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車のレースと釣りとコーヒーは深いところでつながっている。バリスタ流・幸福度が爆上がりする働き方

「バリスタ」という仕事があるのをご存知だろうか?
「カフェでコーヒーを淹れる人」という認識の人もいるだろう。それは半分正解であり、半分間違いだ。

今回紹介するのは、東京・清澄白河のカフェBeeslowでバリスタとして働く中楯聡氏(以下、中楯氏。)まったくの異業種からニュージーランドに渡り、バリスタに転身した。帰国後は自らの専門性を活かし、偶然をチャンスに変えている。

現在、中楯氏は会社員という立場ではあるが、彼にライフとワークの境界線はない。

本稿はワークとライフのバランスをどうとるか?という出発点に立たない。ワークとライフの境目が限りなく薄く、ワークをライフの一部ととらえるWork as lifeな人物を紹介する。

なぜバリスタだったのか?
偶然をチャンスに変えるには、どのようなマインドセットが必要なのか?
最終的にどこを目指すのか?

中楯氏のWork as lifeな生き方を見てみよう。


海外でバリスタは専門職

まずは、日本ではあまり知られていないバリスタの仕事をおさえておきたい。

バリスタとは、エスプレッソやカプチーノ、酒類などの知識を幅広く熟知し、カフェやレストランで最高の一杯を提供するプロのこと。単にコーヒーを作るだけでなく、店の質と格を上げる重要な職業である。海外、特にカフェ文化が生まれたヨーロッパではバリスタは専門職としての地位を確立している。

日本のカフェで働く場合、店に所属するのが一般的だ。しかし、本場の採用スタイルは異なる。履歴書(CV)とバリスタツールを持って、一軒ごとに空いているポジションがないか直談判しに行くという。

店長がいれば話を聞いてくれることもある。その場でコーヒーを淹れてみて、店に見合うクオリティでなければ採用に至らない。

スペシャルティコーヒーと出会う

中楯氏がバリスタとなったのは2019年。新卒後の7年を自動車メーカーで過ごしたが、自らのスキルを証明するアスリートのような働き方に憧れて、会社を飛び出した。

バリスタという仕事に出会ったのは、たまたま訪れた栃木県・那須のカフェだった。訪れたその日、カフェは地元新聞社の取材を受けていた。

店主と記者のやり取りで、はじめてスペシャルティコーヒーを知った中楯氏は衝撃を受ける。

スペシャルティコーヒーとは高品質なコーヒー豆を作った生産者に対して、適正な対価を払うコーヒーのこと。

カフェ巡りが好きだったこともあり、多くのコーヒーを飲んできた自負があった。しかし、コーヒー豆がどこでどのように作られ、流通の仕組みや価格がどのように決められているかを考えたことはなかった。

とりわけ興味を引かれたのは、生産者に利益をもたらす持続可能性の概念である。

「自分ではコーヒー好きだと思っていたけれど、何もわかっていなかったのでは?」と、振り返る。

店主に詳しい話を聞いてみた。すると、ちょうどその店でスペシャルティコーヒーに関する講座が開講されることを知る。まもなくワーキングホリデーでニュージーランドに行くことが決まっていたが、プランBになり得ると考えて受講。その後、ニュージーランドに渡った。

釣りで学んだ、背景と成果の関係

当初はフライフィッシングのガイドになるつもりだった。

フライフィッシングとはイギリス発祥の釣りのこと。主に川や湖などで虫を模した毛針を投げてマス類を釣る。

醍醐味は食べることや釣ることだけではない。中楯氏いわく、「食物連鎖のストーリーをいかに組み立てられるか」だという。

フライフィッシングで魚を釣るには、魚が何を食べているのかを観察し、それに似たフライを選ぶ必要がある。季節や水温、場所に応じて魚が食べるものは違う。飛んでいる虫を捕まえたり、川底に沈んでいる石をひっくり返し潜んでいる水生昆虫を観察したりして、何を食べているかを予測するのだ。

魚の生態や川の中まで理解すると、目に見えて釣果が変わる。

「おもしろいのは、自分で見つけた知識や見識を活かすことです。釣れるかどうかはあまり関係ありませんね。結果は同じ”釣果なし”でも、チャンスが見えていた場合と、よくわからないけど釣れなかった場合とでは全然違います。僕は小学4年生から釣りをやっていて、小学校の卒業文集では釣りのガイドをしたいと書いていました」

小学生の頃に描いていたネイチャーガイドになるために、中楯氏はアウトドアが盛んなニュージーランドに渡った。しかし、想定外のことが起きる。フライフィッシングは新規参入が非常に難しい世界であることがわかったのだ。

そして、プランBのバリスタに転向することになる。

バリスタへ。腕を磨けばキャリアが拓ける

とはいえ、当時の中楯氏のバリスタ経験はゼロ。スクールを修了しただけである。

相手にしてもらえる状態ではなかったが、1日3軒のカフェに直談判を続けた。その結果、1カ月経って面接に進めるように。次第にバリスタの練習をさせてくれる店が現れ、1カ月半ほど経った頃にポジションを見つけた。

学ぶうち中楯氏はかつて自身が夢中になっていた車のレースとバリスタとの共通点を見出す。レーシングドライバーは結果がすべての世界。しかし、それはバリスタも同じだ。

サーキット1周のタイムを縮めるには主に2つの方向性がある。1つは車そのものを改造すること、もう1つは運転技術を磨くことだ。

「車の改造に向かう人は、バリスタで言えば焙煎に向かう人だと思います。僕は車そのものの改造はほとんどしません。コーヒーなら味の決め手となる焙煎ではなく、その日の気温や湿度に応じて豆の挽き方を変えることに興味があります。淹れ方を変えるだけで素材のよさが引き出せて、味が整うなんておもしろいですよね」

正しい努力と実力があれば、キャリアは拓ける。中楯氏の中で自信が育ちはじめた。

遠く離れた産地と飲み手はつながっている

ニュージーランドでの永住を考えていた中楯氏。ところが再び想定外のことが起きた。2020年の新型コロナウイルスの世界的な流行。ビザの延長を申請できず、帰国せざるを得なくなった。

しかし一向に渡航制限は解除されない。そんな中、国立公園での経験が転機となった。公園を管理する環境省が「環境教育的な視点」で来園者にコーヒーを出せる人材を募集していたのだ。

そこでスペシャルティコーヒーの知見を活かせるのではと考えた。近年、気候変動の影響でコーヒーの生産が難しくなっている。このままいくと、そう遠くないうちにコーヒーが飲めなくなるかもしれない。

背景を伝えながらコーヒーを淹れた。さらに生産者の思いや置かれている状況を伝えるため、SNSで生産者と直接つながった。遠く離れた産地と飲み手は、実はつながっている。

現在働くBeeslowのCEOと知り合うことになったのも、生産者とのつながりがきっかけだった。ネイチャーガイドに興味を持っていた中楯氏にとって、屋上緑化や養蜂と掛け合わせてサステナブルな都市生活を目指すBeeslowの理念は共感できることが多かったと言う。

「バリスタはコーヒーを飲みたい人にコーヒーを出すだけが仕事ではありません。味のバトンリレーをすることです。そのため、前工程にいる生産者のことも考え、生産者が喜んでくれる提供の仕方を考えます。以前、店内で動画を見ていたお客様に退店いただいたことがありました。お金を払えばお客様とは限りません。そのときにできる100%をやり遂げるのがプロだと僕は考えています」

偶然をチャンスに変えるには

好きなことを仕事にしている中楯氏を見ると、偶然にしては出来すぎているようにも思える。どうすれば偶然をチャンスに変えられるのだろう。

それについて、中楯氏は次のように話す。

「僕は必然だと思ってやっています。できることを100%やり切って、それでも物事が動かないときは、何かが足りていない可能性が高いです。それはクオリティかもしれないし、発信かもしれません。そんなときは、一歩離れたところから自分を見るクセをつけるといいと思います」

中楯氏はレーサーのように、生涯スキルを磨き続ける姿に憧れてバリスタになった。ただバリスタが難しいのは、レーサーと違ってゴールを自分で設定する必要があることだろう。能力と見識が上がれば、自然とゴールは更新される。どこに向かえばいいか迷う人も多いはず。

そんなときに有効なのが「自分にとっての幸せ」を定義することだ。

「僕の幸せは、自分の技術と感性を磨き続けられる環境に自分を置くことです。それが誰かのためになっているなら、何をやっていても幸せを感じられます」

何をしているかではなく、どのような状態にあるかが重要らしい。

幸福度アップの秘訣は、毎日を生ききること

中楯氏がこのように考えるようになったのは、山の中で下顎を粉砕骨折し、一晩気を失っていた体験から。たまたま通りがかった車があったから助かったが、その車と出会わなければ死んでいてもおかしくなかった。

人間はいつ死んでもおかしくはない。けれど簡単には死なない。

その経験から、毎日をいつ死んでもいいように生きようと決めた。

新卒時は幸い希望の会社に入社できた。しかし分業制が進む大企業では、仕事と成果との関係がわかりにくい。中楯氏にとっての幸せとは、自分で行動できる自由のある環境にいて、その結果を自分で引き受けられることだ。

「スペックだけを見れば、今の僕に魅力はないと思います。成功かどうかの判断は見る人に委ねますが、少なくとも僕はこの状態で生きています。幸福度も爆上がりしました」

結果の良し悪しは関係ない。本当にやりたいことなら、うまくいくまでやり続ければいい。

取材・文:筒井永英

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