新しいプロフィール写真の私が、勇気と喜びをくれたお話
SNSで使うプロフィール写真を変えた。これがもう、とっても素敵にしあがった。撮影してくれたのは、大切なライター仲間である、ひろさん(@rokko_arki)。
もともとカメラを学んでいたひろさんには、「いつか私の写真、撮ってくださいね!」と話をしたことがあった。彼女は関東に住んでいるけれど、実家があるのは私がいまいる福岡県。帰省のタイミングが合えばいいな、とぼんやり望んでいた。
もともとSNSアカウントのプロフィール全体を見直したいと思っていた。お仕事で使うSNS。ポートフォリオに添えることも多く、私がどんな人間で、何ができるのかを、もう少し洗練した文章と写真で伝えられたら、と思ったのだった。
問題は写真。当初、使っていたのは10歳の長女が何気なく撮ってくれたもの。それはそれで自然な雰囲気が出ていて好きだったのだけれど、せっかくなら目線とピントの合った、最新版に変えたい。
自撮りはうまくいく自信もないし、さてどなたに撮っていただこうか…考えていたところ、神様の計らいだろうか。ひろさんから「帰省するので、会いませんか」とご連絡を頂戴したのだ。
思えばここからだった。まるで「ひろさんに私のプロフィール写真を撮ってもらう」ためにすべてのものごとがうまく、それはそれは何のずれもなく、回りだしたのは。
全てのタイミングがぴったりだった1日
彼女が指定してくださった日は、折しも私の実家の母が遊びに来る日だった。おっと、こりゃ今回は時間合わせるの難しいかな…との考えが頭をよぎったけれど、ひろさんと私、お互い都合のつく時間帯がばっちり合致した。
「ぴったり合う」ことが、この日はとっても多かった。
待ち合わせ場所に向かう途中、私が方向音痴っぷりを発揮して、本来は駐車できないところに誤進入したにも関わらず、守衛のおじさんが抜け道と最高の駐車スペースを教えてくれたこと。
小雨が降り、あいにくの天気だったのに、さぁ写真を撮ろう!というときには止んでくれたこと。
花の季節にはあと少し遠い時期だったのに、「ここで撮りなよ」とまるで私たちを誘うように咲いていてくれたいっぽんの桜の木。
完璧で、不思議だった。ただただ身を任せていれば、勝手にものごとがうまく回る感覚がなぜだか、あった。
この日感じていた心地よさの要因は、ひろさんのお人柄でもある。この日が「はじめまして」の私たち。オンライン上でお話したことはあったし、ひろさんのやさしい雰囲気を知っていたから、きっとこの日も気兼ねなく、リラックスして過ごせるだろうと思っていた。案の定、正しかった。
すべてのタイミングが、要素がかちっとあった日が、あのプロフィール写真撮影の日だったと思っている。
2時間はあっという間に経ったけれど、「早く早く」とせかされる感覚はなく、気持ちの上ではゆったりと、新幹線乗り場に向かった。
写真を撮ってもらい、背中も押してもらえた「わたし、このままの私で書いていこう」
改札口に到着したら、母たちが乗った新幹線がホームに入ってきた。ばっちりすぎて怖いくらいだ。
さて。そんな完璧な流れのなかで終えた撮影。できあがりのお写真を、ワクワクしながら待った。
1週間ほどして、ひろさんからデータが届く。思わず、「わぁ…」声がもれるのを抑えられなかった。それくらい、とっても素敵な写真をたくさん送ってくださった。
映っているのは私だけれど、そこには私の知らない、それはそれは、いい顔をした私がいた。
嬉しかった…!喜びで、じんわり心が満ちていく。
写真のすばらしさもさることながら、ひろさんが写真にむきあってくださったこと、そのこと自体が嬉しかった。
データをみると、同じ写真につき、色味を微妙に変化させて、補正に手間と時間をかけてくださっていたことがわかった。職場復帰を控えて、忙しいはずなのに。私のために、心を使ってくださっていたことが嬉しくて、心があたたかくなった。
書くお仕事を頑張ろうと思っていた。でも、自分の書くものにはいつまでたっても満足しえない。だけれど、「がんばりなよ」と、見えない何かにちょこっと背中を押してもらえたようなプロフィール撮影だったな、と振り返って思っている。
私という存在が、見るモノ聞くもの感じるものを、丁寧に書いていこう。ひろさんの写真をお守りにしながら、そんなことをいま思っている。
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