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児童養護施設/自立援助ホーム/子どもシェルターで育てられ、夜の街で生かされた社会的養護…

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児童養護施設/自立援助ホーム/子どもシェルターで育てられ、夜の街で生かされた社会的養護の子。 よく壮絶な人生だったといわれるけれど、それが私にとってのあたり前だった。 そんな私の生い立ちや日々のこと

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  • 生い立ち

最近の記事

トラウマ治療のこと

トラウマ治療をするって覚悟きめたけれど、やっぱり怖くて不安で。 大人は「あなたは悪くないよ」そういうのに なら、どうしてわたしが苦しい思いしないといけないの? そうして、生活をかけて、命をかけて治療しないといけないの? そんな風にだっておもってしまう。 そんなこと言ってもしかたないのに・・・・。 治療したいっておもえた環境なだけ私は恵まれている。 尊敬できて、寄り添ってくる医師や、周囲の人たちが私にはいるから。 でも・・・この記事を書きながらも頭がくらくらして

    • トラウマ治療

      いまある環境を失う可能性をかけてまで、トラウマの治療をすることが怖くて、ずっと逃げてきた。 でもね、もう私のこここが限界だった。 治療しても、しなくても 過去と向き合っても向き合わなくても それはみんなそれぞれでいいとおもう でもね、私は向き合うこと、治療を選んだ 向き合うことでラクになるのか、生きやすくなるのか、傷がいえるのかそんなのわからないけれど、でも挑戦したい。 今の正社員の仕事も続けられるかわからない、お金もかかる、住む場所もなくなるかもしれない、ごは

      • わたしのこころの傷

        私、これからどうやって生きていけばいいのかな 虐待で負ったこころの傷 冷たくて苦しくてグサグサ痛いよ 冬だからかな 誕生日、クリスマス、大晦日、お正月。。。 知っていますか。イベントがしんどい人がたくさんいることを 知っていますか。ドラマのようなありえない世界がこの日本に、現実にあることを しっていますか・・・・ つらくて、くるしくて、どうしたらいいかわからないほど悲しくて ずっと願っていたんだ 親から愛してもらいたい だいすきだよ。って 大切だよ。っ

        • 生い立ち②~幼少期1~

          いつも両親の喧嘩と暴力が日常だった。 4歳くらいまでは社宅に住んでいた。その頃の鮮明な記憶は唯一1つだけ。赤い蓋のクリアボックスにたくさんのおもちゃが入っている和室に布団が敷いてある。そんな部屋で毎日毎日、母が殴られている姿と父の怒鳴り声、私たち兄弟の泣き声。それだけが記憶に残っている。 薄っすらと、毎日みんなで歩いて兄を保育園へ送り迎えをしていたのもなんとなく覚えている。手をつないで、歩いているだけ。母は毎日毎日イライラして、泣きながら私たちを叩いていた。 (ずっとず

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        • 生い立ち
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        記事

          生い立ち①~両親のこと~

          私はとある田舎の普通の6人家族だった。4人兄弟(兄・私・弟1・弟2)の唯一の女の子。 父のこと 父方の家系は地主でお金も社会的ステータスもあった。そんな父は某有名企業で働いていた。お酒を飲むと、いつも母に暴力をふるっていた。私の1番古い記憶は3歳くらいの時。おもちゃがたくさんある和室に布団を並べて寝ていると、酔った父が母をボコボコに殴り、母が泣いている姿。今でも寝る前に布団の中に入るとフッと思い出す。怒鳴り声と泣き声を・・・。父と母2人セットの記憶は“暴力”。時に、包丁持

          生い立ち①~両親のこと~

          わたしのこと

          初めまして。私のページを覗いてくださりありがとうございます。都内在住20代前半のももです。よろしくお願いします。 私はとある田舎の家庭に生まれました。一般的には“ふつうの家庭”と呼ばれるそんな家に。でも実際はDVや虐待が日常的にある、殴られる生活が当たり前…そんな家でした。 そんな家庭で育ちながら児童養護施設や自立援助ホーム、子どもシェルターなどを経験しながら、夜の世界や薬物、妊娠、中絶、特別養子縁組・・・サバイバルしてきた人生を残したいと思ってnoteはじめました。

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