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右傾化するシニアの謎

 作家の古谷経衡氏の『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』(中公新書ラクレ)は現代社会の窮屈さと右傾化シニア世代の抵抗について考えさせる本です。原体験と緻密な分析に基づいた考察は説得力があります。

若者の右傾化は嘘である


 「日本の右傾化が叫ばれて久しい」と言われる現代日本ですが、巷に言われるのは若者層が多いという説です。しかし、古谷氏は若者が右傾化したという説が噓八百であると喝破します。

< 日本では右傾化が顕著だ、とされて久しい。永らくその主役は20代などの若年層で、社会的には低学歴で十分な教育を受けておらず、無職・ニート・非正規労働者などの人々であるとされてきた。隣国や在日コリアンへのヘイトを高らかに叫ぶ彼らは、社会経験が薄弱であり下品で反知性的な物言いから学歴も低いとされてきた。端的にそれは嘘である。
 私は永らく右翼業界に居を構えてきた経験上、彼らの中に若年層をほとんど見たことは無かった。重ねて入念に調査しても彼らの年齢の中心世代はアラフォーかそれ以上であり、大方は四大卒以上の学歴を有した。この学歴は同世代の四大進学率より有意に高かった。この時、私の調査発表は日本社会に大きな影響を与えた。社会の中に漠然とあったそれまでの右翼観が覆されたからだ。そしてこの調査から10年以上が経ち、現在彼らの年齢はそのまま加齢して50代以上となっている。まさにシニア右翼と呼んで差し支えない。>

古谷経衡『シニア右翼』中公新書ラクレ p.11

 現代の若年層は政治や社会に対する意識が向きにくいです。30年以上に及ぶ低成長経済が続いているため、経済的苦境に立たされているためです。いわば「生活保守主義」の立場にいます。ですから、右翼思想に染まった若者はごくわずかということになります。対して、50代以上の年齢層が右傾化してしおり、ネット空間を中心に社会に多大な影響を及ぼしているようです。

シニア右翼はなぜ生まれたのか


 では、なぜシニア右翼は誕生したのでしょうか。古谷氏はまず右翼業界に身を置いた経験談から右翼思想に取り込んだ高齢者の実態について、韓国や在日朝鮮人に対する差別的言動を事例に、次のように考察しています。

< 韓国に行った事がないにもかかわらず皆韓国人を憎悪していた。韓国政府を批判するというのは良いが、彼らは政府と国民を分別することができず、韓国人そのものをネット動画から仕入れた差別的なデマ情報に基づいて一方的に憎悪していた。在日コリアンに一度も会ったことがないのに、彼らには特権があると言ってきかなかった。どのような特権があるのか具体的には知らないが、NHKやテレビ・広告代理店・新聞社は在日に支配されていると思い込んでいた。
 そして彼らは判で押したように日本統治時代以降の韓国の近現代史に対して無知で、朴正煕が日本の陸軍士官学校卒という事実も知らず、靖国に朝鮮出身兵士が祀られている事実も知らず、韓国国内の政治状況に関する基礎も全く無知だった。
 たまさか親日国という言葉を、彼らは少ない知識で一生懸命語った。例えば日本とトルコの親善関係というのを「エルトゥールル号事件」のネット動画でのみ知りトルコを韓国に対比させて絶賛する。ただ「トルコは親日国!親日国!」と連呼するだけで私は心底幻滅した。当然トルコに行った事のある人間は一人もいなかったどころか、現代のトルコが王国だと思っており共和制である事すら知らないのだ。誰もが学部1年生レベルの教養も持っていなかった。本は買うだけで中身を全く読まない人たちであった。情報源は全部ネット動画だった。>

前掲書 p.52-53

 シニア右翼は韓国に対する嫌悪感丸出しの言動や在日コリアンによってメディア界が支配されているという虚実を流布し、おまけにトルコを親日国と捉え韓国への反感を如実に表す形で批判しています。ところが、彼らは韓国やトルコに一度も行かず、在日韓国人に対面した経験がありません。ですから、説得力に欠けると言わざるを得ません。
 通常、あるテーマについて調べる時はネットでキーワードを検索して論拠がどこにあたるのかを文献で解読するという流れが正しいはずです。しかし、彼らはろくに調べもせず、ネット動画で特定のコメンテーターや文化人が煽る言説をそのまま信じ込み、拡散しています。当時の状況は大きな社会問題として取り上げられました。

 私はよく書店でどんな本があるのかを見て回るのですが、当時大学院生だった2012年以降から「嫌中・嫌韓ブーム」が到来していました。そこで書店には中国や韓国・北朝鮮に批判的な本が平積みにされていた状況を鮮明に憶えています。

 室谷克実『呆韓論』『ディス・イズ・コリア』(共に産経セレクト)、黄文雄『悲韓論』『日本人はなぜ中国人、韓国人とこれほどまで違うのか』(共に徳間書店)、石平『世界征服を夢見る嫌われ者国家 中国の狂気』(ビジネス社)、倉山満『嘘だらけの日中近現代史』『嘘だらけの日韓近現代史』(共に扶桑社新書)、拳骨拓史『韓国「反日謀略」の罠』(扶桑社)『韓国が次に騒ぎ出す「歴史問題」慰安婦だけでは終わらない!』『韓国人に不都合な半島の歴史』(共にPHP研究所)など、挙げればキリがありません。これでもか、これでもかと次々と出版していました。

 私は当時英語教育に関する研究で忙しく、大学院を出た後に無職となり、仕事探しを行っていたため、話半分に受け止めていました。おまけに精神状態が鬱々としていたため、半ば引きこもり状態が続いていました。ブームに注視している暇がなかったのです。
 中国や韓国、トルコには一度も行ったことがありません。それでも、差別的な言動や根拠なき批判には与しませんでした。職に就いてから世界の国々について正しい認識を持とうと心に決めていたのです。

 シニア右翼はこうした刺激的なタイトルの本を買っても、読んで納得したのは少数であり、タイトルと帯のメッセージだけを見て「そうだ!その通りだ!!」と連呼するのでしょう。そして、ネット動画による言論人の一撃によって感化されてしまうのです。

 最近は中国や韓国への反感を煽るような本はめっきり減りました。しかし、現在はYouTube動画で簡単に観ることができる時代です。本や雑誌などの紙媒体に依拠するのはコスパとタイパが悪いと考え、ネット動画に走るのでしょう。このような思考を持つ人に対して説得するのは至難の業です。

 2012年以降は故・安倍晋三氏が政権の座に就いた時から、保守業界を中心に熱狂的な視線を彼に向けていました。「安倍晋三こそが世界に冠たるリーダーだ」と言うのです。アベノミクスを主導し、異次元の金融緩和政策を実行しました。景気は確かに回復しましたが、一部の富裕層や大企業に恩恵を受けるかたちになり、他方で市井の人々の生活は潤いませんでした。こうして、人々の間に経済格差を生じたのです。
 シニア右翼は会社で役員などの高い地位に属する者や自営業を展開してそこそこ成功を収めている者がほとんどです。ある程度暇を持て余した頃にネット動画を観て、安倍晋三氏の礼賛ぶりや隣国へのヘイト言動を真に受けて、同調するようになったのでしょう。


ネット右翼とは何か


 そもそもネット右翼はどのような定義でしょうか。「ネット上で右派的・右傾的発言をする人」と簡潔に言えるでしょう。ただし、彼らが自ずから調査して知識を集積し、思想を強化してきた人かといえばそうともいえないと古谷氏は詳述します。

< 概ねそれは「保守系言論人」とか「右派系言論人」などど言われる人々である。彼らは所謂保守系雑誌などで執筆したり、保守系ネット番組でコメンテーターをしたりする常連たちである。わが国の保守派は永らく『産経新聞』を頂点とし、同社出版の月刊誌『正論』を補助として「サンケイ・正論路線」などと呼ばれる勢力を築き上げてきた。このような「論客」が様々な媒体で発露する言説を、そのままネット上で「簡便な形で」オウム返しするのがネット右翼の実際における定義である >

前掲書 p.95

 産経新聞社が発行する『正論』のほかに、現在では月刊誌『WILL』や『Hanada』も挙げられます。これらの保守系雑誌が現在の保守系出版界の主流になっています。そして、ネット右翼の総人口は概ね200万人であるとの推計が古谷氏の独自の社会調査で明らかになっています。日本の総人口(現在2024年7月時点)は1億2396万人ですが、有権者の2%を占めています。その半数は50代以上の高齢者となるわけです。

 ネット上の言説を信用するシニア右翼が増加したきっかけはYouTube動画です。それに大量の右傾番組を投稿した初めての株式会社が「チャンネル桜」でした。(現在は文化人放送局が主な媒体として動画配信を行っています。)

 古谷氏は保守業界に身を置いた時、自身が書いた本を読んでもらえず、動画を観たという声に落胆したのです。

< 私が本を出しても、買う人は少なくはなかったが中身を熟読して感想を述べる者はほぼ皆無で、私の本の概要をYouTubeで語った番組を観るだけの者がやはり99%近くだった。所謂「積読」である。私の本を最も熱心に、何十本も付箋を付けて感想を述べた唯一の一人は『朝日新聞』の記者だった。 >

前掲書 p.115

 政治や社会に関心があり、自身を「保守」だと名乗る人は評論家の福田恆存氏の『保守とはなにか』(文春学藝ライブラリー)イギリスの政治思想家のエドマンド・バークが書いた『フランス革命の省察 「保守主義の父」かく語りき』(PHP研究所、後にPHP文庫)を熟読して保守思想の知識を取り入れるはずです。

 しかし、彼らは動画を観ただけで「そうだ。」と同調することに留まります。繰り返しますが、本や雑誌で調べずにネット動画の言説をオウム返しするシニアの知的土壌には懐疑の目を向けるでしょう。
 果たしてその程度の考えで「保守」と呼べるのか、という疑問が浮かびます。


ネット技術の台頭


 シニアが徐々に右派思想に染まっていった背景に別の理由を挙げるとすれば、ネット技術が発達したことでした。いつでもどこでもインターネットを使用できる環境が整備され、そこに右派番組が波に乗る形で多量に投稿するようになったのです。古谷氏は続けます。

< 西暦2005年には前述のとおりネット普及率は70%を超え、ネット利用人口は8500万人を超えるに至った。この中でブロードバンド大国に成長した。全部とは言わないがヤフー!BBの功績が大である。2021年現在、日本のブロードバンド普及率は利用可能世帯率について93.6%(日本のほぼ全世帯利用可能)、世帯普及率は93%に達する >

前掲書 p.128

 ブロードバンドによってネット環境が整ったことにより、右傾番組を閲覧できることが容易になった現在、シニアを中心とした人々は知らぬ間に右翼思想に飲み込まれてしまうのです。


シニア世代に戦後民主主義が根付かなかった


 では、原因は何でしょうか。
 古谷氏は高齢者層が生きてきた時代に戦後民主主義を享受してきたにも関わらず、しっかりと根付かなかったと分析しています。

< 原因として考えられるのは、戦後民主主義的価値観を一様に否定する右傾的ネット番組がクリックひとつで簡易に再生できる高速ネットインフラが整い、構造的に動画に偏重するシニア層が後発でネット空間に大量に流出したこと。(中略)
 動画に触れるだけで途端に価値観がひっくり返るのであれば、そもそもそれは確固とした価値観では無かったと判断するしかない。彼らシニアが受容してきた戦後民主主義が、徹底して彼らの精神を構成していたわけではなかった、としか考えられない。つまり「国民主権・基本的人権の尊重・平和主義」を原則とした戦後民主主義の大原則は、彼らの中ではまったく咀嚼されることなく、「ただなんとなく、ふんわり」と受容されていたに過ぎないから、後年になって動画という「一撃」で簡単にひっくり返ってしまったのである。 >

前掲書 p.177

 戦後民主主義的価値観を脈々と継承することなく、「なんとなく、ぼや~ん」とした状態のまま過ごしてきてしまったのです。これでは、まともな思考で政治や社会を概観することができないでしょう。


朝日新聞の変質


 ところで、ひとつ気になる事象が出てきています。
 古谷氏の本をかつて熱心に熟読して感想を述べた朝日新聞の記者がいたという事実がありますが、最近になって朝日新聞が「右傾化路線」に突き進む発言がネット上で炎上騒動になりました。

 2024年5月18日(土)の朝日新聞で「悩みのるつぼ」というコーナーがあります。「世界の理不尽に我慢できない」という50代の男性の相談者に対し、タレントの野沢直子氏が回答者として投稿しました。その記事に出てくる回答が物議を醸したのです。

 ざっくばらんに言うと、「不正義や理不尽な行動を伝える新聞報道を見るたび、怒りに燃えて困っています。ロシアの軍事侵攻、イスラエルのガザへの攻撃ー。最近では、アメリカの大統領選の報道。うそとデタラメで世界を混乱に陥れた揚げ句、議会襲撃を起こしたトランプ氏が、大統領候補となり、さらに再選される可能性もあるということです。」との悩みを打ち明けました。
 これに対し、野沢氏は「そんなに心配なさっているのなら実際に戦場に出向いて最前線で戦ってくればいいのにな、ということです。」と回答したのです。
 さらに「実際あなたが心配している国に出向いて、あなたがニュースで観ていることはどこまでが真実なのか確かめてくるというのはいかがでしょうか。」と続けました。

 これはどう考えても無責任な回答です。人権を蔑ろにした発言としか言いようがありません。野沢氏がアメリカの「安住の地」で住んでいるに関わらず、「戦場で戦えばいい」という上から目線の発言には歴史的失言でしょう。戦場で命の危険に晒されているジャーナリストの活動を何だと思っているのでしょうか。最前線で戦う兵士たちは「早く戦争を終結して、家族のもとに戻りたい」と願っているのです。そのような声すら耳を傾けないのでしょうか。世論が憤慨するのも仕方がないことでしょう。

 この内容に、ある朝日新聞の記者は「才能を見抜き、依頼した記者(編集者)もすごい。どなたか存じませんが・・・」とSNSで投稿し、大荒れとなりました。朝日新聞の信頼を毀損する問題発言といえるでしょう。記者であるならば、野沢氏への取材を敢行してから問題になりそうな記述ではないかを綿密に確認するでしょう。いつの間にか、右翼的な路線に突き進んでいるとしか考えられません。他の新聞の記者も同様に記事への批判を展開していました。
 「リベラル」と称されるメディアの凋落もここにあります。


民主主義の再興を考える


 最後に、「民主主義はこれからどうなっていくのか」についてです。
 古谷氏は人口減少と少子高齢化という難題がのしかかる日本の現状を起点にすれば、人口の半数を高齢者である以上、民主主義のシステムを維持していくのは困難になっていくのではないかと悲観しています。ただ、重要なカギを握るのは移民だと説きます。

< 日本にあたらしく移住してくる人々は、日本社会の慣習を学び歴史を学ぶ場合はあるが、既存の政治勢力に対し基盤を持たず、またそれと関連する利権との癒着を持たないので、まったく新しい価値観― つまり豊穣な土壌を提供する原動力になりうる。移民の受け入れは少子高齢化で生産年齢人口が減少していく日本社会の直接的救済に繋がる部分があるが、最も大きい部分は日本国民の精神的刷新である。日本社会の慣習や旧い意識と無関係な人々が社会の中で大きな勢力を持つとき、自然と彼らの政治的発言力は増大するので、日本社会にある封建的な自意識は修正を迫られるからだ。
 ところが現代日本は、右翼も革新も移民には否定的である。右翼は日本の伝統文化が移民によって破壊され犯罪が横行し治安が悪化すると反対し、革新は雇用が奪われるという経済的な側面から反対する。>

前掲書 p.279-280

  また、移民によって事態が好転する可能性も示唆しています。

< 人口構成に特段の変化がないまま、日本社会は旧い構造から生まれる封建的な民主的自意識を改良できないまま現在を迎えている。既存の利害と大きな関係性を持たない強い民主的自意識を持った人々が社会の一角を占めれば、戦後民主主義の鬼子であり「変異体」であるシニア右翼は必ず痛打を被って衰退する。>

前掲書 p.281

 それでも、シニア右翼は他国からの受け入れを拒否している実情があるといいます。ある国会議員が「LGBTは子どもを作らない。生産性はない。」という主張を雑誌で書いたことから、炎上が巻き起こりました。偏った価値観を持つ政治家が権力の中枢を握っている限り、変わることはないでしょう。他方、ある政治家は「女性は産む機械である。」との発言を過去にしたことがあります。女性に対する侮蔑ともとれる発言です。こうした価値観の持ち主も政権の中枢にいる限り、少子化は止まらないでしょう。(人口問題については毛受敏浩『人口亡国』(朝日新書)が参考になります。)

 移民の受け入れるか否かの是非は十分な議論が必要です。それによって民主主義が再興するか。有権者はしっかり見て、考えていく必要がありそうです。


<参考文献>

 古谷経衡 『シニア右翼 日本の中高年はなぜ右傾化するのか』中公新書ラクレ


ご助言や文章校正をしていただければ幸いです。よろしくお願いいたします。