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「海外は進んでいる」「日本は遅れてる」論の気持ち悪さ ~LBGT法案について考える~

「海外は進んでいる」それに比べて「日本は遅れている」という言葉を時たま見かけます。

この言葉を見て常々思うのですが、なぜ外国のやっていることが、絶対に正しいという前提で話しているのでしょうか?

海外は確かに進んでいる面もあるのかもしれませんが、間違った方向に進んでいる可能性もあるのでは?

海外を見習うべき事例はたくさんあると思いますし、本当に日本に比べて進んでいる場合は良いと思います。しかし、何も考えずに海外は進んでいると妄信することは危険だと思います。

文化も経済状況も何もかも違う他国と同一視することはできません。

今回は数ある日本が遅れているといわれる問題の中でも、LGBT法案について考えていきたいと思います。

LGBTQ+(LGBTQIA+)問題

最近何かと話題になっているこの問題。

そもそもLGBTQIA+とは何でしょうか?

LGBTQIA+とは、性的マイノリティ(少数派)を表す言葉です。

LGBTは、性的指向を表すLesbian(レズビアン)、Gay(ゲイ)、Bisexual(バイセクシュアル)、性自認のTransgender(トランスジェンダー)の頭文字を取っており、残りのQIAは、Queer/Questioning(クィア/クエスチョニング)、Intersex(インターセックス)、Asexual(アセクシュアル)の頭文字を取っています。

セクシュアリティは多様化しており、上記の頭文字に入っていない、または表す言葉がまだない性的マイノリティもいることから、多くの場合最後に「+(プラス)」が付けられます。

今知っておきたい!LGBTQIA+とは?

ここでは一般的によく使われているLGBTと記載します。
(LGBは性的指向:男が好きなのか女が好きなのかどちらもか、Tは性自認:自分の性をどう認識しているか、なのでそれぞれ分けるべきでは、と思いますが…)

今、LGBT法案(LGBT理解増進法)が審議されており、13日に可決する見通しと報道されています。

LGBT法案、来週にも成立 自民が維新案丸のみ―衆院委で修正案可決


この問題について、差別や偏見は当然ダメなことですが、何か否定的なことを言うと「差別」という言葉を盾にする人がいます。

それってズルくねえ?って毎度思います。

差別という言葉で相手を黙らせるやり方は議論のやり方として三流です。

法律を制定しようとするなら、ちゃんとした理論で語るべきで、法律に感情論を持ち込むのはやめてほしいです。

声高にLGBT法案を導入しようとしている人たちは、なぜか海外で起きているトラブルには目を向けずに、「日本は遅れている」という言葉で日本にも無理やり導入しようとしているように思えてなりません。

むしろ、日本が遅れているとするなら、その遅れているメリットを活かして海外で起きている問題を解決したうえで、適切に導入するように議論していくべきだと思います。

「海外では導入したらこういう問題が起きた、だからここは日本では修正して導入しましょう」であれば理屈として受け入れられます。

しかし、そういう議論なしに、マイノリティにも生きやすい世の中に!と主張して導入を進めると、今度はマジョリティが生きづらい世の中になりかねません。

そもそも、日本ってLGBTの問題で遅れているのでしょうか?制度作りという意味では確かにそんなにないかもしれませんが、テレビでマツコさんやIKKOさんなどが活躍しているところを見ると、必ずしも他国よりも寛容度が低いとは言い切れないと思います。

そして、本当にLGBT当事者の意見を聞いてるの?って疑問に思っています。

最近ジェンダーレストイレができて話題になっていますが、カマたくさんの意見に共感できました。

昨今の風潮は「やってる」感を出すためにやってるように見えて、本当の解決に向かって行ってないんじゃないのかなって思います。

なんていうか…単に差別しちゃダメって話じゃないの?
法律で縛る必要まであるの?

海外で起きている問題

例えば次の動画は、性自認が女性だと申告したトランス学生が女子更衣室を使用することを許可され、抗議した女子学生と揉めているものです。

この動画を上げて、日本でトランスジェンダーに関する法律を制定すると同じようなことが多発する!というつもりはありませんが、海外を”見習う”と、起こってもおかしくありません。海外ではこういった事件が多発していますしね。

個人的な意見としては、これを見て「海外は進んでるなぁ」とは思いません。というか間違った方向に進んでるなぁと思います。

むしろ、他国が先んじて導入して社会な影響を示してくれてるのに、それを参考にしない手はないでしょう。

「他国ではこんな状況になってます、じゃあこの制度はこういうところが問題だよね。じゃあこうしようか。」という議論があるべきだと思うんですが、そういった話は寡聞にして存じ上げません。

実際、本法案との関係は分かりませんが、先日、女湯に自称女性の男性が侵入して逮捕される事件が起きました。

平等を追い求めて安心安全な社会を潰すのは本当に正しい姿なのでしょうか?個人個人の意識を地道に変えていくしかないと思いますし、法律で縛ることでもないと思います。

このまま日本でも海外と同じ制度を導入していくと、最大の被害者になるのは女性でしょう。そして、トランスジェンダーの方への風評被害にもつながります。活動家の利権の温床になる恐れもあります。

トイレや風呂、更衣室などは身体的特徴で区別すべきで、側から見えない心の性別で区切るべきではないと思います。少数派への配慮を、というのであれば多数派への配慮もした方がいいのではないでしょうか?

LGBT法案に書かれている「全ての国民が安心して生活できるよう留意する」という文言に、大多数の女性が無視されていると感じます。

真の意味での「全て」の国民が安心できるような制度作りをお願いしたいものです。

おわり



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