飛びついてきた子ども
分化する感情
0歳児を育てているとそのめまぐるしい成長におどろくこと多し、です。昨日ようやく這ったと思いきや、え!もうつかまり立ちですか、と。
さぞやものすごいスピードで行われている細胞分裂をイメージします。
特に感情が豊かになっていく様は見ていて本当におもしろい。調べますと、生まれてすぐの赤ちゃんは、快・不快の区別しか感じられないようでして。そこに、周りからの働きかけがあり、次第に、快・不快以外の感情が分化していくそう。
例えば、おむつが湿って気持ちが悪い。そんなときの赤ちゃんの脳内では…
→不快
→泣いてみる
→適切な反応を大人が返す
(「気持ち悪いねぇ」と言いながら
おむつを替える、とか)
→快
→安心、うれしい…♡など
こういうことが高速で行われている。「こちらの想いに応えてくれる」と感じられると、赤ちゃんは
/
あぁ世界は信頼に足る
\
そのように解釈していくんだろうな。そこから感情を、様々に、育てていくのだと。
反応を返す
表出された、彼ら彼女たちの気持ちに対して反応を返す
ということが、大人ができることのひとつなのだろうと思うわけです。そして、この反応されるということが大切なのは、赤ちゃんだけではないでしょうね。
ここまで考えて思い出すのは
最近知った、倉橋惣三さんの詩。
子どもが飛びついてきた。
あっという間に
もう何処かへ駆けていってしまった。
その子の親しみを気のついた時には、
もう向こうを向いている。
私は果たしてあの飛びついてきた
瞬間の心を、その時ぴったりと
受けてやったであろうか。
それに相当する親しみで
応じてやったろうか。
いつ飛びついてくるか分からない
子どもたちである。
「飛びついてきた子ども」
***
よくやってしまうのが
例えば娘が「お母さん、みて」というときの「ちょっと待って」です。
ちょっと待ってられへんのですわ。しばらくして「何やった?」なんて聞いても
「あぁ、もういいよ」
と何度、言わせてしまったことか。毎回、全力で受け止めるというのもマルチタスクこなす父ちゃん母ちゃんたちには難しいことですが。
作文を教える、とか表現を考えるとか、小難しいことのまえに子どもたちが何か「コレぞ!」と見せてくれるその時に
「それめっちゃおもしろいね!」
「いいなぁ」
「わ、それ何?」
なんて、反応できる人であれればいいなぁと0歳児娘の育児のあいまに思うのでありました。
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