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そうか、優しさは人を強くするのだ

今日は涙をこらえる日だった。
我慢しすぎて顎と鼻がいたいのだ。引っ越しを前に、娘のお友達が送別会を開いてくれた。もらったのは、みんなからのメッセージが添えられたアルバムだった。

毎日の通学の様子や、運動会など、学校行事の写真がたくさんはってあった。いったいいつのタイミングで用意してくれていたのだろうと、その工夫と心遣いを想うと、さらに泣ける。

とはいえ、湿っぽくするのは嫌だから、泣かないように、泣かないように頑張った。それにメインはあくまで娘、だし。

今生の別れでもないのだから、帰ってこようと思えばいつでも帰れる。けれども、やっぱりひとつの“区切り”であることは間違いない。寂しい。

今日は涙をこらえる日だった。
当たり前のことなどなにひとつないと、知ってしまって切ないのだ。朝起きてバスに乗って教室に入って勉強して。そういうことは、やっぱりどうしても、毎日を生きている中で、流れてしまう。今日という日が二度とこないっていうことは、もう当然のことすぎるのだけれど、そのなんと尊いことかと、ときどきでいいから、思い出しておきたいと、改めて感じるのでありました。

今日は涙をこらえる日だった。
もらったものが、たくさんあることに、気づいて胸がいっぱいなのだ。

毎日いっしょに遊んでくれたお姉ちゃんやお兄ちゃんたちが、どれだけ優しい気持ちをもって、娘に接してくれていたんだろう。気持ちのあたたかい子どもたちだと、そういう人たちに巡り合えた娘も、そして私自身も、幸せだった、としか表現できないでいる。

私はきっと大丈夫

めそめそする親のかたわらで、娘は「あー今日は人生最高の日やった」と、それはそれはすがすがしい顔で言う。そこには

「お友達と離れるのは、さみしい」とか
「新しい土地に行くのは不安だ」といったものが感じられない。

いやいや、きっと心の中にはあるのだろうけれども、それ以上に、娘は今日、いま、という時間、満たされていて、もうそれで十分だ、と感じていることがよく伝わってきた。

「アルバム、こんなのもらったの初めてやから、すごくうれしかった。新しい学校も楽しみ。」

そんな風に言える娘の強さを前に、あぁもしかするとこの人は、友達からもらった優しさで、心を強くすることができたのかもしれない、と気づきました。人の心に寄り添った、あたたかさをともなう優しさは、その人の心を、どこまでも強くしてくれる気がする。

「私は、きっと大丈夫」

そういう風に、思わせてくれる力があるんじゃないかなぁ。

そういう風に、思わせてくれてありがとう。「新しい土地でも、がんばるよ」と、一人ごちる母でありました。


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