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“疑う”ということ 〜研究者が実践している騙されるリスクを下げる秘訣〜

何かの情報を与えられたときに、信じることから入るか?
疑うことから入るか?

僕はまず疑ってかかる。
これは研究者の特有の性質だと思う。

研究では、何かを調べたり、何かの性能を上げたりするために、どうしたら原理が分かるだろうか?性能が上げられるだろうか?と考えて、仮説を立てて、色んな実験をする。

この仮説はだいたいの場合外れていて、思っていた結果とは異なる結果が出てくる。じゃあ何でこんな結果になったんだろう?と考える。

仮説が間違っていたのか、実験の方法が間違っていたのか、それとも実験回数が少なくてたまたま外れ値(異常値)を引いてしまったのか。

実験回数が少なかったんだったら、実験回数を増やせばいい。実験の方法が間違っていたんだったら、どこが間違っていたのか。温度が違う?時間が違う?薬品の濃度が違う?それを自分に問いただす。

実験回数を増やした、実験も正しい、となると最初に立てた仮説が間違っている。

じゃあ何が違ったんだろう、と考える。

人と議論する。

そして新しい仮説を立てる。

こうやって研究を進めていく。

たまに、自分が立てた仮説通りに実験結果が出てくることがある。そんなときに、良い結果が出たと実験結果に飛びついてはいけない。何故なら、実験結果は僕らを騙してくるからだ。

たった1回の実験で良い結果が出た、と喜んでいたらその良い結果は二度と出なかったりする。

なんでこんなことが起こるかというと、たいていの場合実験方法がまずかったり、外れ値を引いていたりする。

何回も同じ実験をして、再現性を見なくちゃいけない。何度も何度も実験結果にぬか喜びさせられた。

だから実験結果を疑う癖がついた。何か結果が出たら、本当に正しい実験をしたのか?と疑わなければいけない。

そうしないと、実験結果は期待を裏切ってくる。

そして、何回も色んな実験をして、考え抜いて、時には自分の考えを修正して、ようやく、自分が立てた仮説が正しい、と少し不安を抱えながら言うことができる。

科学者はこんな気持ちを抱えてずっと実験をしている。科学者や医者がはっきりと断言しないことが多いのは、断言しないんじゃなくて断言できないんだ。

自分が立てた仮説が正しいと言うためには相当綿密な実験が必要だし、かなりのデータをとっても100%正しいとは言い切れない。科学には特異点もあるからだ。

例えば、実験温度をもう少し上げたら、性能が劇的に変わった、といったことも考えられる。

反証データが出てくる可能性がある以上、100%なんて言えない。それに悪意が無く、実験結果の解釈を間違っていることもある。

科学で堂々と嘘をつく人に腹が立つのはこのためだ。必死にデータを集めても断言は中々できないのに、彼らは簡単に根拠なく断言してしまう。

安心安全綺麗になるよ健康になるよ、

などと美辞麗句を並べて金儲けの道具にしてしまう。断言する人の方が、みんな安心してしまって信じてしまう。

嘘も100回言えば本当になる、とはよくいったもので、嘘を繰り返されるとそれが本当のことのように思えてくる。

科学を利用して嘘をつく人たちは、平然と嘘をついて、それを堂々と言うもんだから、消費者はそれを信じてしまう。

SNSを見てると嘘が一番扇動的で儲かるんだろうけど、それって詐欺師と何が違うんだろう。

人は疑うべき

ところで、ライアーゲームという漫画に、好きな言葉がある。

ドラマにも映画にもなったので、この作品の名前を聞いたことがある人も多いだろう。ギャンブルを題材にした漫画だ。

その言葉とは、天才詐欺師の秋山が、バカ正直で誰でも信じてしまう神崎なおに言ったセリフ。

ライアーゲーム(甲斐谷忍)より

【人は疑うべきだよ。多くの人は誤解しているけれど「人を疑う」とはつまりその人を知ろうとする行為なんだ。「信じる」その行為は紛れもなく高尚なことだ…しかしね、多くの人間が「信じる」の名の下にやってる行為は実は「他人を知ることの放棄」それは決して「信じる」行為ではなく、言い換えれば無関心…だ。】


この言葉はすごく共感できて、人を疑うことは悪いことではないと思っている。

なんでこの人はこんなこと言ってるんだろうとか、どういう意図で言ったんだろうとかよく考える。

人だけではなく、実験結果も世の中にはびこる色んな情報も疑う。

もちろん、何でもかんでも疑うわけじゃない。

じゃあどんなとき疑うべきか。

自分にとって上手い話を持ってきてくれるときや、商品を勧められたとき、お金が絡むときだ。

だって詐欺師は詐欺師の顔をして近づいてこないから。

泥棒がほっかむりをして、いかにも“あたしは泥棒でございます”、って風貌をして泥棒に入らないのと同じだ。

裏を読む

疑うことから入るといろいろと見えてくるものがある。

何か商品が売られているときに、人が良いと言っているから良いと判断するんじゃなくて、その裏には何かあるんじゃないか、と疑う。

恐怖や不安を煽ってくる人とか、何かをお勧めしているHPがあったとき、最後まで読むとたいていの場合、購入ページに誘導してくる。

例えば、毛穴の黒ずみを綺麗にするという商品がある。この商品名をグーグル検索に入れて、スペースをおすと、予測変換に嘘とか危険とか出てくる。

そして、それで検索すると、「○○は嘘!?危険?調べてみました!」といったしょーもないサイトが出てくる。

そのページを見てみると、話の根拠がなく、この商品は危険ではない、とか嘘ではない、とかそういったことが書かれて最後には購入ページに誘導してくる。

そんなサイトばっかりだ。うんざりする。

重要なのは何故危険じゃないのか、どのような使い方なら危険じゃないのかというところなのにそこを無視している。

すべてのPR商品が悪いわけじゃない。でも、有名な○○さんがお勧めしているから良いものだ、と判断してしまうのは早計だ。

その○○さんはお金をもらってお勧めしているわけで、本当に良いと思っているかもわからない。その人が利益を得る立場にあるか?というのが一つのポイントだ。

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お金の観点

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