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働いていると本が読めないという問題


本が読めない!

 前回の記事で佐藤優氏の本しか読まない叔父の話を書きました。
「佐藤さんに推し活しているなら、鈴木宗男さんが主催する東京都内の政治塾に顔を出してみたら?」と勧めてみました。叔父は「仕事があるから無理。」と遠慮したのです。勤め先で人材確保ができないため、定年を過ぎても退職できないでいます。
 仕事中心の生き方をしていると、加齢とともに好奇心を失い、読む本の対象が狭くなる。だから「この人の作品だけでいいや。」となってしまいます。これでは柔軟な思考を育むことがないまま、つまらない人生を迎えてしまいます。
 叔父の姿を見て、どうして読む本の範囲が狭くなるだろうか。本が読めなくなるのだろうか。そんな疑問が沸々と湧いてきたのです。

 三宅香帆氏の『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読むと、日本の長時間労働が読書時間の妨げになっていることがよく理解できます。自身の経験談を交え、こう述べています。

< ー週5日でみんな働いて、普通に生活してるの?マジで?私は本気で混乱しました。
… こんなことを言うと、社会人の先輩各位に怒られそうです。「いやいや9時半から20時くらい、働き方としてはハードじゃないでしょ」と苦笑されるでしょう。私も学生時代はそう思っていました。でも、やってみると案外それは疲れる行為だったのです。
 歯医者に行ったり、郵便物を出したり、宅配の荷物を受け取ったりする時間が、まったくない。飲み会が入ってくると帰宅は深夜になる。なのにまた翌朝、何事もなかったかのように同じ時間に出社する。ただ電車に乗って出社し帰宅するだけで、けっこうハードだなあ、と感じました。>

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社新書  p.15

 また、三宅氏は読書時間よりもスマホに気を取られてしまうといいます。

< 正直、本を読む時間はあったのです。電車に乗っている時間や、夜寝る前の自由時間、私はSNSやYouTubeをぼうっと眺めていました。あるいは友達と飲み会で喋ったり、休日の朝に寝だめしたりする時間を、読書に充てたらいいのです。
 だけど、それができなかった。本を開いても、目が自然と閉じてしまう。なんとなく手がスマホのSNSアプリを開いてしまう。夜はいつまでもYouTubeを眺めてしまう。>

前掲書 p.16

 これは若い世代固有の悩みだと思います。対して、叔父のようなシニア世代は加齢とともに意欲を失い、老眼が進み、人生の残り時間が近づいてきた時、本を読む気力すら失ってしまいます。

 作家の佐藤優氏も外務省に入省してから生活が一変し、全く本が読めなくて苦労したと述べています。

< 1985年4月に外務省に入省すると、生活は文字通り一変した。本をまったく読めない日が始まった。
 最初の1ヵ月は研修で、初めて学ぶロシア語漬けの毎日だった。研修自体は17時半に終わっても、その後4時間はかかる宿題が毎日のように出る。
 5月1日に研修生(見習外交官)として欧亜局ソビエト連邦課の配属になると、朝9時には必ず来て、終わるのは連日、夜中の2時、3時になった。研修生でまるで戦力にならなくても、コピー取りや清書係(ワープロがない時代だった)で徹夜になることも珍しくなかった。1986年の東京サミットの準備では、本当に2時間睡眠の連続で、倒れる人も出た。健康管理も能力のうちだと見なされた。正直、研修期間中は読書どころではなく、どんな無理をしいても与えられた仕事をこなし、人に迷惑をかけたらまずいというプレッシャーをいつも感じていた。>

佐藤優『読書の技法』東洋経済新報社 p.36-37

 一般企業よりももっと過酷な訓練を施しているため、読書時間を確保できないことが行間から伝わってきます。こうした経験から、佐藤氏は大量の本を読みこなすために速読すべき本を決めて読み、熟読すべき本を決めて読むといった「読み方の選別」作業を確立していったそうです。普通では考えられないことでしょう。

 本を読むための時間の余裕がない社会は確かにおかしいです。どうしてこのように余裕が生まれにくくなってしまったのでしょうか。

長時間労働の始まりは明治期

 日本の長時間労働が多い背景は明治期に起因していると三宅氏は指摘します。

< 『仕事と日本人』(武田晴人)によると、明治時代の日本の工場労働者たちは、農民時代と比較して長時間働くようになっていた。
 西欧での残業に対する考え方と比べると、日本では残業は一般化していたようです。先ほどの日本工業協会の資料によると、一九三七年に東京の工場ではかなりの長時間の残業が観察されています。この年は、まだ本格的に戦争経済には突入していない時期です。戦前の日本経済の状況のなかでは、平時の経済発展の頂点にあると見なされることが多い、そういう基準になるような年です。
 この年の調査によると、一日の平均残業時間は二時間前後で、染織(繊維)工場や機械器具工場の男子では三時間に近く、最長では化学工業の一二時間、これは昼夜連続して交替勤務を通しで働いたということでしょう。(『仕事と日本人』)
 武田はこのような状況の背景に「労働組合」が弱かったこと」「残業による割増賃金が魅力的だったことを指摘する。明治時代にあって石川啄木はすでに「最近はみんな忙しそうにしている、日本人はどんどんせっかちになっている」と嘆いていた。
 意地の悪い言い方をすれば、今日新聞や雑誌の上でよく見受ける「近代的」という言葉の意味は、「性急せっかちなる」という事に過ぎないとも言える。同じ見方から、「我々近代人は」というのを「我々性急せっかちな者共は」と解した方がその人の言わんとするところの内容を比較的正確にかつ容易に享入れ得る場合が少くない。
          (「性急な思想」1910年、『石川啄木集』上巻所収)

 労働という概念が輸入され、工業化が進み、それにともない労働時間も増えていった明治時代。おそらく当時の人々はせっかちにならざるをえなかった。せわしない人々の背後には、急速な時代の変化があった。>

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』集英社新書 p.34-35

 これが長時間労働の遠因となっています。そんな時代に登場した自己啓発書が話題となりました。イギリスのスマイルズの『西国立志編』という名著です。特に男性の立身出世につながり、長時間労働を促進させるための「静かな仕掛け」になったのです。

< しかし1871年(明治4年)に刊行された『西国立志編』は、『学問のすゝめ』よりもさらに売れた。明治時代も終わりに差し掛かると出版部数の伸びが落ちた。『学問のすゝめ』に対し、なんと『西国立志編』は大正時代に至るまでのベストセラーの地位を維持している(大澤絢子『「修養」の日本近代ー自分磨きの150年をたどる』)。明治末までに100万部は売ったらしい。>

前掲書 p.43

 スマイルズは「自助努力の精神を養うべし」と解き、勉強して、勤勉に励み、忍耐力のある精神を身につければ大発明ができるといいます。この奮起を日本人男性の読書習慣に結びつけたそうです。

平成期に出版バブルが到来

 明治、大正、昭和と時が流れ、平成期(1980年代)に突入した時、バブル崩壊とともに日本経済の長期停滞が始まりました。その頃から『若者の読書離れ』が始まったそうです。三宅氏は平成期の出版事情について次のように述べています。

< しかし少なくとも1980年代、出版業界の売り上げはピークを迎えつつあった。
 1985年(昭和60年)のプラザ合意からはじまった「バブル景気(バブル経済)」の好景気に日本社会は沸いた。そして世間と同様、出版業界もまた、バブルに沸いていた。出版科学研究所の算出した出版物の推定販売金額によれば、80年代の売り上げは右肩上がり。70年代には1兆円の売り上げだった出版業界が、90年代初頭には2兆円を超える。ほとんど倍の盛り上がりだ。出版業界倍増計画の時代、それが80年代だった。>

前掲書  p.144

 だが、80年代に入っても長時間労働をしているサラリーマンが多くいました。

< 80年代の終わりごろ、平日1日あたり10時間以上働くフルタイムの男性労働者の割合は3人に一人ほどになっている(黒田祥子「日本人の労働時間は減少したか?ー1976-2006年タイムユーズ・サーベイを用いた労働時間・余暇時間の計測」)。そして平日の余暇の時間も、70年代と比較すると減りつつあった(黒田祥子「日本人の余暇時間ー長期的な視点から」)
 平日の長時間労働が増えた結果、余暇が減っていたのである。働く男性たちは、どんどん余暇がなくなっていく。

前掲書 p.145

 これも男性の長時間労働が一向に改善しない原因であり、疲労困憊の状態では余暇の時間を読書に充てることが難しいのです。

『若者の読書離れ』は2010年代に入っても以下の調査結果が出ています。

< 調査は、2018年秋に行われ、30大学の10980人の回答を集計した。読書時間の平均は1日30.0分で、前年の調査より6.4分増えた。48%の人が読書時間「0分」だった一方で、読書時間が60分以上の人が26.7%いる。読書をする人としない人で分かれているのが現状だ。0分の人を除いた平均時間は、60.3分だった。>

高校生新聞オンライン『大学生の48%が読書時間ゼロ 小学校では読んでいたのに中→高→大と進む本離れ』2019年3月18日

 また、2010年代では異常な長時間労働のほかにパワハラや虐待型管理を強いるブラック企業が跳梁跋扈し、人権を踏みにじる行為だとマスメディアを中心に話題が沸騰したのです。まるで昭和期の日本軍の組織的管理とそっくりとの批判もありました。(この時期に吉田裕『日本軍兵士 アジア・太平洋戦争の現実』(中公新書)がベストセラーになりました。)

 あれから6年経った現在、令和時代に入り、一部の大企業や上場企業の労働環境は大幅に改善され、誰でも働きやすくなりました。一方で、中小零細企業は残業時間が未だに長く、組織の体質が改善されない会社もあります。「残業代がないと稼げない」という言い分を聞くくらいです。これでは読書時間に充てることができず、個々の学習能力に差が出てしまいます。結果として、人々の間に経済格差・教育格差と分断が拡大しているのです。
 誰もが現状を打破しないといけません。

 若者の間ではコスパ・タイパを重視し、新聞・雑誌・本・漫画などの既存の媒体すら読まないといわれるようになりました。YouTubeなどの動画コンテンツで済ます人が増加しているというのです。
 しかし、これで『若者の読書離れ』が進行したのかといえばウソであるという調査結果もあります。(この記事では言及しませんが、飯田一史『「若者の読書離れ」というウソ』(平凡社新書)でZ世代の読書事情を知ることができます。)

「半身労働社会」の実現を

 では、どうすればよいのでしょうか。三宅氏は「半身」の働き方を実行しようと提案しています。

< 私たちはそろそろ「半身」の働き方を当然とすべきではないか。
 いや、働き方だけではない。さまざまな分野において、「半身」を取り入れるべきだ。「全身」に傾くのは容易だ。しかし、「全身」に傾いている人は、他者にもどこかで「全身」を求めたくなってしまう。「全身」社会に戻るのは楽かもしれない。しかし持続可能ではない。そこに待ち受けるのは、社会の複雑さに耐えられない疲労した身体である。
 「半身」とは、さまざまな文脈に身をゆだねることである。読書が他者の文脈を取り入れることだとすれば、「半身」は読書を続けるコツそのものである。>

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)p.260-261

 私も同意見です。労働に心血を注ぐ生き方はもう見直さなくてはなりません。叔父をはじめとしたシニア世代の意気消沈の状態を他山の石として、働き方を考えなくてはいけません。

 最後に、三宅氏は「働きながら本を読むコツ」を伝授しています。

① 自分と趣味の合う読書アカウントをSNSでフォローする
② iPadを使う
③ 帰宅途中のカフェ読書を習慣にする
④ 書店へ行く
⑤ 今まで読まなかったジャンルに手を出す
⑥ 無理をしない


<参考文献>

三宅香帆『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(集英社新書)
佐藤優『読書の技法』(東洋経済新報社)
高校生新聞オンライン『大学生の48%が読書時間ゼロ 小学校では読んでいたのに中→高→大と進む本離れ』


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