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30年間英語を勉強し続けても話せない父親から学ぶ一つの大事なこと

僕&母「なんで英語勉強するの?目的は?」

父「理由なんてないよ」


今日は、プロセスを楽しむって大事だよね、という話をしていきます。


英語が話せない父親

知っている人は知っている通り、うちの父親は英語が話せません。

英語が話せないってだけなら、まあ、普通の話。

でも、特筆すべきは「30年以上毎日勉強しているのに、話せない」という特殊なカテゴリーに属しています。

(実は最近意外と特殊でもないのかもしれないと思ったり。)


すごい(そんなによく勉強し続けられるなんて)

逆にすごい(いまだに話せないという事実)


半分冗談のようだけど、うちの父親はまじですごいと思います。

会社員時代から、毎日欠かさずに電車の中で英語を勉強し続けてきました。

相当な量をこなしてきたすごさと、それでも話せるようにはならなかったという逆の意味のすごさ。


現在両親は、リタイア後の生活を楽しんで海外に旅行に度々いくが、そこでも別に父親がリードするわけでもなく、英語が話せない母親がなんならそろそろ父を抜くかもしれない、そんなレベルだ。


でも英語を誰よりも楽しんでいる父親

自分は今、週の2日くらいは岐阜の実家にいます。

家に戻ると、基本的に父はそこにいます。

そこというのは、ダイニングの父の定位置の座席。

むしろ、そこから動いている父をほぼ見たことがないくらい。

何をしているかというと、大抵は英語。

英語の予習か、ラジオ英会話か、その復習か。

笑ってしまいそうになるけど、本当にそれしかしていない。


とにかく、楽しいのだと思う。

プロセスが。

英語を勉強するということが。

ひょっとしたら英語でなくても、”学習”が好きなのかもしれない。



別に目的なんかなくたっていい

僕らは何かと目的を求めがちだと思うんです。

なんのために?
何を達成するために?

そのために、KPIやら色々置いたりします。


でも、趣味は趣味で、目的なくただプロセスを楽しめばいい。


別に、これは何も趣味の話でもないかもしれない。

僕がやっているKamilaもアーティストに求めるのはこういうことかもしれない。

過程を楽しむ。

それが実現できていれば、きっと素敵なアートは出てくるものだと思うし、逆にそれが実現できていないと、どれだけ見た目が綺麗でも素敵なアートではない。

それが僕の根本的な考え方です。

積極的な営業努力はするけど、かといって無理に買ってもらう必要もない。

アートを楽しんだ結果の作品を、誰かが気に入ってくれたらそれでいい。


ちょっと話がずれましたが、父親のそんな様子を見て思いました。


そして純粋に、この”物事を根気よく長く続ける”という力は、確実に父親からもらったDNAなので、ありがたい。

感謝してます。


以上。


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