々な疑念もすべて当然のように思われてしまうのだな、と怖くもなりました。人はこうして狂っていくのかもしないなぁと考えさせられる映画です。 哀愁しんでれらは公開が決ま

    • 退職したいと言ったのは自分なのにもやもやしている話。

      以前メンタルが死にかけたけど仕事はやめなかった話。を書きましたが、ついに退職の意向を上長にお伝えしました。仕事を辞めない決意をしたわたしの話は↓から読めます。 元々、わたしはハウスメーカーでインテリアコーディネーターをしていた。今考えてみるととんでもない低賃金で、いいように使われていたのだなとわかるのだけれども、そのときは若かったし(同級生の新卒と同期)、再就職先が祖父の友達の紹介ということもあって、頑張ろうと思えていたのだと思う。最低賃金の契約社員、日給制、社会保険は一応

      • 筋肉が痙攣していた頃の話。

        丁度今月で二年が経過したので、そろそろ書いても大丈夫かなと思い、この記事を書いています。 わたしは医師ではなく、ただの体調不良持ちです。実際と異なる描写などがあるかと思いますが、大目に見ていただけると幸いです。 タイトルを筋肉が痙攣していた頃の話、としましたが、今もたまに痙攣します。この痙攣というのは医学用語でいうと線維束収縮と言う、筋肉がぴくぴくと動く現象です。ALSや多発性硬化症といった難病に多く見られるため、当時のわたしは絶望の真っただ中でした。インターネットで調べれば

        • 鎌倉七福神巡りとクルミっ子パフェの話。

          毎日会社に行きたくないなと思いながら生きているわたしにとって、古都というのはとにかく憧れの場所である。というか、鎌倉の話だが京都にとにかく行きたい。数日に1回は少なくとも京都に行きたい、京都に住みたいと思っている。それはたぶん今わたしを苛んでいるこの会社と言う地獄から遠く離れた場所であり、神社仏閣がたくさんあっていろんなところから護られていそうというイメージがあるからかもしれない。 けれどコロナ禍の今、京都なんて行けない(年明けに厄払い行くって決めてるけど)。コロナは怖いけ

        [ネタバレ]哀愁しんでれらを見た話。

          詩のホテルと京都旅の話。

          2019年年末、友人のTwitterで”勢い余ってホテルを予約した”というツイートを見た。相方を探す、という文言にちょっと行きたいなぁと思いながらいいね!をしたら、その数分後にLINEが飛んで来た。そんなわけで年が明けた1月の半ば、数年ぶりに京都旅に行くことになった。 旅行に誘われた日、実のところ別の友人Aと銀座シックスのアフタヌーンティーの予約を入れたばかりだった。予約したよ!というLINEを友人Aに飛ばしたばかりで、しかもこの子は返信が来るのが遅いときは本当に遅くて、数

          詩のホテルと京都旅の話。

          ドクターショッピングをしていた頃の話

          前回の記事でメンタルが死にかけた話をしたが、2016年の4月から半年間、わたしはドクターショッピングを繰り返していた。個人的にはセカンドオピニオンだと思っていたのだが、確定診断を持って別の医者に意見を訊きに行くのがセカンドオピニオンであるのなら、わたしのそれはドクターショッピングだった。確定診断が出ないから身体の不調の原因が知りたくていろんな病院を訪ね歩いていた。この病院なら検査をしてもらえると確信を持って訪ねたこともあった。つまりストレスからくる身体の不調が大きな病気なので

          ドクターショッピングをしていた頃の話

          メンタルが死にかけたけど仕事は辞めなかった話。

           2019年9月、遂にメンタルが限界を迎えた。社会人になって10年目、この会社に入って8年。遂にやめるときが来たのかと思ったが、5カ月経った今もわたしはまだ辞める踏ん切りをつけていない。というのも、ストレスが祟って体調が不安定なため、辞めてしまうと病院に通う収入がないし、社会保険も切れてしまう。嫌になったから辞めるわ!という健全な勇気がなかったし、無職になるのが怖かった。 そもそもなぜこんなことになったのか、と言うと、わたしは子供の頃からともかく、保育園や学校という社会が大

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