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2021年、新年の抱負

遅れまして、

あけましておめでとうございます!本年もよろしくお願いいたします!

皆様、こんにちわ、作編曲のharryfaokiです。2021年初の投稿となりますので、今回は今年の僕の新年の抱負を書いていきたいと思います!

富士山

↑はうちのマンション(千葉県船橋市)の上階から見える富士山

昨年はコロナに始まり、コロナで暮れました。本当に病院のお医者さん、看護師の皆様、ありがとうございます!約10年前の東日本大震災の時に、真っ先に原発で活動された故・吉田昌郎元所長が復興をテーマに福島市で来月開かれる出版社主催のシンポジウムにビデオ出演した際に、危険を顧みず行動する部下たちを「地獄の中の菩薩」と言われましたが、僕は2021年の今は病院の看護師たちが今度は地獄の中の菩薩であると思います。ただ、無理をされないように、ご自身をいたわりながら活動をしてくださいと言いたいです。そのことを、まず今年の初めに言いたいです。

今年はコロナに始まり、コロナに終わるのでしょうか?オリンピックも今年行われるらしいですが、このままではオリンピックも無理じゃないでしょうかね。パンデミックということがどういうことなのかを、わかっていないような気もします。そもそも、ウイルスが人類が勝負できる相手なのか、オリンピックをやるまえに、そっちで勝ってもらいたいと思う今日この頃です。もしかしたら、ウイルスは知的生命体の分身なのかもしれません。つい、サイキックな方に話がいってしまいますが、

2021年という響きを聞くと、なんかすごい未来まで自分は生きてきたんだなあ〜と思ってしまいます。なぜかというと、あの「2001年宇宙の旅」や「バックトゥーザフューチャー2」の未来世界は2015年、「ノストラダムスの大予言」の世界の終わりは1999年でした。というように、過去の未来の姿として、本や映画で描かれていた世界はもう過去の話になっているのですから、自分はそれより先に生きているのかあ、となるのです。

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20世紀時代に生きていた頃には、21世紀の世界は、明らかに未来世界という印象でした。そして、どこまで生きていけるのか、20世紀生きていた自分には未知数でしたし、2021年まで生きていけるとはあまり考えていませんでしたね。なぜかといえば、知り合いの方たちももう故人になっている人も、割といらっしゃいますし、あちら側とこの世界の間が少しづつ狭まっていく印象を日増しに感じられるようになってきました。

そんな中で、世界はどこに向かうのかということを思えば、明らかに幸福な世界に向かっているとも思えないようになってきました。そうなると、希望や夢にも限界が感じられてきますが、自分は音楽という無形の感情の創造物を作り出すということを考えれば、その行為やこのことこそに夢があり、希望があり喜びも感じられるので、もう少し夢を持って生きていこうとなります。

昨年、日本では「鬼滅の刃」が大ブームになりました。僕も家族と映画館に行って観ました。「鬼滅の刃」確かに面白かった!何が良かったのかですが、僕的に言うと、脚本と絵コンテ(カメラワーク)が最高でした。脚本に関しては、まず、「敵」である「鬼」には、必ず悲しいバックグラウンドがあり人生があるというところです。これはなかなか今までの勧善懲悪的な映画にはなかった視点で、新鮮でした。さらに、その悲しいバックグラウンドの経緯は家族にあるということ、家族で起こったことに対する罪意識であったり、自分に対する尊厳性の破滅であったり、とどのつまりは家族愛に対する信じるか信じないかの挑戦であったりするわけです。

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その部分は、世界的にヒットする名作に常に持ち合わせている題材の一つでもあるのですが、日本では「鬼退治」の物語、つまり「桃太郎」の世界と通じているので、しっくりとはまりましたね。それからアニメーションの部分では、これはもう時代劇の描写そのものでしたね、7人の侍や暴れん坊将軍にも通じる絵柄、昔良きものをよくぞ引っ張り出してくれたなあと感激いたしました。

さて、本題の僕の「新年の抱負」です。よろしければ有料記事にてお読みくださいませ。↓

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