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12/17発売【試し読み】『クリミナル・イノベーション 天才プログラマーが築いた新時代の犯罪帝国』(エレイン・シャノン[著])

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『クリミナル・イノベーション 天才プログラマーが築いた新時代の犯罪帝国』
エレイン・シャノン[著]
棚橋志行[訳] 

「ソファには座りたくない」と、ルルーは言った。「100ドル札と500ユーロ札をぎっしり詰め込んだ箱を積み上げて、その上に座りたい」
 2009年の秋、フィリピンの首都マニラの蒸し暑い夜のことだ。ルルーはマニラの最高級街に立つサルセドパーク・ツインタワーズの、ガラスと鋼鉄でできたペントハウスをぐるりと身ぶりで示した。小さな舞踏室ほどの広さがあるリビングからは、マニラ首都圏に燦然(さんぜん)と輝く国際金融街マカティを一望できた。そのすぐ向こうに、この時間にはインクをこぼしたような漆黒のマニラ湾が広がっている。
 利益の大きな国際的医薬品電子商取引(Eコマース)事業の創設者で、最高経営責任者(CEO)、最高執行責任者(COO)、最高技術責任者(CTO)でもあるルルーは、自宅ペントハウスと南太平洋やアフリカ一帯に構えている数多くの隠れ処の天井まで、紙幣の詰め込まれた箱を積み上げることができた。香港や上海やドバイなど銀行取引の避難所(ヘイブン)に、どれだけのドルやユーロや金(きん)が隠されているかを知っているのはルルー本人だけだ。
 それでも、まだもっと必要なのだ。
 かつてヨーロッパの海軍に所属し、ここ一年半ほどルルーに雇われてきたジャックは、背すじに冷たいものを感じた。〝ボス〟──ルルーは自分をそう呼ぶよう命じた──は世界最大のネット医薬品事業者であることに満足していない。
 かつて国際的麻薬地下世界の王様だったパブロ・エスコバルと、2008年3月に逮捕されるまで世界で最も嫌われ恐れられていた兵器商人ビクトル・ボウトらが合体したような人間に、ルルーはなろうとしている。ジャックはそのことに薄々気がついていた。新時代の危険人物だ。「ルルーは確信していた。自分は史上最大の悪党になり、たとえ捕まったとしても歴史に名を残すことになることを」と、後日ジャックは語っている。ルルーは畏怖の念を生み出すことに執心した。水を打ったような静けさ、途方もない恐怖──畏怖を! 自分が歴史に残す足跡が血まみれの大きな裂傷なら、この世はそれを受けて当然の場所なのだ。
 ジャックはルルーの素性も、経歴も、なぜ怒りをたぎらせているように見えるのかも知らなかった。復讐を企てているのか? だとしたら、何への? ルルーは説明しなかったし、ジャックもあえて尋ねなかった。ルルーのいるところでは「否(ノー)」とか「できない」「やめたほうがいい」「まずい考えだ」といった言葉も使わない。自分はただの雇われ人だ。ジャックの知るかぎり、ルルーには、マフィアのボスの相談役を演じられそうな大人の友人はいなかった。〝ボス〟は自分一人を頼みとする人間で、その頭には見境もブレーキもない、荒れ狂った考えが詰まっているようだ。
 ルルーがペントハウスに通して差し向かいで仕事の話をするくらい信頼している人間は皆無に近く、ジャックはその珍しい一人だった。ジャックが例外だったのは、有能だったからだ。
 新しい種類の犯罪帝国──デジタルの力を駆使した麻薬と兵器の大量保管及び配送事業──を創設するという最新の構想を実現するには、ジャックの持つ広範な技術が必要だった。〝闇市場のアマゾン〟〝兵器のアマゾン〟と言ってもいい。成功すれば、エスコバルとボウトにジェフ・ベゾスを足したような人間になるだろう。
 この構想には貨物機を収容する飛行場から、貨物コンテナを取り扱う港、スタッフの居住区、仮設トイレ、厨房、バリケード、監視塔、四方に置いた対空砲座でそのすべてを守るきわめて『地獄の黙示録』的な私設部隊まで、広大な物理的施設が必要になる。ベトナムにある米陸軍の発射基地を下敷きに建築家が描いた施設の完成予想図を、ルルーはジャックに与えた。土台から最上部まで、鋼板、鉄筋、蛇腹形鉄条網をはじめ、ありとあらゆる建材を買い集める必要があった。ルルーはこの施設を、殺し屋やイスラム過激派や山羊(やぎ)飼いに人気の、ソマリアの乾燥した荒れ地の一画に設置したいと考えていた。
 ジャックを面接したとき、ルルーはこの仕事にぴったりの男だと感じた。ジャックは北欧で建設会社を経営していたことがあり、建築計画書を読むことができた。戦争地帯で過ごしたこともある。ほかの傭兵たちと同じように、射撃もできれば、止血帯を使うこともでき、サソリがうようよいる砂漠の一角で寝ることもできた。小気味いいくらいゴツゴツした顔と深い低音の声と控えめな態度の持ち主で、ネクタイを締めて政府の大臣とワインのビンテージの話をしながら、紙幣の入った封筒をそっと手渡すこともできる。歩いて銀行へ行き、なんの疑いもいだかれずに香港へ1万ユーロ送ることもできる。
「私のゴールデン・ボーイ!」と、ルルーはあだ名をつけた。〝ボス〟は新しいお気に入りに、最大限の温情を与えた。最大限と言ってもそれほどかき集められたわけではないが、口汚いアルコール漬けで死ぬまで息子のしていることを正しいと認めなかったジャックの父親に比べれば、ずっとましだった。ジャックは〝ボス〟に「ゴールデン・ボーイ」と呼ばれるのが好きだった。もちろん、カネという名の報酬もある。
 ジャックはよくわかっていなかった。電脳空間で強化したこの闇市場的メガストア構想にからめ捕られるまで、その構想自体が見えていなかったし、そこから抜け出す術(すべ)も知らなかった。
 ルルーの医薬品事業と不動産投資は、彼が多角的に追求しているもっと有害な計画の隠れ蓑に過ぎないことにジャックが気づいたときには、もう遅かった。
 ルルーの最新のひらめきは、自分の製品ラインを従来的な小型兵器から、大型兵器システムと大量破壊兵器へ拡大することだった。つい最近、彼はイランの防衛産業機構(DIO)と、高度な精密誘導ロケット及びミサイル──軍産複合体でいう〝スマート・ロケット〟──の製造計画にとって重要な部品を開発する契約を結んでいた。イランは中東全域に力を拡大しようと決意し、ロケットと従来的なミサイルを備蓄して、レバノンを支配しているシーア派武装組織〈ヒズボラ〉や、イエメンの〈フーシ反乱軍〉、イラクのシーア派武装組織、中東と南アジアのあちこちにいる過激派などに、代理人を通して何十万発か提供していた。やがてイランのミサイル工場が、レバノンの〈ヒズボラ〉が支配する地域や、イランの盟友であるシリアの独裁者バッシャール・アル・アサドが支配するシリアの一部に出現するだろう。イランの無誘導ロケット及びミサイルがイスラエルに投げつけられるたび、ほとんど損害を与えることができなかったのは、効果的な国際制裁によって最新の誘導システムが手に入らなかったからだ。ルルーが重要部品の開発に成功すれば、その状況は大きく変わる。彼はテヘランに使者を送った。DIOの責任者と会い、イランが通常のロケットとミサイルを〝スマート化〟して敵の軍指揮統制センターや通信接続ポイント、空港管制塔、省庁、水系といった重要インフラをはじめ、戦略的にきわめて重要な標的を無力化できるだけの能力を持たせられる誘導システムの開発に手を貸そう、と申し出るためだ。過激派組織が持ち運びできるくらい小さな、これらの恐ろしい兵器は、エルサレムとテルアビブのスカイラインを一変させる可能性があった。ルルーはミサイル誘導計画を進めるイランとの取引を確保すると──1億ドルの報酬を見込んでいた──ルーマニアの科学者とエンジニアが大半のチームを編成して、試験施設と掩蔽壕(えんぺいごう)を備えたマニラ田園地方の秘密製造所に彼らを集めた。
 この計画に必要な化学薬品を手に入れるため、また情報機関に探知されることなくイランへ部品を運び込むために、ルルーはエンジニアの何人かにディーゼル駆動の小さな潜水艇を設計する仕事を割り当てた。マニラの南、バタンガス州沿岸に彼が所有するヨットの保守管理場には、すでに潜水艇を造るためのドックが完成していた。
 彼は〈三合会〉を通じて北朝鮮のメタンフェタミンを売買する別の事業も創出した。〈三合会〉は希望価格3億6000万ドルに対し、月六トンの純正クリスタル・メタンフェタミンを提供する。これだけ大量の高品質麻薬なら、末端価格で10億ドルくらいになる。これはルルーにとって、上昇の可能性を秘めたもうひとつの好機に過ぎなかった。この大きな商取引は金正恩のポケットに莫大な交換可能通貨(ハードカレンシー)をもたらし、アメリカとその同盟国を核ミサイルで脅かす能力を大幅にアップさせることになるが、ルルーは気にも留めなかった。北朝鮮のエンジニアはこの政権の弾道ミサイルがアメリカ本土に届くよう、射程距離を伸ばす仕事にコツコツ取り組んでいた。メタンフェタミンから生まれた何百万ドルかの一部が、北朝鮮の兵器開発費用を賄う可能性は大いにある。
 ルルーと初めて会ったとき、ジャックに見えていなかったのは、カネと支配への飽くなき渇望だ。大方の人間と同じくジャックにも、世界に名だたる国際的犯罪組織の首領の振る舞いについて先入観があった。それまでは判で押したような悪人ばかりだったから、無理もない。コロンビアとメキシコの麻薬カルテルの首領はみな勝者の証(あかし)として、宝石をちりばめた銃と、女、馬術競技用の馬、私設動物園、拷問部屋、並外れたマッスルカーを見せびらかしてきた。自慢は市場開拓に役立つ。パブロ・エスコバルや〝エル・チャポ〟ことホアキン・グスマンら、タブロイド紙や煽情的なネット記事をにぎわすだけの地位を手に入れた大物犯罪者は、みんながみんなそうだった。
 ルルーはこういう類型を拒絶した。快適な生活に固執せず、質素で引きこもりがちな暮らしを送った。ルルーがジャックと会うときいつも使っていたペントハウスは、完全家具付きの部屋だった。新しい冷蔵庫の中のように、イケアめいたホワイトボードの壁とクッション三つのカウチ、市場で手に入る最大の薄型テレビ、テーブル一台と、座り心地の悪い背もたれのまっすぐな椅子が四脚あるだけだ。札束に埋もれたい欲望を告白するときでさえ、彼は背のまっすぐな椅子に腰かけて、大きな背中の上部をはみ出させていた。ジャックはルルーの向かいに置かれている背のまっすぐな別の椅子に座っていた。
 ルルーはマニラとスービック湾沿いに7つか8つ豪奢(ごうしゃ)な不動産物件を所有していて、さらには香港から北欧までのさまざまな地域に同じような物件が散らばっていたが、ルルー自身はこのペントハウスでメールやボイスオーバー・インターネット・プロトコルを使った商取引をして時間の大半を過ごしている、という印象をジャックは持っていた。ルルーは研究し尽くした旧型のハードとソフトを使い、自分のコンピュータと送受信システムに外国のスパイが入り込まないよう確実を期していた。
 ペントハウスの厨房では退屈そうなコック二人がうろうろして、ボディガードたちとゴシップ話を交換していた。ルルーはたいてい自分の好きな食べ物──ビッグマック、ピザ、〈KFC〉の手羽先(チキンウィング)──を買わせに人を送り出したが、そのくせ、コック二人とメイド一人を二四時間常駐させていた。質素な暮らしを旨とし、朝食を〈マクドナルド〉ですませることで有名な投資家のウォーレン・バフェットがファストフードで充分なら、ルルーもそれで充分だ。しかし、80代に近づいてきた〝オマハの賢人〟[バフェットの愛称]が永遠に生きられそうな外見をしているのに対し、36歳のルルーは太りすぎで不格好だった。だから膨らむばかりの腹部を食い止められるかもしれないという虚しい希望に基づき、ダイエット・コークとコカ・コーラ ゼロをケース単位で買い込んでいたのだろう。酒は飲まない。彼の風変わりな大容量の脳は彼の楽器であり、あらゆる富の源泉であって、すっきりと澄んだ状態に保っておく必要があった。きらきら輝く宝飾類も、金髪の女も、クラブ通いも必要ない。不道徳の対象は娼婦で、複数買うこともあった。出前を頼む。ふだんの恋人で、会計士で、ルルーの子ども二人の母親で、気心が知れている怒りっぽい女シンディ・カヤナンを、彼は別宅のひとつに住まわせていた。ときどき彼女は、ルルーが〝乱痴気パーティー〟と呼ぶ娼婦たちとの時間に憤激したが、たいていは黙従していた。ルルーは財布と同じ意味でもあった。二人とも喧嘩を楽しんでいるようだった。ひょっとすると、情交と同じくらい。
 主寝室はベッドひとつで、第二寝室には米陸軍のM4カービン銃がひと山と防弾服が何着かあった。美術品はなし。装飾もなし。思い出の品もなし。スーツケースに投げ込むことができないものは所有したくない。いつでも姿を消せる準備を整えていた。
「常に代替プランを用意していた」と、ジャックは語っている。「超高級な住まいに大枚をはたいているくせに、中身はほとんどがらんどうだった。人に見せびらかすことも決してなかった。最小主義(ミニマリズム)で暮らし、身軽に動けるようにしていた」
 組織犯罪の運営には完全無欠の機動力と感傷の欠如が必要だ。骨の髄まで典型的ローデシア人のルルーは、その役柄にぴったりだった。いまはもう存在しないが、絶え間ない緊張と撚(よ)り合わさった桁外れの特権を白人が有していた国で、彼は最初の12年を過ごした。政治的に孤立したローデシアで、白人入植者たちは欲しいものを奪い、人に頼らない生き方を旨とした。彼らはとことんまで、手段を選ばず必死に戦った。とことんまでと言っても、かならず逃げ道は作っていた。戻ってこられる状況になると、またそっと戻ってきたが、それはじつは、ローデシア以外に居場所がなかったからだ。
 ポール・カルダー・ルルーは1972年のクリスマスイブ、埃だらけで活気あふれるローデシア第二の都市ブラワヨに生まれた。イギリス系の若い白人女性とやはりイギリス系の男性との間に生まれた、非嫡出の息子だった。ポール・ルルー(・シニア)と妻ジュディス・ルルーのローデシア人夫婦が彼を養子にした。その二年後には、夫妻の娘、つまりポールにとっては血のつながらない妹が生まれている。
 今日、南アフリカ共和国とモザンビーク、ボツワナ、ザンビアに挟まれた国土面積三九万平方キロの内陸国ジンバブエには、ヨーロッパ系住民が1万7000人暮らしている。ルルーが生まれたときには26万ほどの白人が住み、480万人いた黒人を情け容赦なく支配し、搾取し、恐怖に陥れていた。植民地化以前は少数民族の中心都市で、〝虐殺の地〟という意味を持つブラワヨは、この地域に豊富な金属鉱石と畜牛、綿、たばこ、トウモロコシのおかげで産業用発電と加工処理の中心地へと花開いた。ここから生まれる富は国際制裁の衝撃を和らげると同時に、白人支配の揺るぎない擁護者だったイアン・スミス首相を多数派(黒人)台頭へ歩み寄らせる一因にもなる。
 黒人民族運動が勢力を増大しつつあった。ルルーが生まれる三日前、植民地に長年鬱積していた人種的、経済的格差に対する不満に火がつき、白人たちが〈ローデシア紛争〉と呼び、黒人たちが〈解放戦争〉と呼ぶ戦いが勃発した。
 1972年12月21日の午前3時、中華人民共和国の後ろ盾を得た黒人民族主義ゲリラが、ベルギーからの移住者が所有するたばこ農園を襲撃した。黒人労働者への残虐行為で憎まれていた農場だった。それ以外にも、白人農園へのゲリラ攻撃が散発的に続いた。ローデシアの治安部隊、とりわけ〈セルース・スカウツ〉の名で知られた秘密部隊が猛然と反撃に出た。内戦はエスカレートし、両陣営ともにおぞましい残虐行為に手を染めた。イギリスの歴史学者ピアーズ・ブレンドンは2007年の著書『大英帝国の衰亡』[未邦訳]で以下のように書いている。

 ソールズベリー[ジンバブエの首都ハラレの旧称]やブラワヨのようなヨーロッパ人が暮らす都市は、流血事件の悪影響をほとんど受けなかった。だが、中国やロシアの後押しを受けたゲリラたちはモザンビークやザンビアから前線を横断して、遠くの農場や鉄道や道路を攻撃した。地方の白人は自宅を、砂袋とサーチライトと有刺鉄線と番犬が守る砦に変えた。ゲリラは現地住民を兵隊に取ろうとし、抵抗する者にテロ戦術を仕掛けた。首長たちが定期的に拷問や殺害の憂き目に遭った。学校の先生が強姦された。村は略奪や焼き討ちに遭った。反乱を鎮圧する手法も同じくらい残忍だった。彼らは集団的懲罰や学校・診療所の閉鎖、自由発砲地帯の設置、強制収容所に似た保護村を作る、といった手法に打って出た。アフリカの畜牛は押収され、あるいは、意図的に炭疽菌(たんそきん)に感染させられた。捕獲された戦闘員は電気ショックを与えられ、ランドローバーで低木の茂みを引き回されたり、「木の上から逆さまに吊(つ)り下げられて打ち据えられたり」した。「彼らを踏みつける仕事」に従事したある地区委員長は、「あんな楽しいことは生まれてから一度もなかった」と語っている。〈セルース・スカウツ〉は──とりわけ、国境を越えた襲撃と激しい追跡が行われた時期に──残虐行為の限りを尽くした。(中略)しかし、1974年には、殺される以上の数の反政府勢力が補充されていた。

 1978年、ローデシアは弱い立場にあった。唯一の味方である南アフリカ共和国はアパルトヘイト政策への国際制裁で足元がぐらついていた。イアン・スミス首相は国連と英米から圧力を受け、やむなく選挙を行った。1980年3月4日、ゲリラの首領ロバート・ムガベの政党が地すべり的な勝利を収めた。これによりローデシアの植民地は地図上から消え、独立国ジンバブエが誕生した。
 解放が平和をもたらすことはなかった。ムガベはライバル部族や政敵に〝汚い戦争〟を仕掛けた。彼の創設した5000人の〈第五旅団〉は北朝鮮から訓練と装備の提供を受け、彼はその部隊を田園地方に派遣して略奪、強姦、拷問、殺戮を行わせた。2万人から8万人が命を落とし、その大半は民間人だった。
 報告資料にあるように、ルルーの家族がブラワヨの240キロほど東にある炭鉱の町マシャバに暮らしていたのが本当なら、彼らは最悪の暴力を目撃せずにすんだだろう。養父のポール・ルルーは、当時世界最大級の規模を誇り、大きな危険をともなう採鉱活動地でもあったシャバニエとマシャバの巨大なアスベスト採掘場で現場監督を務めていたらしい。入手可能なこの時期の新聞記事によれば、マシャバは比較的静かな工場の町で、黒人のアスベスト鉱山労働者に悲惨な状況と早期の死をもたらしていたが、白人監督の息子には平穏な子ども時代を提供していただろう。
 ムガベによる財政的失敗はジンバブエ経済を崩壊に追いやり、白人の熟練労働者が国外脱出する事態を招いた。白人の特権層でさえその状況を生き延びることはできなかった。白人ローデシア人の多くには、母国イギリスへ戻るという選択肢がなかった。ローデシア人は植民地初期にさかのぼる汚名の下で働いていた。〝ケニアは金持ちの運動場でありスポーツマンの楽園であると広告宣伝され、ケニアが士官用食堂ならローデシアは下士官食堂だった〟と、先のピアーズ・ブレンドンは書いている。近代、イギリスの知識人は白人ローデシア人を、実社会での成功を望めない人々ととらえていた。暴力的な頭の鈍い田舎者が、資格を与えられていたに過ぎない、と一蹴している。〝ソールズベリーでは、ヨーロッパ系の無能さに衝撃を受ける〟と、イギリス人ジャーナリストのリチャード・ウェストが1965年の著書『アフリカの白い部族』[未邦訳]で書いている。〝ホテルのスタッフは無作法で怠け者、店の女の子は足し算ができず、航空会社のスタッフは航空券を読み違え、アフリカの標準に照らしても、誰もがみな無能である。それでも仕事を失わないのは、客は白人に奉仕されるほうが好きで、彼らに取って代われる資格を持ったアフリカ人が皆無に近いからだ。白人はその状況が続くよう確実を期している〟高名なイギリスの歴史学者で『ローデシアの歴史』[未邦訳]を著したロバート・ブレイクは、この植民地を〝副産物として知的生活、文学的生活、芸術的生活の兆候をひとつとしてもたらしたことがない、文化の砂漠〟と表現した。
 ローデシアの知識人の中にもこうした糾弾に同意する人たちがいた。ヒラリー・クリントンが〝嘆かわしい人たち〟とけなした肉体労働者(レッドネック)こそがドナルド・トランプの地盤と見ているアメリカの進歩主義者たちを暗示するように、1960年代前半にソールズベリー市長を務めた白人の改革者でジャーナリストのフランク・クレメンツは、六九年の著書『ローデシア 衝突への道筋』でこう書いている。〝(イアン・スミスを政権に就かせた白人ローデシア人は)イギリス社会のはみ出し者で、自分のことを、自国ではとても成功できない人間と心得ていた。会計から溶接、ジャーナリズムから小売業まで、ローデシアはあらゆる活動領域で、成功者や優秀な人々のやる気を駆り立てることができなかった〟
 白人ローデシア人の最も聡明な人々でも、厳しい景気後退と大量失業に見舞われていたイギリスや西欧で仕事が見つかる見込みは薄かった。彼らの大半は南アフリカ共和国との国境を越えてすぐのところへ移住する道を選んだ。
 ルルー一家も1984年、白人脱出の波に乗って、ブラワヨの870キロ南に位置する南アのクルーガーズドープという薄汚れた炭鉱の町にたどり着いた。報道によれば、ルルーの養父は鉱山での採掘知識を活用し、石炭鉱山で顧問(コンサルタント)の職にありついた。
 南アは新入りたちにわずかな生活費しか提供せず、心の平和は皆無に近かった。1984年、アフリカーナ人[南アフリカ系白人]の強硬派は新しい憲法を法制化し、それによって白人による議会の支配を保証し、インド系や〝有色人種〟に少数派としての議席しか分配せず、黒人を完全に排除した。黒人民族主義者たちが抵抗運動を立ち上げたとき、白人政府は非常事態宣言を発し、市民権を凍結して、国際的な非難とさらなる貿易制裁を招き、何年か続いた旱魃(かんばつ)ですでに苦境に陥っていた経済をさらに急降下させた。
 クルーガーズドープも市民の暴動を避けられなかった。近隣の黒人が住む町も抗議運動に加わり、政府庁舎を爆撃した。1990年には、アフリカの民主化運動のリーダーで〈アフリカ民族会議〉を率いていたネルソン・マンデラが、27年に及ぶ獄中生活から解放された。その4年後にアパルトヘイトは廃止され、多民族による初の選挙が行われた結果、マンデラは南アフリカ共和国で民主的な選挙により選ばれた初めての大統領となった。
 政治的隔離と景気後退の何年かで、ウェスト・ランド地域のほかの町と同様、クルーガーズドープにも白人貧民の住む無断居住者キャンプができた。アフリカ南部の調査ジャーナリスト、ジョン・グロブラーは、〝アフリカーナ人が大半で、ほとんどが貧しく、その結果、その地域から相当数の犯罪分子が生まれた〟と書いている。厳しく執行するか、まったく執行できないかのどちらかで、生命を守るのがやっとという法制度しかない南アでは、白人も有色人種も黒人も生き延びるためにやれることをやるしかなかった。
 ルルーの家で何があったかは、いまもって謎だ。ときおりルルーはこんなふうにほのめかした。子どものころは物質的な貧困こそなかったが、感情的に不毛で、実母は病弱、実父は家族を捨てて出ていった。実父はダイヤモンドの密輸という記録に残らない副業を開拓し、自分を南アの暗黒社会に引き合わせた、とも。ルルーの子ども時代と10代については詳細が確認されていない。長年彼を知る何人かの説明によれば、ルルーはその場しのぎのことを口にしては人を操る名人で、噓つきだった。口癖のように不平をこぼす人間ではなかったが、欲しいものが手に入るなら、自身をオリバー・ツイストやホレイショ・アルジャーの作品の主人公に見立てることもいとわなかった。
 以下の点だけは疑いの余地がない。ルルーの10代の何年かは、よそ者にとって最悪の時間だったし、彼はどこから見てもよそ者だった。白人のほとんどがアフリカーンス語を話す土地で英語を話すローデシア人であり、黒人とアジア人が人口の85パーセントを占める民族構成中の白人だった。白人は経済と社会の頂点にいたが、人付き合いが苦手で太っていたルルーは、学校の友達があこがれるスポーツはどれもうまくやれず、いかした子たちにうまく溶け込むことができなかった。
 だからコンピュータに埋没した。南アの専門学校でプログラミングを学び、すぐにクラスメートや先生を追い越して、自力で新しい技術を身につけていった。
 1992年に最初の仕事を手に入れ、ロンドンに本社を置いて顧客に文書管理システムを提供していた、BEIインターナショナルという情報技術コンサルティング会社で働いた。企業や銀行、法律事務所、政府省庁のために、ネットワーク・セキュリティ・システムと記録情報管理システムを暗号化した。サイバーセキュリティというまだ生まれたばかりの事業分野で、先を見越したように専門技術の開発を心がけ、コンピュータとコンピュータ・ネットワークを強化した。事業体や諜報機関、なりすまし屋や有害ハッカーが巧妙な電子経路を切り開いて極秘データが保存されているコンピュータへ侵入する事象が増えるにつれ、この市場はたちまち倍化し、さらに倍化を繰り返した。
 人脈も先行きの見込みもなかった若者にとって、これは興味深い──もしかすると画期的な──選択肢だった。ロンドンにたどり着いたときは、友達もおらず、無気力で、みすぼらしい孤児のような状況だった。実業家たちが権力を振るって稼いでいる分野へ導いてくれるような、家族や友人はいなかった。角部屋のスイートルームや会員制クラブはまだ、アイビーリーグやオックスブリッジなど高等教育機関を卒業した男(と少数の女)に独占されていた。ルルーのような、がさつでこれといった資格もないアフリカ南部出身の白人が、マティーニとココナツ・シュリンプを前に滔々(とうとう)と弁舌を振るう、ダボスの〈世界経済フォーラム〉のような場へ招かれることは絶対になかった。
 それでも、サイバーセキュリティの専門家という立場を生かして、錚々(そうそう)たる組織のデジタル脳内を好きなだけ放浪し、サーバーやネットワーク接続をいじり回しながら過ごすことはできた。銀行や企業、法律事務所、政府省庁の電子的な神経中枢が彼を迎え入れてくれた。ふだんは無視され、軽く見られていようと、進取的なITセキュリティの専門家は権力を持つ大きな機関が最も基本的なレベルでどのように機能しているかを観察し、多くを学ぶことができた。
 その気になれば、自分の力を使って大量のデータを探し出し、破壊することもできただろう。だが、それはしなかった。彼はいわゆる〝荒らし〟ではない。革新者(イノベーター)になる運命だった。
 ロンドンでオーストラリア人の若い女性と出会い、結婚した。1994年、彼女とシドニーに移り、ニュー・イアラ・オブ・ネットワークス(NEON)という会社に入った。結婚生活は長続きしなかったが、彼はオーストラリアの市民権を取得し、同国のパスポートを手に入れた。その後はローデシア人かオーストラリア人と名乗ることが多かったが、パスポートはオーストラリアのものを携行した。ナイフを突きつけられたとき「これがナイフだ」と言って、もっとずっと大きなナイフを取り出して見せたクロコダイル・ダンディーの、恐れを知らない豪胆さが彼の心に響いたのかもしれない。
 離婚後、雇われのサイバーセキュリティ専門家として、根なし草的な暮らしを再開した。NEONからクリプト・ソリューションズという会社に移り、ロンドン、香港、バージニア州、シアトルを飛び回った。
 ルルーは後日、イギリス滞在中に、第二次世界大戦時のナチス・ドイツの暗号〝エニグマ〟を解読したことで名を上げた伝説的な無線諜報機関、〈政府通信本部(GCHQ)〉のコンサルタントも務めたと主張している。確認はできないが、説得力のある話ではある。〈GCHQ〉は設立時のブレッチリー・パークから、技術系の人々が集まるチェルトナムの貸し間(ディグ)に移転していたが、まだ冒険物語と謎のオーラに包まれていた。ルルーをスパイと呼べるかどうかは疑問だが、極秘機関の〈GCHQ〉で仕事をしたのが事実なら、イギリス諜報機関の機関室から貴重な知識を得たことだろう。
 一九九七年、ロンドンにおける幕間(まくあい)劇のひとつで、ルルーは彼の運命をちらりと見せてくれる若者と出会った。ミュンヘンにサイバーセキュリティと電子機器のコンサルティング会社を持つ、ヴィルフリート・ハフナーという草分け的な若き起業家だ。細身の体、こざっぱりとした服装、眼鏡をかけ、卵のようなつるんとした禿げ頭。ハフナーはルルーより七カ月先に生まれた二五歳で、かつては悪名を馳せた凄腕(すごうで)のハッカーだったが、体制側に寝返って何社かを経営するようになり、産業スパイや妨害工作員からデータを守る方法を政府や企業に助言していた。世間で一目置かれるような投資家たちを擁し、香港からリオまで広がる人脈があった。物腰柔らかな世界市民のように見えた。初めて会ったとき、ルルーはハフナーのきびきびとした態度と、非の打ちどころのないあつらえのスーツに感銘を受けた。ローデシア人の彼はそれまでスーツが欲しいと思ったことが一度もなかったが、このスーツだけは欲しくなった。暗い色のウール地から重厚なイメージが伝わってきて、肩から裾まで優美にぴったり体を包み込んでいるところから、仕立屋に払った金額が想像された。「なんと言うか、君は着こなし方を知っている男だ」と、ルルーは言った。
 ハフナーの前にいたのは、ぶかぶかのTシャツとカーゴパンツというプログラマーの標準的な制服に身を包んだ二四歳の太っちょだった。離婚して自活していたルルーはジャンクフードを常食にして、必死に家賃を稼ぎながら、IT業界の隷属状態から抜け出す方法を探っていた。「彼が不幸だったのは、カネがなかったからだ」と、ハフナーは回想している。「人間らしい暮らしをしていなかった」
 しかし、ルルーには別のものがあることに、ハフナーは気がついた。この時点で、それはハフナーの次の製品ラインにとって必要不可欠なものだった。ルルーはベアメタルの暗号(コード)忍者だった。機械と話すことができた。進歩した現代的なプログラミング言語に加え、専門用語で〝低水準言語〟とか〝アセンブリ言語〟〝マシン語〟と呼ばれる古いコンピュータ言語を習得していた。これらの言語には、コンピュータ時代の夜明けである1940年代から60年代前半にかけて数学者と電子ハードウェアの設計者が考案した文字列と数字と記号が用いられた。彼らはオペレーティング・システム(OS)が作動する前に、コンピュータの未加工ハードウェア──シリコンチップそのものなどの可動部品──と意思疎通をする。低水準言語を用いた技術をわざわざ習得しようとするプログラマーはめったにいない。画面をきれいに見せるウェブデザインやイメージ・ディスプレイなどのありふれたタスクは、現代の〝高水準〟プログラミング言語を使っていて、そのコマンドは英語で書かれているから、比較的操作しやすかった。
 顧客の極秘データを暗号化するためのコードを書いていたハフナーの技術者たちは、低水準言語の知識が必要になる大きな問題に遭遇した。ハフナーは周囲の人々に訪ね回った結果、ルルーを紹介され、この男は彼を失望させなかった。2、3日で手早く問題を解決してくれたからだ。
 その二年後にハフナーは、起業家の卵なら絶対に断れないような申し出──CTOの肩書──を手に、ふたたびルルーを訪ねた。報酬が増えるのはもちろんだが、いちばん大事なのはベンチャー企業の全面協力者(フルパートナー)という確固たる地位だ。ハフナーには〝フルディスク暗号化〟もしくは〝ディスク全体暗号化〟と呼ばれる次世代暗号化技術の、先駆的な新会社を立ち上げる構想があった。この当時一般的だった、電子メールやテキストメッセージを一度にひとつずつ暗号化する作業は、骨が折れるだけでなく不充分でもあった。銀行、企業、政府機関が紙からデジタル保存へ移行して、ハードディスクの容量が増大するにつれ、人々は自分のラップトップにこれまでにない大量の極秘情報を保存し、それをあちこち持ち歩いて、ときにはタクシーや地下鉄やカフェに忘れてきた。ときにはこういう機械がひそかに標的にされ、オフィスやホテルの部屋に侵入するスパイや、ロシア、中国、イランなど抑圧的な国々の出入国管理官の手によって中身が取り込まれることもあった。機械全体を保護し知的財産の盗難を防ぐには、解読できない重層的な暗号化システムで包み込むしかない。技術的にかなりの難題だった。
「プログラマーはビーチの砂粒の数くらいいるが、フルディスク暗号化を開発できる技術力を持つのはほんのひと握りで、1パーセントに満たない」と、ハフナーは言った。ルルーがその黄金の一パーセントだったのは、低水準言語の知識だけでなく、さまざまなタイプの問題を数多く解決できる能力にあった。どのプログラマーも、ほかの誰かがしたことをそっくり真似(まね)ることはできる。技術革新には、これまで行われたことがないことをどうすれば行えるかを想像して実行に移せる人間が必要になる。
「ポールは類いまれなプログラマーだった」と、ハフナーは語っている。「私が知る中でも指折りの、優秀かつ重要な技術者だった。名案を思いつく技術者はたくさんいるかもしれないが、ポールはその着想を形にする方法を知っていた。もしくは、それを見つけてくる方法を。多くの人間があきらめるところを、彼はとことんやり通す」
 しかし、フルパートナーになる以上、さすらいの生活を捨てて腰を落ち着け、指をキーボードから離さず、機械にしか聴き取れない魔法のサイバー交響曲(シンフォニー)を何年か奏で続ける必要があった。その点を明確にするため、ハフナーはメルセデス500SLにルルーを乗せて、コートダジュールの街アンティーブの別荘へ向かい、この会社に火が灯(とも)ったら手に入るかもしれない贅沢を見せた。
 ルルーは心を動かすのが難しい男だった。ほかの人々、つまりクロード・モネやアンリ・マティス、パブロ・ピカソ、イーディス・ウォートン、サマセット・モーム、グレアム・グリーン、F・スコットとゼルダのフィッツジェラルド夫妻、コール・ポーター、ルドルフ・ヴァレンティノ、アルフレッド・ヒッチコック、ボノ、ミック・ジャガーらを立ちすくませた偶像的風景、つまり紺碧(こんぺき)の空と海にも、彼はまるで心をそそられなかった。フィッツジェラルドが『グレート・ギャッツビー』を書きおえて『夜はやさし』を書き始めた場所、映画『素直な悪女』でブリジット・バルドーが裸足(はだし)で踊ったサントロペの麝香(じゃこう)の香り漂うカフェ、ジーン・セバーグが『悲しみよこんにちは』でデボラ・カーを死に追いやった断崖。彼はピカソ美術館にさえ、行きたいとは言わなかった。映画『泥棒成金』でグレース・ケリーとケーリー・グラントがいちゃつく場面をアルフレッド・ヒッチコックが撮影した、映画祭の聖地カンヌのロココ調ホテル〈カールトン〉で、豪勢なロブスター・ディナーでもどうかとハフナーが提案したときも、ルルーは断った。Tシャツと半ズボンとビーチサンダルにこだわる彼は、錚々たる映画スターたちが大理石のテラスをぶらついていて居心地が悪い、と不満を口にした。ビーチサイドのフィッシュ&チップス店で充分だという。
 彼が大金持ちを見て雷に打たれたような衝撃を受けたのは、アンティーブの〈国際ヨットクラブ〉と〝百万長者・億万長者埠頭(ふとう)〟を訪れたときだ。地元のフランス人はそこを「偽造貨幣の入り江」と呼んでいた。きらきら光る青い海を行き来しているのは、ロシアの新興財閥やギリシャの海運王やペルシャ湾の族長(シーク)が所有するスーパーヨットだ。このつややかな巨大海獣(リバイアサン)には、007シリーズに出てくる悪党も息をのみそうな設備があった──ヘリコプター一機、ときには二機と、ヘリの発着所、ジェットスキーなどの用具類を備えたプールとスポーツコート。肌の色が薄い大柄なロシア人やウクライナ人の武装警備員がM4やウージーを携え、いつでも撃てる体勢で立っていた。デッキチェアは驚くほど美しい娘たちに彩られていた。気難しい愛人かボスにやられたのか、目のまわりの黒あざをシャネルのサングラスを調節して隠している娘もいた。サクランボが三つ出たスロットマシンのように、ルルーの目がぱっと輝いた。頭の中のスイッチが入ったのだ。思い返せば、これが無名の若きプログラマーが〝ルルー〟になった瞬間だったのかもしれない。
「ここにたどり着きたい、と彼は言った」ハフナーが回想する。「ヨットを持ちたいという意味ではなく、ヨットを買えるだけのカネを持ちたいという意味だ。彼は計算を始めた。誰かに一億ドル以上のヨットを買うカネがあるなら、その男が最初にするのは家を買うことで、次にセカンドハウスを買い、車を買い、ヘリコプターを買い、最後にヨットを買う。ヨットが一億ドルなら、その男にはもっとずっとたくさんのカネがある。ヨットを毎日清掃する人たちの人件費その他も支払えるだけの。この人たちはどれだけのカネを持っているのかと、彼は考えていた。そこに自分もたどり着きたい、と」
 ロシアの新興財閥が手にしている資産一式が欲しかった。スーパーヨットだけでなく、キャットアイメイクをしてサンダルや太股(ふともも)まである黒いブーツを履いたパーティガールたち、海岸の崖の上に立つ別荘、ロンドンのタウンハウス、香港のアパートメントにパリのアパルトマン、フェラーリ、筋骨隆々の大柄なボディガードもだ。
 二人でモナコを訪れ、金色に輝く〈カジノ・ド・モンテカルロ〉へぶらりと入ったとき、彼の贅沢への欲望は膨らんだ。このときばかりはネクタイなしのルールを適用せず、ハフナーが恰幅(かっぷく)のいい石油会社の重役から借りてきたシャツとスーツを着せてハフナー自身のシルクスカーフを太い首に巻かせても抵抗しなかった。ハフナーは賭け金の高いルーレットのテーブルでルルーにチップをひと山買い与えた。めまいがした。そこではロシア人がウォッカを何リットルも消費していて、スティレットヒールと二、三のスパンコール以外ほとんど身に着けていない美女たちがいた。彼らは笑い声をあげ、グラスを合わせて乾杯しながら、チップと紙幣を大量に失っていった。ルルーがギャンブルに興味を持ったのが、ハフナーにはわかった。客はギャンブルに依存している。どんな種類であれ依存症の人間は信頼の置ける顧客になる。カジノはいったいどれだけのカネを荒稼ぎしているのか! 胴元(ハウス)は負けない仕組みになっている。ルルーはこの認識を将来のためにしまい込んだ。
 ルルーはハフナーと手を組むことに同意し、2年間はうまくいった。オランダのロッテルダムに住み、インターネット経由の在宅勤務でハフナーや社員と力を合わせた。ルルーにはつむじ曲がりなところがあることに、ハフナーは気がついた。人に盾突かずにいられない。必要のないときに噓をついた。誰をどう手玉に取ったか、好んで自慢した。同僚に噓をつき、そのあと自分がどんなことをしたかをハフナーに話して、大笑いした。
「彼は名優だ。別の目的を達成するために、真赤な噓を物話れるという点で」と、ハフナーは語っている。
 ルルーは人を使うのもうまかった。「誰かの力を借りて、よく解決法を見つけていた」とハフナーは言う。「インターネットで代行してくれる人間を探すんだ」ルルーはほかのコンピュータおたくたちから数々の力を借り、ふつうなら料金が発生するような知識を無料で手に入れてきた。
 ふだんは冷静に振る舞っていたが、ときおり激しい怒りを爆発させたり、他人に対する軽蔑を露(あら)わにしたりした。一度、ハフナーと電話で話しているとき、ハフナーが図った便宜を小ばかにした。ハフナーはすぐ電話を切った。ルルーは電話をかけ直してきて、泣きながら謝った。ルルーのためにわざわざしたことをこき下ろされては怒るのも当然で、侮辱と受け取られても仕方がない、とハフナーは言った。そして石のように冷たい声で言った。「余計なお世話だったようだな」
 ルルーはまた泣きながら謝った。二人は休戦に同意した。
 2001年、ハフナーは新会社セキュアスターを正式に立ち上げ、同年11月にセキュリティソフトのドライブクリプトを市場に出した。彼らの前途は洋々だった。
 ところが、なぜかルルーの気分が暗転した。製品発売から2、3カ月経(た)った2002年、ルルーは会社のペース設定と自分への支払いに不満がある、とハフナーに告げた。「自分には野心がある」彼は不満げに言った。「カネが必要なんだ」贅沢な暮らしがしたい、とルルーは言った。少し前にリリアンという国外で暮らしている台湾人女性と再婚してもいた。息子が生まれた。2人でもうけることになる4人の子どもの第1子だった。
「暗号化ソフトは隙間市場だ」ハフナーは告げた。「手がける事業を間違えたな」会社は最終的に利益を生むだろうが、ルルーが望んでいたほど華々しくではないし、すぐにでもない。ハフナーはコスタリカのオンラインカジノ業界に紹介しようと持ちかけた。あそこは優秀なプログラマーを必要としているはずだ。
 ルルーは興味を示した。モンテカルロのカジノに行った夜のことは忘れていなかった──政治集会で舞う紙吹雪のように紙幣を投げ散らしていたギャンブル依存症の人間たちのこと、彼らの所有する金(きん)や車や女たちのことを。ひとつ問題があった。カジノの好機を追い求めるにはコスタリカへ移住しなければならない。幼い息子をどうする? ハフナーには、電話の後ろで生後5カ月くらいの赤ん坊の泣き声が聞こえた。リリアンはどうする?
「女房と子どもは捨てる。問題ない」ルルーはそう言って笑った。「南米の女のほうがきれいだそうだ」
 ハフナーは愕然とした。妻子を捨てるなんて、よく言えたものだ。彼はパートナーの性格に少しずつ不安を募らせていった。ルルーは2、3カ月前、自分は養子なのだと語り、実父のことを「どうでもいいやつだ」と言った。ハフナーはショックを受けた。自分の父親のことをそこまで悪く言えるものなのか? ハフナーが生まれ育った場所では、冗談にでも親をばかにするような発言をする人間はいなかった。
 そんなとき、ルルーが盗みをはたらいていることにハフナーは気がついた。セキュアスターに付与されている貴重な一連のコード所有権に手を付け、こっそりイギリスの会社に売っていたのだ。社内の別の技術班がコードを書き、それがクリプトキーと呼ばれるセキュリティ装置を駆動させる。書くのに困難を極めるため、一連のコードには10万ドルの価値があり、闇市場ならたぶんそれ以上の高値がつくだろう。
 ハフナーが対決したとき、ルルーはコードをくすねたことを否定しなかった。下手な言い訳をいくつかした。ハフナーは彼を解雇したが、困惑してもいた。CTOが同僚に不正をはたらくなんて、信じがたい。いったいなんのために? ルルーは盗みをはたらく必要などなかった。なのに、セキュアスターでのチャンスをふいにした。会社の成長にともない、彼の利益配分も増えていったはずなのだ。少し辛抱していれば、10万ドル以上の年収が約束されていただろう。値段のつけられないものも失った──良き師であるハフナーとの関係を。今後も含めて、人生で出会った同年代者との、唯一無二の友情に近い関係を。
 あるソフトウェアの所有権について2004年に行われた短い争論は別にして、ルルーはハフナーの人生から姿を消した。その後、2008年のある日、ハフナーの古いヤフーメールのアカウントにメッセージが飛び込んできた。〝やあ、どうしてる?〟ルルーからだった。ハフナーの怒りは収まっていたし、彼は事業戦略上、とりあえずカードをそばに保持し、長期的な敵を作らないよう心がけていた。ルルーはふたたび連絡が取れたことに興奮しているようだった。友好的で、礼儀もわきまえ、前より大人になった感じがした。ちなみにと、ハフナーは、軍や政府の要望を満たすために電話の傍受を防ぐソフトを開発しているところだと伝えた。フォーンクリプトと名づけるつもりでいて、あと300万ドル調達できたら、すぐにでもこのベンチャー事業を本格的に始動する、と。
「2000万ドル以上稼いだから、そのカネを投資したい」とルルーは言った。「セキュアスターに投資できたら光栄だ」
 ハフナーはルルーに戻ってきてほしいと思っていたわけではなかったし、次のひと言でその考えは固まった。「次のマイクロソフトになれる気がする」ルルーは陽気に言った。「事業計画を送ってこい」
 ルルーは強気に出すぎた。「事業計画を送ってこい」という高圧的な言い方は無作法にも程があった。ハフナーは信じられない気持ちで、儀礼的に耳を傾けていた。ハフナーの事業への出資者は長年の個人的な友人たちであることを、ルルーは知っていたはずだ。その友人たちは入念な事業計画を要求したりしない。ハフナーが計画について語り、彼らがそれを気に入って投資することもあれば、しないこともある。そういう関係だ。ルルーは物語を書き換えようとしている、と思った。つまり、昔のボスには嘆願者の役どころ、自分にはかつてのボスが売り込みたがっているエンジェル投資家の役柄を割り振ろうとしているのだ。
 ルルーは信用詐欺を企んでいるのか、それとも、ハフナーの事業の次の動きについて情報を探り出そうとしているのか。
 ルルーは2000万ドル稼いだと言うが、ハフナーは信じなかった。会社の同僚にこの話をしたとき、ルルーは自滅した貧しい変わり者に過ぎないという結論に2人とも至った。
「いったいポールはどうしてしまったのか、いまだに理解できない」と、その同僚は言った。「彼はいっしょに仕事をした中でいちばん優秀な男だった。トップに上り詰めていてもおかしくなかったのに。まったく愚かなことだ」
 ルルーが大成功を収めていたことを彼らは知らなかったし、知りようもなかった。ルルーは2000万ドルどころか、もっとはるかにたくさん持っていた。医薬品で世界最大の闇電子商取引会社を設立していた。100ドル札と500ユーロ札がぎっしり詰まった箱がいくつもあったが、もっと手に入れる必要があった。ナルシシストは満足することを知らないからだ。
 彼はこの時点で、映画監督のジョン・ヒューストンがフィルム・ノワールの傑作『アスファルト・ジャングル』で言った〝左利きタイプの努力〟に全力をそそいでいた。起業家らしく振る舞うことに使命感を抱いていた。自分の同世代、つまりルルーより一歳半年上で、すでにいろんな形で主流経済を大小さまざまに揺るがしていた南ア出身のイーロン・マスクや、ルルーより9歳上でやはりささやかな財力から1994年にアマゾンを創設してオンライン小売業の巨大帝国を築き、2018年時点で世界長者番付の一位となる途上にあったジェフ・ベゾスに代表される起業家精神に。マスクとベゾスはともに、ソフトウェアの開発やオンライン書店という創業時の事業から大きく方向転換して、宇宙探査のベンチャー事業を立ち上げていた。
 ルルーの革新はかならず暗黒面へ向かった。異なる種類の数多くの犯罪を試していた──けちなものから衝撃的なものまで、そして、知的なものから暴力的なものまで。
 そのすべてを通じ、ローデシアで吸収したと思われる〝仕事に打ち込み、惜しみなく弾を使い、いつでも飛び出せるよう準備をしておく〟という考え方を拠(よ)り所にした。
「自分が捕まるとしたら相手はアメリカの機関だろうと、彼は思っていた」と、ジャックは語っている。「どこなら安全かわからなかった。いろんな場所に数多くの隠れ場所が必要だった」最終的にルルーは、身柄の引き渡しから自分を守る外交上の地位を手に入れようと、スイスの大立て者に贈賄を試みて失敗する。イランという聖域がもうひとつの選択肢になった。イランのDIOと連携してきたから、政治亡命の必要が出てきたらテヘランは受け入れてくれるだろうと、ルルーは踏んでいた。しかし、ひとつ問題があった。イランで白人の巨漢は目立つ。それに、宗教的狂信者とイスラム革命防衛隊に厳重管理されている国は、自由気ままで神を敬わない戦争成金の女好きにとって魅力的な行き先ではない。
 ルルーの中のローデシア人が出生地へ戻れと、彼をしきりに引っぱっていた。2007年から08年にかけて、彼は当時のジンバブエ大統領ロバート・ムガベに近いとされるイスラエルの兵器商人アリ・ベンメナシェに1200万ドルの賄賂を渡した。ムガベが2000年に命じた土地改革で、白人の農業従事者から押収した大きな土地の一角を借り受けたかったからだ。だが、望みのものは手に入らなかった。大農園は手に入らず、カネも戻ってこなかった。
 ルルーは別の方針を試みた。2009年、安全な隠れ処の候補地を探すようジャックに命じ、何度かジンバブエの田園地方へ送り込んだ。細かい指示を与えた。大農園式の白い柱を備えた植民地時代の別荘で、それなりの面積があり、〝曲がりくねった大きな車寄せの道〟があるところを探すこと。この表現は、紳士的な白人農園主たちがアフリカ南部の緑の丘で遊び暮らした過ぎ去りし時代へのノスタルジック幻想をほのめかしている。もっと冷淡な人々は〝ベランダ農園主〟と呼ばれた。怠惰な昼と快楽的な夜を喚起させる言葉だ。彼らは大きな玄関先で冷たい飲み物を口にし、農園の黒人労働者の骨折り仕事を遠くから観察し、日が暮れると晩餐に出かけ、ほかの農園の退屈している奥様方と乱痴気(らんちき)騒ぎを繰り広げた。
 子どものころ、白人だけの学校に通っていたときは、恐れを知らないイギリス人入植者が緑の生い茂る何もない平原を手なずけ、苦労の末に文明を創り上げたという、〝パイオニア神話〟を教えられたことだろう。ローデシアは血と噓で創設され、維持されてきたと教えられたとは、とても思えない。先に引用したイギリス人ジャーナリストのリチャード・ウェストによる『アフリカの白い部族』には、〝ローデシアはペテンから始まった〟と書かれている。ダイヤモンド王セシル・ローズと彼の経営するイギリス南アフリカ会社が、ダイヤモンド、宝石、金、銀、銅、クロム、鉄など貴重な鉱物が大量に埋蔵されているとの報告に誘われ、1890年にそこをイギリスの領土と主張した経緯を、ウェストは年代を追って詳述している。彼らはブラワヨで部族王を言葉巧みに騙し、月100ポンドと銃と船を提供するという約束で金属と鉱物の採掘権を譲渡させたが、この約束が守られることはなかった。
 1896年に先住の人々が反乱を起こしたとき、イギリス部隊とローデシアの民兵は彼らを根こそぎ殲滅(せんめつ)した。歴史学者のピアーズ・ブレンドンは恐ろしい残虐行為を記述している。イギリス兵と入植者は村々と穀物貯蔵庫の収穫物に火をつけた。男と女と子どもを虐殺し、記念品として耳を集め、犠牲者の皮膚で煙草を入れるポーチを作った。その結果、大規模な食糧不足が起こり、住民は木の根っこや、猿、疫病をもたらす畜牛の死体を食べるしかなくなった。ブラワヨの路上は南アフリカ共和国へ脱出を試みる瘦せ衰えた難民に満ちていた。
 ルルーは母国がたどった屈辱的な帝国の歴史には興味がなかった。欲しいもの、つまり大農園、ランドクルーザー、レンジローバー、媚(こ)びへつらう使用人、女が欲しかっただけだ。
 ジンバブエは「彼にとって故郷だった」と、ジャックは言う。「しかし、自己愛(ナルシシスト)的な彼の心は、ムガベからあの土地を取り戻したかったのかもしれない。ジンバブエに特別な感情を持っていたのは確かだ。欲しいものを手に入れるのが目的だから、ムガベのような邪悪な人物と取引しなければならなくても、それはそれで仕方がない。自分の取り分が得られればそれでかまわない。人のことはどうでもいい。彼にとって、他人はみんな猿みたいなものだ。それでも、自国の一部を取り戻すことが、彼にはどこか大事なことに思えたのだろう」

CHAPTER4 黒い雲

 2004年、ルルーはRXリミテッドという会社を立ち上げた。
 フィリピンの首都マニラへ居を移し、そこを活動拠点にしたのは、客の注文に応じて販売を後押しするコールセンターに安価な労働力を提供してくれるからだ。同じくらい大事なことに、フィリピンの法制度が汚職にまみれている点があった。カネで口止めができる。
 彼はインターネットのドメイン名を数多く登録した。

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 自社のウェブサイトと複数のサーバーで手作りの黒い雲を設置した。キーボード上で何度か交信するだけで、創業者になれる。新経済(ニューエコノミー)では、創業者はロックスターだ。工場も、従業員も、理事会も、事業計画もなし。それでどこにも問題はない。科学技術(テクノロジー)の時代には、いいアイデアさえあれば誰でも会社を立ち上げることができたし、ルルーにはそのアイデアがあった。
 錠剤(ピル)だ。
 人を良い気持ちにしたりどん底に突き落としたりするパステル色の小さな錠剤が、紙幣でできたソファで丸くなって眠れるくらい自分を金持ちにしてくれる。船、車、別荘、飛行機、脚の長い娘たちをくれる──つまり、自由を。
 この天才的発想がどこからどのように生まれたのかは定かでないが、天才的だった点は間違いない。後日、彼は、秘密の麻薬取引に自分を導き入れたのはかつての上司だとハフナーを糾弾したが、いくつかの理由から、この説明には説得力がない。コスタリカのオンラインカジノ業界の誰かから、処方ドラッグ業を入れ知恵された可能性のほうが高そうだ。
 いずれにしても、ドンピシャのタイミングだった。名声を確立していた麻薬カルテルが到来を予見できなかった波──いや、津波──に乗れる、理想的な状況にあった。合法と違法、両方の業者にとって世界最大の薬品市場であるアメリカでは、パブロ・エスコバルやエル・チャポの類いが密売する末端の〝汚い〟クスリが落ち目になっていた。同国ではウィリー・ウォンカ[『チャーリーとチョコレート工場』の登場人物]が作ったかのような錠剤がはやっていた。
 アメリカ政府の年次調査によれば、2004年には、友人や親類の戸棚から、無節操な医療専門家が営む薬物処方所(ピル・ミル)、路上の売人に至るさまざまな非正規ルートを通じて、720万のアメリカ人が定期的に医薬品を乱用していた。その数はコカイン、ヘロイン、メタンフェタミン、幻覚剤を合わせた麻薬の習慣的乱用者370万人の、ざっと二倍に上る。錠剤以上の票を獲得した唯一の物質はマリファナで、2004年には1460万人の常用者がいた。コカインは需要の急落傾向が際立ち、クラック・コカインの流行が最高に達した1965年に580万人いた常習者が、2004年には200万人に減っていた。街角で手に入るほかの薬物も輝きを失っていた。同じ調査の推定によれば、2004年時点でヘロインを常用していたのは約16万6000人。メタンフェタミンは58万3000人。幻覚剤は92万人。(2017年までにコカインの常習者はさらに190万人まで減少したが、ヘロインの使用者は三倍の47万5000人に増え、その多くはオピオイド処方薬依存の蔓延に巻き込まれたあと、大量に出回っている安価な路上薬物に乗り換えた)
 この数字はきわめて魅力的なビジネスチャンスだ。アメリカにはせっせと錠剤を買い入れる潜在的顧客(見込み客)が少なくとも700万人いて、世界のほかの場所にもおそらく同じくらいの数がいた。闇市場は、2014年で収益1兆ドルを超えた世界製薬市場のほんの一部に過ぎなかったが、大金を生み出すに充分な規模ではあった。隙間市場とはいえ、まさしくルルーが探し求めていた類いの隙間だった──まだ飽和状態になく、成長の余地が大きい。
 さらにありがたいことに、市場調査や市場開拓にはいっさい費用がかからなかった。製薬産業が広告をはじめとする販売促進に何十億、何百億、何千億ドルと惜しみない費用を投じ、何十年もかけて錠剤のイメージを形作ってきてくれた(ある推計では、大手製薬会社の2004年の広告費は330億ドルに上った)。製薬会社の広告では、製品はかならずぴかぴかの施設で製造され、白衣を着た医師の手で調剤されている。医師たちの手で! 医師には誰も文句をつけられない。
 ルルーのウェブサイトも同じような作りを踏襲した。your-pills.comのホームページは2005年5月14日、男女1人ずつの写真を前面に出した。どちらも医師の白衣を着た白い肌の持ち主で、典型的なアメリカ人に見えた。このサイトは、〝アメリカで認可を受けた我が社の医師があなたの注文内容を確認し、処方いたします。次に、アメリカで認可を受けた薬局がそれを出荷し、フェデックスの翌日お届け便でそっとお手元に〟と請け合っていた。
 matrixmeds.comのホームページは2005年9月1日、手術着に身を包んだ映画スターのハンサムな男性の写真をアップし、オンラインで買い物をすべきじつにもっともな理由をすらすらと述べている。〝待合室、会社の欠勤、車の渋滞、きまりの悪い思い、必要もないのに並ぶ長い列に、なぜ我慢するのでしょう! 我が社の比類なきシステムで、あなたの元へ明日、処方薬をお届けします。我が社が投票で1位になったのは当然のこと。決めるのはあなた。避けられる苦しみを我慢する必要はありません。この上ない充実した人生を送りましょう! より良い人生のスタートを今日切るために、医薬品を手に入れましょう〟そして、以下のように付け足している。〝Matrixmeds.comでアメリカ合衆国の処方薬〟を手に入れましょう。Matrixmeds.comはカナダのオンライン薬局ではありません。Matrixmeds.comはイギリスのオンライン薬局ではありません。Matrixmeds.comはメキシコのオンライン薬局ではありません〟どれもみな本当だ。だが、その薬局がマニラ在住の南アフリカ共和国民が創り出したサイバー空間に存在することは完全に違法だった。
 cheaprxmeds.comのウェブサイトは別の方針を採り、隣国カナダに比べてとてつもなく高い国内医薬品の値段に対するアメリカ人の不満を刺激した。〝このサイトは資格要件を満たし免許を持つカナダの医師を採用し、カナダで認可された通信販売薬局が直接品物を梱包するカナダの事業体〟であると主張した。
 すべて誇大広告だが、そこには一片の真実があった。ほかの医薬品ネット通販業者と異なり、ルルーは規制のゆるい第三世界から卸値で錠剤を買ってアメリカの買い手に発送するという手法を採用しなかった。購入と在庫の維持、包装、出荷、アメリカの出入国管理を通過するための初期費用が膨大なものになることを、彼は理解していた。この方式には数多くの手が必要になり、数多くのリスクを招く。
 代わりに彼は、アメリカ国内に医師と薬局のネットワークを構築した。自分自身はサイバークラウドのどこかにいる姿の見えないデジタル仲介人として海外にとどまる。見込み客はインターネットに接続し、本物の医師──場合によっては、医師のふりをしている誰か──から提示された質問票に回答する。質問票の回答を読んでデジタル処方箋を書いた人物はRXリミテッドから支払いを受ける。ルルーはネットワーク内の本物と偽物の医師たちに質問票を分配するアルゴリズムを創り出し、それぞれの医師の待ち行列に同じくらいの数の〝患者〟がいるよう調整した。その結果作成された処方箋はネットワーク傘下の薬局へ送られ、そこがRXリミテッドの設定したフェデックスのアカウントで錠剤を客の元へ出荷する。ルルーのコールセンターがクレジットカードによる支払いを回収し、本物や偽物の医師と薬局に支払いをする。
 アメリカの薬局に定められた倫理基準では、患者を直接診た医師から処方箋が送られてきたことを薬局は知っていなければならない。しかし、薬局の行動規範は自主的に設けられたもので、法的拘束力があるわけではなく、その点をルルーは心得ていた。医師たちにも倫理基準はあるが、資格を持つ開業医がみなそれを守っているわけではない。カネが必要で、ネットワークの一員になるためには倫理的な問題にあえて目をつぶるような医師と薬局を集めよう。ルルーはアメリカに代理人を送り込んだ。
 このシステムでは、混ぜ合わせると危険な錠剤や医薬品に顧客が過剰なアクセスをする危険性が高まる。常連客でもその申し込みはさまざまな医師へ無作為に割り振られるため、特定の顧客の購入歴を知る医師はいなかった。医師は処方箋を書いたときしか支払いを受けられない。質問票の回答を見て処方箋の作成を拒んだ医師は一セントも得られない。結果、RXリミテッドの顧客はかならず薬を手に入れることができた。注文した人にはかならず錠剤が届く。RXリミテッドでは通常、1日に5人から10人くらいの医師が勤務し、それぞれが日に50から300の処方箋を承認していた。
 RXリミテッドは自身の取引サイトに加えて、成功報酬型広告を利用し、RXリミテッドの広告をウェブサイトでまき散らしてくれる独立マーケターに手数料を支払った。ルルーの事業管理を手伝ったジョナサン・ウォールの証言によれば、マニラを拠点にするグローバルIネットというコールセンターの従業員は、基本的に、RXリミテッドから薬を買ったことがある個人客に電話をかけてさらに購入を促す電話勧誘員(テレマーケター)だった。苦情や発送その他の問い合わせには、マニラにあるダイヤルマジックという別のコールセンターが対応した。
 リスク管理のため、ルルーは薬事方面の法規に詳しいアメリカの弁護士に相談した。その弁護士から、連邦規制物質法リストに載っている医薬品は売らないよう警告があった。このリストにはオピオイド、ステロイドなどの強力な医薬品だけでなく、ヘロイン、メタンフェタミン、コカイン、マリファナ、LSD、いわゆる〝クラブドラッグ〟のような街角で手に入る薬物も含まれていた。規制物質法リストにある薬品の販売は違法のうえ、DEAに明白な管轄権を与えることにもなり、法廷でも高い確率で敗訴するだろう。
 他方、規制物質法リストに載っていない医薬品でも合法的な処方箋なしで売れば〝虚偽表示〟の法規制に引っかかる。アメリカの食品医薬品局(FDA)が適用する、連邦食品医薬品化粧品法違反だ。司法省は罰金を求めることができるし、悪質なケースでは刑罰を科すこともできるが、そうなることはめったにない。アメリカの検察は重大犯罪用に利用可能な資源を温存する必要があった。ウェブサイトがFDAの規定を無視していても、自国民が危険性の明らかなオピオイドを販売して依存性や死亡事例を蔓延させているのでないかぎり、基本的に、検察は運営者の訴追に時間と努力を費やそうとしない。
 ルルーは弁護士の助言に従い、RXリミテッドの医薬品販売をもっと軽度な商品に限定した。顧客を気遣ったのではなく、DEAに自分を追う理由を与えるような活動は避けたかったからだ。トラマドールやフィオリセット、ソマなどの鎮痛剤や、勃起不全(ED)治療薬のバイアグラ、男性型脱毛症(AGA)治療薬のプロペシアといった規制されていない医薬品の販売で充分大儲けができると彼は判断した(1995年に市販薬としてFDAから認可を勝ち取った弱オピオイド鎮痛剤トラマドールは乱用される傾向が判明し、2014年に規制物質法リスト入りした)。
 法的危険を免れる追加予防措置として、規制されていない薬品の処方外販売が民法や行政法に対する違反行為にはなるが犯罪行為にはならない州でだけ医薬品を販売するよう、彼はコールセンターに指示した。医師への受診なしに処方薬を売ることを禁じているフロリダ、テネシー、ケンタッキー、ネバダの四州には処方箋を出さないようにした。
 クレジットカードの処理をできるだけ広範囲で行い、単一の金融機関には全体像が見えないようにした。処理の大半は資金洗浄が可能な避難所(ヘイブン)として知られる国で行われた。
 特筆すべきは、ニューエコノミーの起業家たちがアイデアを交換するために集まる場所からは遠く離れたところにいたルルーが、数年後にシリコンバレーで大流行する方法論そっくりの事業方式を自力で開発した点だ。エリック・リースが2008年にブログでその方法論を命名し、2011年のベストセラー『リーン・スタートアップ ムダのない起業プロセスでイノベーションを生みだす』[日経BP刊]で詳述している。
 二一世紀の実業界の動きは速すぎて、製品開発や投資銀行業務、取締役会の啓発、重役の雇用、マーケティングに何年かかけるような、伝統的なMBA学派の戦略では追いつけない、とリースは考えた。代わりに、リースはこう提言した。企業家は迅速、機敏に行動し、試行錯誤しながら、確実なリターンが保証される隙間(ニッチ)を見つけなければならない。〝低燃費という意味での無駄のなさ〟と、リースは2008年にブログで書いている。〝もちろん、多くの新興企業(スタートアップ)は資本効率が高く、おおむね倹約的だ。しかし、オープンソースや機敏な(アジャイル)ソフトウェア、反復的開発の活用により、無駄を排したスタートアップは従来よりずっと小さな費用で操業できる〟と。
 創造力を解き放ち、安い(もしくは無料の)技術を活用して費用を最小限にとどめ、機敏に行動することで、新時代の起業家は〝最小限実用に足る製品〟を生み出し、市場テストをして、概念が正しかったという客観的な証拠が見つかったときだけ先へ進む。
 構想と夢にまつわる非現実的(ロマンティック)な考えは捨てること、とリースは主張した。大事なのは数字だ。最初のリターンが確かなものなら、急いで事業規模を拡大する。確かなものでなければ、回れ右して、情熱とエネルギーを次の大きなアイデアの掘り出しに振り向け直す。失敗は恥ずかしいことではない。逆に、敗者への道から賢明な方向転換を図ること、と成功の秘訣を定義し直せば、失敗は時間とカネの救世主になる。
「つまり、〝少ない努力で多くの学習を〟ということです」マネジメント誌『ハーバード・ビジネス・レビュー』のデジタル戦略担当責任者、エリック・ヘルウェグは言った。「『リーン・スタートアップ』が語るのは、考えていることがうまくいくまで持ちこたえろ、ということです──それが確かな反響を呼び、市場に受け入れられるまで」
 ミネアポリス連邦地方裁判所の2005年の公判記録によれば、ルルーはイスラエル人の同僚を通じてモラン・オズというイスラエル人を雇い、RXリミテッドの日常業務を管理させた。オズの弁護士によれば、この仕事を引き受けたとき、オズは合法的な事業だと思っていたし、利他的な事業だとさえ思った。オズの主張によれば、RXリミテッドは健康保険を持たないアメリカ人でも手が届く処方薬の提供を目指している、と彼は説明された。オズはエルサレムの重役室から仕事をした。ルルーはすぐ事業規模を拡大した。オズの弁護士によれば、2007年の時点でエルサレム事務所は30人の従業員をかかえ、テルアビブのコールセンターでは150人が働いていた。ルルーが多くの時間を過ごしていたマニラや、オンラインカジノ事業に関与を続けていたコスタリカのコールセンターには、それ以上の数がいた。マニラとエルサレムの大金を扱う事務管理部門にはイスラエル人を就けることにした。きちんと仕事をするし、民族離散(ディアスポラ)で世界中にコネがあり、アラブ人と違ってテロ対策の搭乗拒否リストに載せられる類いの注意を引くことなく、どこへでも旅ができるからだ。
 法執行機関がもたらす心配より競争相手がもたらす心配のほうが多いことに、ルルーは気がついた。錠剤の闇市場は競争が熾烈(しれつ)で、競合他社とサーバーをハッキングし合い、顧客リストを盗み合い、ソフトウェアを破壊し合っていた。ルルーには、こういう小競り合いに勝利できる万全の備えがあった。自前のサイバーセキュリティ技術で入念な防衛手段を講じた。フィリピン、イスラエル、コスタリカをはじめ、さまざまな国に50超のサーバーを設置し、毎日交代で使った。あるサーバーが侵入の試みを感知すると自動的に活動を停止し、そのトラフィックを別のサーバーへ振り向ける。
 2008年、ちょうどRXリミテッドが巡航速度に達したころ、医薬品ネット通販業の環境に変化が起こり始めた。アメリカ国内で処方薬の乱用が公衆衛生上の深刻な問題になってきたという認識を、行政と国会議員が持ち始めたのだ。同年10月には下院で、処方鎮痛薬ヒドロコドン含有の医薬品(商品名バイコディン)を服用後に死亡した10代男性の名前を冠した〝ライアン・ヘイト オンライン薬局消費者保護法〟が成立した。合法的な処方箋なくネット上で規制物質を配給した場合は重罪に問うとして、連邦規制物質法を強化した。
 ライアン・ヘイト法はVISAカードのネットワークに支払いシステムへの説明責任を果たすよう迫り、加盟銀行にオンライン取引の精査と疑わしい処方薬販売の削減を義務づけた。VISA経営陣は医薬品取引に特別な符号(コード)を割り当ててそれを際立たせ、加盟銀行に会計検査を行うことで要請に応じた。ルルーの電子商取引サイトはVISAのネットワークで代金を回収し、モーリシャス、オランダ、イスラエル、アイスランドの銀行で支払いを処理していた。ルルーは自分のVISAカードを規制がゆるい国の銀行から発行してもらおうかとも考えた。
 ライアン・ヘイト法は彼の計画の妨げになった。RXリミテッドは規制物質の販売にこそ手を付けていなかったが、医薬品ネット通販に新たなスポットが当たったことで、RXリミテッドのクレジットカード払いを処理している銀行や配送会社との関係に疑問が投げかけられる恐れがあった。
 ルルーは銀行システムに欺瞞の絨毯(じゅうたん)爆撃をかけることで、それ以上の調査を食い止めようとした。銀行に偽の書類を送り、新法律の条文に適合しているかに見える偽のサイトを立ち上げた。アメリカン・エキスプレスとディスカバーカードがオンライン医薬品販売業者に〝有効な薬局免許〟の提示を要求してきたときは、複数の認可薬局と契約して、それを隠れ蓑にした。
 驚くべきことに、彼はグーグルのアルゴリズムを出し抜いてのけた。グーグル経営陣は広告主の名前が検索結果のトップに出てくるようにするグーグルアドワーズ[現グーグル広告]のプログラム用キーワードを疑わしいオンライン薬局が買えなくすることで、処方薬乱用阻止に責任を果たそうとしていた。ルルーはグーグルがRXリミテッドの情報を集めるときに使うIPアドレスを特定することで、この問題を解決した。そのうえでグーグルの調査先を、RXリミテッドから、キーワードの購入資格が取り上げられそうな情報を削除した偽のサイトへ向け直した。
 RXリミテッドの成功は脱線を始めていた。痕跡はわずかでも、根絶することはできない──優れた探知技術を持つ人間に見つかって読まれたときには。
 2007年9月、ミネソタ州最大の都市ミネアポリスでDEAの捜査官数名がシカゴの薬局から、疑わしい記録の隠し場所を発見した。その薬局が単一のフェデックスのアカウントで大量の処方薬をさまざまな個人に送っていたことを、この記録は示していた。
 DEAは文書の痕跡からフェデックスのアカウントを突き止め、そこからさらに、そのアカウントを使っている複数の薬局にたどり着いた。アカウントの所有者、RXリミテッドとつながるネットワークがアメリカじゅうに張り巡らされ、100もの薬局が散らばっていた。
 DEAは処方箋の署名の一部について、綿密に身元を調べた。医師もいたが、医師でないこともあった。内科医と偽っていた一人だけで、2005年9月から08年4月までに15万件もの注文を認可していた。処方をしたのが歯科医だったこともあった。ミネアポリスの捜査官たちは自分たちが何を見ているのかわからなかったし、それが連邦裁判所の管轄事案であることも知らなかったが、これだけはわかった──このRXリミテッドは怪しい。彼らは真相究明に努めることにした。インターネットに接続してRXリミテッドから処方薬のおとり購入を行った。RXリミテッド傘下に加わり、質問票への回答をろくに読まずに数多くの医薬品を承認した内科医を見つけ出して、取り調べたところ、この医師は容疑を認めた。
 やがてRXリミテッドの責任者としてモラン・オズが割り出された。DEAはこの男のメールアカウントに捜索令状を取った。何カ月かかけて彼の通信に穴を開け、その上役らしき人物を特定した──フィリピンのマニラに住所がある、ポール・ルルーという人物だ。DEAの標準活動手順に則(のっと)って、彼らはフィリピン当局に問い合わせ、ルルーの情報を求めた。
 調べが入ったことは、たちまちルルーの知るところとなった。彼は〝フィリピン外務省の役人を雇う〟という早期警戒システムを設置していた。この役人のことはルルーもドラグネット・マンという暗号名でしか知らなかった。ドラグネット・マンは大きな報酬の見返りに、アメリカとオーストラリアの法執行機関からフィリピン国家警察へ送られた報告書だけでなく、マニラに配置されているアメリカの法執行機関員と外交官についての資料も不正取得した。そして両方をルルーに提供した。
 2009年までに、自分の防衛手段は万全と確信し、ルルーは拡大計画を強化した。獣に餌をやる必要があった──彼を駆り立てるナルシシズムと欲求に。もっと大きく、もっと悪辣になりたい。

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※本書の無断転載・複製等は、著作権法上禁止されております。
(C)Shiko Tanahashi 2020
(C)K.K. Harper Collins Japan 2020


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