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人の役に立つ喜びを感じながら、字を書き続ける。

現在は人材会社に勤めながら書道アーティストとしても活動しているJunpei Hagiharaさん。仕事を楽しみながら挑戦する一方で、パリで書道の展示をしたりと、アーティストとしても積極的に活動をされています。書道との出会い、大学、就職とライフステージの変化と共に、どう向き合って行ったのか、お話をお伺いしました。

幼少期から身近にあった書道という存在

幼少期から字を書くことがお好きだったんですか?

父親と母親が書道の段位を持っていたんです。それに影響を受け、両親の書く字をずっと真似して書いていました。今でこそ少なくなってきましたが、昔は結構年賀状とか送りあってたじゃないですか。そこでも綺麗な字を書くのを意識してみたり。親の字を参考にしながらなんとか綺麗に書きたいって一心でやってました。書道に関しては、教えてくれるというより、日常会話の中でコミュニケーションとしてたまに言ってくれるみたいな感じでした。僕が変な字を書いたりすると「ちゃうやん、こういう書き方あるやん」と優しく指摘してくれるような感じ。子供にも分かるようにちゃんと教えてくれましたね。ガッツリ字を教えるとかはありませんでしたが、教育に関してはすごく熱心な親だったので、それは社会人になった今でも感謝しています。

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©AKANE KIYOHARA

小学校、中学校はどんな風に過ごされてましたか?

小中ずっと剣道をやってました。全国に行くのが当たり前っていうぐらい強い道場に入っていて、毎日練習してましたね。剣道を始めたきっかけは、弟の入学式に父親と一緒に行った時、今の僕の先輩にあたる方が校門前でビラ配りをしてて、それを父がもらったんです。僕は幼稚園からずっとサッカーをやってたんですけど、通ってたサッカークラブの練習場所がちょうどなくなっちゃった時期で。そのタイミングで、剣道やってみたらどうやって父に言われて。最初は全く乗り気じゃなかったんですけど、続けていくうちにだんだんハマっていき、続けることになりました。

剣道のどこにハマっていったんでしょうか?

一番は自分の努力したことがそのまま反映されやすいとこですかね。結果への結び付きが可視化しやすく、実感しやすい。それこそ、他の人が自分より強くて、毎日1000回素振りしてるんだったら、自分は毎日1001回以上素振りするとか。毎日素振りをやっていると、当たり前ですけど、筋力がついてくる。剣道の試合動画を見て、イメージトレーニングしながら、日々の練習にあたると成長速度も加速していく。

また、サッカーやバスケットのように、ボールをゴールに入れて点を取るのではなく『面』『胴』『小手』『突き』と4種類の技があるので、自分の得意技を見つけるのが楽しかったです。僕は一度ハマってしまうとそれ以外見れなくなってしまう性格なんですよ。でも、そのおかげで大阪代表として団体戦で全国ベスト16までいくことが出来ました。本当に貴重な経験をさせていただいたと今でも思っています。

誰かを励ますことの出来る人間になりたいと思った

その後なぜ書道をやろうと思ったのですか?

実は僕、高校受験と大学受験、どっちも第一志望落ちちゃってて。今でも覚えてるんですけど、入学時にこの4年間で絶対に良い意味で目立って卒業してやろうと思ったんですよ。ただ、大学1年の時は勉強の他にアルバイトやサークルなどもあって、なかなか生活が落ち着かなくて。大学2年の終わりぐらいにやっと生活にも慣れ始めて他に何かやってみようかなと。その時僕の周りで書道やってる人が全くいなくて。そういえば昔から字と触れ合う事が多かったなっていうのを思い出し、一回字で行こう、どうなるかわからないけど、とりあえずやってみよう、って感じでまた書道を始めました。

僕、小5からEXILEの大ファンでずっと応援してるんですけど、今はもう脱退してしまった当時のボーカルの方がすごく好きなんですよ。その方は我流で書道をやっていて、個展なども開いてたんですが、剣道の試合前や何かしらゲン担ぎたしたい時にその方の言葉を見ると、ものすごく励まされるんです。だから自分もそのボーカルの方のように、言葉や文字で人を励ましたり、元気づけることの出来る人間になりたいと思いました。

まず最初にどんな活動をされたんですか?

『あなたの好きな言葉書きますキャンペーン』みたいなことやってました。当時まだガラケー世代でmixiとかがめちゃくちゃ流行ってたんですよ。あなたの好きな言葉を僕が書いて携帯の待ち受けサイズに加工したものを無料で送ります、みたいな。その時お金は一切貰ってなかったです。それが有難いことにウケて、だんだん拡散されたりとかして。Twitterもその時サービスが普及し始めたぐらいだったので、リツイートしてもらったりして、徐々に広がっていきました。

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ソーシャルメディアでどんどん広がっていった?

そうですね。自信がなかったのでそれ以上の活動は出来ずにいました。その後、当時色々相談してた先輩に「リアルで展示会とかやればいいじゃん、需要あるよ」と背中を押していただいて、だんだん「こけたらこけたでいいか」と思えるようになり(笑)最終的に京都のカフェで初の展示会を開催しました。

初の展示会はどうでしたか?

僕の字で感動する人がいるのかなって全く自信がなかったんですが、お客さんが凄いねって言ってくれて。Twitterとかで貰えるコメントも有難いんですが、リアルでお会いした方に面と向かって凄いですねって言われるとこんなに嬉しいんだと感動しました。大学の授業終わりに先輩が足を運んでくださったり、友達も来てくれたりして。

大学4年生の時にも展示会をされたんですよね?

大学4年の時に大阪でART EXPOというイベントを主催しました。それまで全部一人で活動していたので、これを機に、同じ志を持ってる人と一緒に何かしたいと思い、同世代の違うジャンルで活躍してる人たちをごちゃまぜに集めました。お祭り的な感じでやろうと思って。フォトグラファー、スタイリスト、ヘアメイク、日本画を描く人など、幅広く集めました。いいなと思った人は直接会いに行って口説いたり。パンフレットやホームページも力入れて作って。どうせやるならとことんやりきって終わるぞみたいな(笑)

素晴らしい行動力ですね。

最初はみんなに「展示会とかどうですか?」って声をかけても、自信がない時の僕のドッペルゲンガーみたいな「いやもう僕なんて・・」って返事が多かったんです。だったら、僕が場所も用意するし、時には出来ないこともあるけど、代表として一番頑張って動くので、一緒に展示会しませんか?って聞いたら「一回やってみます」って答えてくれて。とにかく行動に移しました。その結果、みんなが試行錯誤しながら展示会のために作品を作ったりと動き出してくれて。みんなでやることの醍醐味を感じましたね。

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2018年に開催した合同展示会『累(かさね)』

就職に迷いはなかった

大学卒業後はどのような進路に進まれたんですか?

人材業界の人材紹介会社に就職しました。新卒でずっと働いています。就職した理由としては、人の人生に大きく影響を与えたいって気持ちを一番具現化できる業界だと思ったからです。

転職する立場の方をご支援する時に、その方の生い立ちだったり、価値観だったりを踏まえた上でサポートを行うことになる。その方の本質的なご支援をすることになるんじゃないかなって思ったんです。自分のヒアリング力や提案力が最大限に求められる。こういう業界って企業を担当するアドバイザーと転職希望者を担当するアドバイザーが別々の形で行う分業制が一般的なんですが、今の会社は両方担当することが出来るんですよ。つまり感謝が2倍になって返ってくるんですね。企業からも求職者の方からも感謝される立場の人間になれる。もちろんその分一人で全業務行うので、負荷もかかるし、大変なんですが、そういう大変な状況よりも、その分返ってくるやりがいがあるなと思って、今の会社に就職を決めましたね。

書道については、隙間時間や土日祝に書いて発信するやり方でいこうと思いました。捨てるとかでは一切なく、むしろやり続けるっていう前提で。アート活動一本で食べていくのは正直難しいだろうなって気持ちは確かにありましたが、それ以上に就職してやりたいこともあったので、じゃあそっちを優先してっていう。結構自然な選択でしたね。自分の中でもそこにあまり葛藤はなかったです。

アートは国も言葉も関係ない

パリでも作品を展示されたのですね。

ルーブル美術館の地下にカルーゼル・デュ・ルーヴルっていう商業施設があるんですよ。その中に大きなホールがあるんです。SMAPの香取慎吾さんが展示したり、パリコレとかにも使われている場所です。そこで毎年秋頃に『サロン・アート・ショッピング・パリ(Salon Art Shopping Paris)』っていうアートフェアが開催されてて、そのアートフェアをサポートしている日本の一般社団法人のスカウト担当者から僕に連絡が来たんです。最初絶対騙されてるって思いました。

でも、いざ蓋開けてみたら費用は全て自費だったんです。あなたをこういうイベントに招待するけどお金は自分で出してね、もし来てくれるんだったらパリで作品を売ってペイすることも出来ますよ、みたいな感じ(笑)でも、せっかくのチャンスだしこれはもうやるしかないなと。通訳の方がいてアテンドしてくださるんですが、僕は自分から積極的に話しかけに行こうと思いました。ガツガツ感のない自然な営業をお客様にしようと。じゃないと多分興味持ってもらえないなって。久々に英語を勉強し直したり、フランス語も大学1年生の時に1年間だけやってたので、簡単な日常会話とかを勉強し直して、現地の人と話せるように頑張りました。やっぱり自分で営業しないと意味ないので。

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海外の反応はどうでしたか?

一言でいうとアートには言語関係ないなと思いました。言葉とか国とか関係なく、伝わるものは伝わるなって思ったのが率直な感想です。来場者に配るアーティストの紹介チラシがあって、そこには僕の生い立ちや表現活動で何を意識してるか、などが書いてあるんですが、それを見たお客さんが僕の作品を見に来て、わたしこれ好き!って直接言ってくださったりとか。言語が伝わらなきゃダメだって思ってたけど、実際は皆さんが自由に感じてくれてそれを僕に伝えてきてくれる。それがすごい嬉しかったですね。行く前にあった英語やフランス語で上手く説明しなきゃって気持ちは一切なくなりました。

日本文化を発信するフランスの有名WEBマガジン『Journal du Japon』に注目アーティストとして掲載された際の記事。https://www.journaldujapon.com/2019/10/29/une-selection-artistes-japonais-au-salon-art-shopping-au-carrousel-du-louvre/

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アーティスト一本でやっていきたいと思う時もあるんですか?

良い意味で思わないです。本当に仕事が好きなんですよ。とても充実した環境を会社に与えていただいてると思ってるので。すごく有難いことだと思います。パリの展示会のお誘いがあった時、一生に一度あるかないかの機会だから、どうしても行きたいんですって会社に言ったら、それは行った方がいいって背中を押してくれて。そういう面でも今の会社にはとても感謝しているんです。あと今の会社で達成したいミッションがまだまだ沢山あるんですよね。その他にも、隙間時間で作った作品がこんなに凄いの!?っていうびっくりをお客さんからもらえるのも結構嬉しいんですよ。そういう僕なりのやり方で自分にしか発信できないことを今はやっていこうと思ってます。

間違っていても自分なりに発信し続けることが大事

今後の展開が楽しみです。

ありがとうございます。現状維持って後退だと僕は思うんです。表現活動されてる方と話すと、日本人って自分で自分に蓋をしてる人がめっちゃ多いよねって話題によくなるんです。有名人のインタビューとか読んでると、自分なりに発信をし続けて、それが間違いだろうが正解だろうが関係なく、常に外に対して自分を発信してきた過去を持っている人が多いなって個人的に感じます。まずは発信・挑戦を永遠にし続けるのが大事。特にこの時代、いつ何が起きるかは正直分からない。自分一人の力で生きていけるような能力を身に着けておかないと、アーティストだろうがビジネスパーソンだろうが、多分やばいなと思ってます。

僕の好きな言葉で、株式会社IHI創業者の『問題は能力の限界ではなく、執念の欠如である』という言葉があるんですけど、本当にその通りだなと。展示会もやろうと思えば、お金と場所と期間さえあれば、誰でも出来るのに、「いや、自分なんて」っていう人が多いなって思ってしまう。自分も昔そうだったので気持ちはわかりますが、もっと思い切ってやればいいのにって思います。

最後にご自身の中で一番好きな作品を教えてください。

ちょっと時間ください(笑)・・この『芯』が一番好きです。今年の2月に新宿で開催した個展で飾った作品。もし自分という人間を一文字で表すとしたら、今はこれだと思いました。自分のやりたいことに真っすぐで、ずっと周りに流されずに生きてるよねって、よく友達に言われるんです。客観的に振り返っても確かにその通りだなと。その時に、何かしら自分の芯みたいなものを、作品として出せないかなって考えたんですよ。普通に書いたら面白くないので、真ん中をライターで焼いてみたんです。そのままずっと焼いてたら、同心円状に焦げが広がってきた。当たり前なんですけど、どれだけ水でこすろうが、爪でこすろうが、その焦げはもう絶対に消えない。自分が持ってる芯は、もうこの焦げぐらい、どんな状況でも消えないし、持っておくぞと。これに関しては誰にも渡したくないですね。もう二度と同じものは作れないので。墓場まで持っていきたい大事な作品です。

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Junpei Hagihara
人材会社に勤めながら書道活動を行う。パリのルーヴルで開催された世界最大級のアートフェア『Salon Art Shopping』に書道アーティストとして招待出展されるなど、日々活躍の場を広げている。書道をベースに様々なアート作品を作成し、SNSで積極的に発信している。
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