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年末のちいさな物語~畠山重忠を偲ぶお散歩~

クリスマスにじぃじ、ばぁばからお小遣いをもらった次男が
「リサイクルショップにDVDを買いに行くのを決めた」
というのを聞いて
「私も行く!!」
という気持ちになった。

次男は私の準備を待たずに出発し、私は何か手放せそうな物をいくつか用意してから家を出た。
「近道だよ」
と教えてもらっていた道を歩く。そこは車では何度も通ったことのある道。
【史跡・六ツ塚 重忠公霊堂】
という看板に、目をうばわれる。
『えー!!こんなに近くだったの?』
何かしらのタイミングで祈り合わせの場として畠山重忠が祀られている薬王寺がうかんだことがあった。でもちょっと遠いと思っていたし場所を知らなかった。薬王寺はこの史跡をさしている。町内と言っても想像以上のご近所だった。

遠くの方に次男がこちらに向かってくるのが見えた。買ったDVDをちらりと見せてもらい帰宅の途につく次男にバイバイして、リサイクルショップにむかった。

ちょっとしたアイディアがあったので、シルクのスカーフを探す。
着物コーナーの反物に絹あった。それは考えてなかったけどこれは使えそう。絹と書いてあるもの、表示はないけれど手触りや付いている価格からも絹っぽいやつ、色、柄などいくつかあってみてておもしろい。想定外の発見でワクワクしはじめる。絹のもので一巻1600円ほど。嬉しい出会いにしばらく物色するものの今日のところは買わずに保留。和バッグも小物もかわいくてしばらく見ていた。
着物も素敵なものがあった。
私の着物へのあこがれ。花魁にも魅了されて少し調べたりしていた。小さい頃から着物が好きだった。着物を着せてもらえることが嬉しくてご褒美のようだった。着物好きは日本人のDNAに刻まれていて、何かの理由を付けて私たちは着物が着たいのかも知れない、なんてことを思う。

リサイクルショップを出て、帰り道、史跡に寄ってみることにした。
薬王寺は住宅街の中にあり、薬王寺の前は住宅の工事が行われていて、現場からは大きなラジオの音か何かが聞こえてきた。どこかでお祈りをしようかと思ったけれど、落ち着かなかったので帰宅することにした。

この町内では畠山重忠という名前はとっても身近。毎年、慰霊祭について回覧板でお知らせがくる。でも今までは興味を持つことがなかった。帰宅後に重忠ついてネットで検索してみた。

昨年の『鎌倉殿の13人』という大河ドラマで話題になっていたのを知り、そういえば、去年はいつもにまして畠山重忠の名前をよく見たし、盛り上がりを感じることもあったのを思い出した。でも、わたしは当時、そのドラマを一度もみようとは思わなかった。

畠山重忠は武士だったのか。普通の名前だし、身近に感じていた存在が武士だとは知らなかった。重忠が生きた平安時代や鎌倉時代が今ココにあるように感じられた。

畠山重忠(はたけやましげただ)
平安時代未期から鉄倉時代初期の武将。
鍾倉幕府の有力御家人。
死没元久2年6月22日(1205年7月10日)享年42歳


そういえば史跡を出た時にみた車のナンバーが1122だった。ちなみにわがやの駐車場も22で、大好きな人のお誕生日も2月22日。

22がくる。

募所はここ横浜市旭区の他、畠山重忠公史跡公園が埼玉県深谷市畠山にある。この深谷という地名にもシンクロがある。私の実家は戸家の深谷町という。こじつけでもご縁を感じる。

主君
源頼朝→頼家→実朝

源頼朝と畠山重忠のつながりに震えた。
私がここ数年おとずれた場所は何かと源頼朝のゆかりの地だったこととも、今のこの感動につながっている。住んでいる場所が源頼朝につながっていて『意味のないことは一つもない』と信じるだけのところから、新たな1歩を踏み出した気持ちになった。伏線回収とまではいいきれないものの『人生は楽しい』という喜びを静かに感じた。

畠山重忠の恋仲


足立遠元の娘
正室 北条時政の娘


伝説によると、重忠は戦死の直前に
「我が心 正しかればこの矢にて枝葉を生じ繁茂せよ」
と2本の矢を地に突きさした。やがてこの矢は自然に根付き、年々2本ずつ生えて茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったという。昭和40年代の中頃までは、現在の旭区役所北東側の土手一面に繁っていて、時を経て消滅。
現在のさかさ矢竹は再繁茂を願って平成17年6月22日 没後800年にさかさ矢竹が石碑(没後750年設立)の傍に植えられたもの。

また、重忠は鉄倉街道の宿場町、国分寺の傾城(けいせい:遊女)夙妻太夫(あさづまたゆう)を気に入り恋仲となった。と書いてある。これにはふいに涙があふれる。まるで、失っていた記憶を思い出したしたかのように次々と涙があふれてきた。少し前に花魁に興味を持って調べていなければ、太夫という響きにも反応しなかったかもしれないけれど、それでも今は涙があふれた。昨年、足を運んだ国分寺という地名にも親しみをよみがえらせた。

内室・菊の前(足立遠元の娘)は畠山重忠の戦死を知ると自害したと伝えられている。カゴのまま埋葬され「駕籠塚」と呼ばれているその史跡は、家から中学校に向かう道端にひっそりとある。

先日も長男の三者面談のときに一緒に歩き
「ここのことについて知らないね」
と、何げなく会話していた。

『鎌倉殿の13人』では中川大志さんが畠山重忠公役をされていて、その名演ぶりは紹介されている文を読んだだけでも伝わってくる。
「戦など誰がしたいと思うか!」
ぐっときてしまうセリフ。ぜひ、みてみたい。昨年、興味を持たなかった自分を少し残念に思う。


この数年、訪れる先には源頼朝の名前があった。逗子の森戸神社にはたびたび連れて行ってもらった。伊豆の三嶋大社には家族旅行の際につれていってもらった。海南神社には頼朝が手植えしたといわれる銀杏の木があった。もちろん、鶴岡八幡宮にも行った。

私が神社に連れて行ってもらうようになったのは2018年あたりから。主に誘ってくれるのが、2月22日産まれの大好きな人。もしくは、夫。

源頼朝の名前はよく見ていたものの、当時の歴史に興味を持つことはなかった。しかし、今回は、主君に頼朝の名前があったからこそ重忠に興味がわいた。

そもそも、源氏や平家とはなんなんだろうと少し調べる。源氏物語や平家物語にも初めて興味を持ち始めた。


平安時代から鎌倉時代という、まさに時代の大きな変化の中で自分の心に実直に生きた重忠に武将としても人としても魅力を感じる。


横浜市旭区に越してきて17年が経つ。ようやく自分の住む場所でおきてきた歴史に触れることができた。


ここから2027年のギフトシェアパーティーまで小さな新しい物語をつむいでいく。


次男が見ていたYouTubeからこんな一文が目に飛び込んでくる。

『戦闘能力は高いが、人道的で平和を愛する少女である』

風の谷のナウシカ
明らかに銃や凶器を持った相手に対して武器を持たず、身ひとつで争いを止めようとするシーンが何度もある。

そこにはナウシカの相手を信じる『愛』が描かれている。

北条時政に騙され、領地から鎌倉に赴く途中の武蔵国二俣川(現在の横浜市旭区)で1万の兵に散った畠山重忠の134騎と風の谷のナウシカが重なりあった。


まずは大好きな着物を着て畠山重忠を偲ぶお散歩から始めよう。

年末のちいさな物語【番外編】4コマ↓↓↓

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