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新聞考

例えば何かをネットで検索する。するとすぐさまAIが、「このPCの持ち主はこういったことに興味があるようだ」と判断し、ご丁寧にもそのあと、関連するであろう動画や広告の数々が、自分のPCないしスマホ画面に表示されるようになる。

noteもYouTubeも、そういうことがありますよね。たいへん助かるし、事実、そうしておすすめされた情報は私の興味に沿うものであって、ついついクリック…気づけば時間が経つこと数時間…なんて恐ろしいことも結構、しょっちゅうあります。

なんて便利な世の中でしょうか。求めずとも、必要なものが入ってくるなんて。たまに間違ってクリックして、それに関するものまで表示されたりするから、そういうときはね、正直「うげ」となるんですが。

どんどんやってきて、どんどん見る。時間なんていくらあっても足りません。インプットの無限ループ突入です。

新聞を読んでいます

数か月前から、新聞を購読しています。朝夕刊とっているので、古紙の量がはんぱありませんが、やはり新聞っていいよな、と思ってもいます。今は新聞もオンラインで見れます。手軽でいいと思う反面、私はやっぱり紙の新聞を手に取ることが多い。

あの、ばっと広げられて、いろいろな情報がばばばっと並んでいる中から、目を動かし、興味ある記事を探す状態が、いいのでしょうね。思わぬニュースに思わず心動かされることがあるし、そうやって知った出来事から、新しい価値観を得たりします。この思わぬ感が、自分にとっても心地よいのでしょう。

娘も意外と読んでいる

活字が苦手だと思い込んでいたけれど、娘(小三)も実は、新聞で読解力を鍛えてもらっているようす。最近、こんな取り組みがあると知り、登録しています。

毎週3回、その日の朝刊に掲載されたあるひとつの記事が、指定されます。その記事に関する問いが3つ。それらを解く中で、親子で、記事の内容について親子で話しあう機会を促される…というもの。

月曜日にさっそく第一回目!を長女とやってみました。今回、記事は私が読み上げましたが(何せ読めない漢字が多いから)、3つの問いには完璧に答えていて、ちょっと驚きを隠せない母。

内容は、ホームレス支援をされている団体の方が書いたコラム。結構、抽象的な表現もあったし、「意味、わかってるかなぁ」って懸念もしていたのに。

あなどるなかれ、子どもの力。そんな風に教えてもらえました。

こういう機会は、新聞×メディアのコラボがあってこそですね。新聞社も、いろいろなこと考えてはるんやなぁ。

情報の取捨選択に自覚的でありたい

最近はどうしても、流れてくる情報に飲み込まれそうになる感覚が多々ある。そうではなく、私は何を考えていて、私はどういうことを知らなくて、どういうことを知りたいと思っているのか、そのためにどこで、どのようにして情報を探すのか?ひとつひとつの作業をちゃんと積んでおきたい、情報の選択権は私にある、ということを覚えておきたいと思っています。

「わからんかったら調べたら?スマホで」と娘が言うたびに、ちょっとした違和感を覚えるのはなぜか?きっとそこには、「自分の頭で考えてみる」という過程が、すっぽり抜けていると感じるからなんでしょう。

肉まん 作り方

っていれたら、それはそれはたくさんのレシピがあがってきます。その中のひとつを選べばすぐに肉まんは作れるでしょう。おいしくて、簡単に。でもね、「肉まんってどうやって作るんやろ?小麦粉やけど薄力粉と強力粉ってどうちがうわけ??」とかいうことを、もやもやいろいろ、考えてこそ、肉まんの作り方は私の中に根を下ろす気がするんですよ。

事実、レシピ検索して作った料理は、いつまでたっても私、覚えられないのです。見たらいいって思っているからね、真剣に覚えようともしていない。(単に私の物覚えが悪いともいえる)

便利さを享受しつつ、その簡便さに慣れきってしまわないように。何かを選び取る感覚は人間として、大切にしたいと思うもののひとつなのであります!!

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