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大切な夢があったこと。今じゃもう忘れたいのはそれを本当に叶えても金にならないから。

僕の好きな曲に、BUMP OF CHICKEN「才悩人応援歌」という曲がある。

今日はこの曲がエモくて心にぶっ刺さるという話をしたい。
この曲を初めて聞いたのは高校生の時だったと思う。最初は、なんか暗い歌だなという感想だった。でも歌詞をじっくり聞いていると共感できる部分が多かった。

この曲の好きなフレーズはたくさんあるんだけど、特に好きなのが1番と2番の冒頭部だ。

“得意なことがあったこと 今じゃもう忘れてるのは それを自分より得意な誰かがいたから”

うん、思い当たることが多すぎる。

小学生のころ、僕は大乱闘スマッシュブラザーズというゲームが得意だった。スマブラというやつだ。得意だった、というよりは得意だと思っていた。せいぜい兄弟でやったり、近所の友達とやったり、コンピュータと対戦したり。でも、中学に入って、小学生までの友達に加えて、新たな友達が加わると世界は変わった。僕は井の中の蛙で、自分よりもスマブラが上手い人がたくさんいた。こうなってくると、もう得意なんて言えなくなってしまう。たかがゲームだけど、得意なことが一つ奪われてしまった。

余談だが、スマブラは必ず学校に一人はスマブラが上手いと主張する奴がいる。色んな所から人が来る中学や高校であれば、「俺は前の学校で一番強かった」と息巻く人たちが一堂に会するわけで、この人たちがスマブラで対戦するのは中々見ものだ。僕はとても一番強かったなんてことは言えなかったけど。

 もう一つ例を挙げるなら、僕は高校のとき学年で成績が上位2番目だった。特段に偏差値が高い高校というわけじゃなかったけど、一応進学コースで、学年で上位2番目というのは、一般的に勉強が得意、といってもいいはずだ。でも、自分よりも圧倒的に勉強ができる人がそばにいると、高校の僕は口をつぐむしかなく、得意だということを言えなくなってしまったし、思うこともできなくなった。もしかしたら、周りから見たら鼻につく態度だったかもしれない。十分勉強できるじゃん、と。でも僕目線で言うと、“僕より成績が上のあいつより”勉強はできない、となってしまう。

 得意っていうのは、一般的な平均から優れていれば得意と言っていいはずだし、何なら、自分の中で出来ること、出来ないことがあって、その中の“出来ること”が得意なことと言えるはずだ。言ってもいいはずだ。

例えば、自分の中で、運動はできるけど勉強はできない、という場合なら運動が得意と言ってもいいはず。でも、自分よりも得意な誰かが身近にいると、得意だとは言えなくなってしまう。得意だというと、見えない誰かに、「でもお前よりも得意なやついるじゃん」と言われてしまいそうで、それが怖くて言えなくなってしまう。頭の中に作り上げてしまう見えない誰かに攻撃されることで、自信はどんどん奪われていく。

そして、2番の冒頭の歌詞

“大切な夢があったこと 今じゃもう忘れたいのは それを本当に叶えても金にならないから”

 大半の人には夢があったと思う。スポーツ選手だったり、アイドルだったり、声優だったり、歌手だったり、芸人だったり。トップクラスになればちゃんと金になる夢もある。でも、大半の人は、もしアイドルになれても人気が出ないとお金は稼げないし、スポーツ選手になってもベンチ選手だったら中々お金は稼げない。そして、中には叶えても賃金が低くて金にならない職業はいっぱいある。

僕は高校のとき、文理選択のタイミングで理系を選んだ。当時は心理学や哲学、言葉の語源を調べるような仕事に興味があった。でも、それをしようと思うと、文系を選択して博士課程まで進まないと厳しそうな感じがして、博士課程まで行っても仕事があるとは限らないなと思った。高校生の時から現実主義だった僕は、金にならなさそうな仕事は早々に断念して、理系を選んだ。しかも、理系から文系に転向する文転はできるが、理転は難しいと言われたことも僕を後押しした。未来の自分に決めてもらおうと思って、決断を先送りにした。当然文転することはなく、ずっと科学の道を突き進んできて今に至る。

今では科学が好きだし、幸いにも小学生の時に一時期夢だった研究職に就けた。高校のとき理系を選んでよかったと思っているんだけど、やっぱり時々、文系を選んでいたらどんな人生だったんだろうと想像する。博士まで行って、まったく専攻と関係ない仕事をしてるのかなとか、それとも心理学とか哲学を研究をしているのかなとか。今では研究者になれたから、あまり忘れたい、という感情はないんだけど、高校の時は結構悩んでいた。

この歌詞でエモいと感じる部分は、1番では“忘れてるのは”という歌詞だったのが、2番では“忘れたい”になっているところだ。

本当はやりたかった。忘れたいけど忘れられない、という心の葛藤を上手く描いていると思う。これは1番の歌詞とも結びついていて、得意なことがあって、なりたい夢があったけど、やっぱり自分よりも能力が上の人がたくさんいて、夢を諦めてしまう。歌手になりたかったけど、どうしても歌が上手くならないとか、スポーツ選手になりたかったけど、プロの道は厳しいと悟って、諦める。時々思い出して、忘れたいんだけど、やっぱり夢を追いかけたかった自分もいて、その心の機微をこのフレーズで表してくれている。

得意なことは忘れちゃってるけど、夢は簡単には忘れられない。そんな想いが込められているような気がする。

他にも、こんな歌詞がある。

”隣人は立派 将来有望才能人 そんな奴がさぁ 頑張れってさぁ 怠けて見えたかい そう聞いたら頷くかい”

 僕はどちらかというと、高校のとき、”将来有望才能人”だと思われていた側だと思う。というか、そういうことをたまに言われていた。でも自分では将来有望才能人だとは思ってなかったし、そんな無責任なことを言われるのが嫌いだった。才能人だと言われるのは、僕が努力してきたからで、才能の一言で片づけられるのは違うと思う。そして、自分の将来なんてわからないし、今後どうなっていくかなんて当時の僕には分からなくて不安でしかなかった。志望大学に合格できるかもわからないし、就職できるかもわからない。

 一方で、逆の立場も経験している。高校のときは学年で上位2番目だったから、常に僕よりも上に凄い人がいた。しかも、僅差で、ではなく、かけ離れた存在だった。僅差だったら嫉妬の気持ちとか出たかもしれないけど、そこまで差を付けられると、尊敬の気持ちしかなかった。でも僕にとっては彼が”将来有望才能人”に見えていた。彼にはそんなこと言ったことはないけど。

 彼に頑張れ、とは言われたことはない。彼とは友達で、僕が頑張っていることを知っていたからだ。でも、僕は誰かに頑張れって無責任に言ったことがあるかもしれない。自分が”将来有望才能人”と思われていたとしたら、僕の言葉で悲しくなってしまったかもしれない。頑張れって言葉は、もちろん応援の気持ちで言ってるんだけど、相手がめちゃくちゃ頑張っているときには、逆効果になりかねない。

じゃあどんな言葉だったらいいんだろう。応援してるよ!とか?すごく頑張ってるよね。あんまり無理しないでねとか?そんな言葉の方が良かったかもしれない。そんなことを今になって思う。

こんな歌詞ばかりだったら、すごく暗い曲なのか、と思うかもしれない。でもこの曲は才悩人、悩める人を応援する歌だ。

才能がある人も悩むし、才能が少し人よりも無い人も当然悩む。

そんな、みんなが抱える悩みに寄り添ってくれる歌だと思う。

この曲を聞いたことがない人はぜひ一度聞いてみて欲しい。

そして、この記事を読んでくれた人に、BUMP OF CHICKENの魅力が少しでも伝われば嬉しい。

おわり。



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