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お盆のかたち

多くの人が迎えているであろう、例年と違うお盆。

帰省できない。お墓参りに行けない。

わたしもその1人で、zoomでも繋いで貰ってオンライン墓参りでもと企てていたものの、実家が田舎ゆえテレワークがきくような洒落た仕事のやつもいない。未経験組をどうやってどのタイミングで焚きつけようかと思案していた。

それがつうりさんの告知で一転。

「コロナお盆のための読経 オンライン無料配信」https://www.facebook.com/100002534750596/posts/3229136860514107/?sfnsn=mo

今日15日10時から開始のものを昨夜発見。どうやら企画も告知も急だった模様。副題は「家系の浄化ワークと先祖供養のための読経」とのこと。

つうりさんはブッダプログラム主催者で日蓮宗の僧侶でもいらっしゃいますが、わたしにはノウイングで1番最初に出逢った先生の1人。帰省していないので仏壇もお墓もないですが(実家の宗派とも異なりますが)数珠だけ持って参加させていただきました。

わたしは記憶が少ないこともありますが、あまり家族との強い縁を感じません。わたしが生まれた経緯とか、父方の家の事情とか、母の実家が遠いことと早逝なこと、色んなことが絡み合っていますが、流れに身を任せて深く入っていきました。

お盆と言うと当然血族の供養なのですが、わたしには印象深い死が血族以外であります。小児病等の仲間の子どもたちです。

それを思い出したのはタイトル画のアクセサリーがふと目についたから。

それはあるお母さんが亡くなった子を偲んで作り、縁のあった人にと配ってくれたものだった。「あの子だと思って」と。

入院していた時、病棟には赤ちゃんが少なくてうちの子はアイドルだった。みんなが抱かせて、と言って可愛がってくれた。鬱状態から一転病院暮らしを受け入れたわたしはめちゃめちゃ病院暮らしを満喫した。

アパートで1人目の子どもを抱えて1人でいたらどうしていたか想像がつかない。先輩ママたちが愛を注いでくれて、わたしは息が抜けたことから自分を取り戻していた。自分に出来ること、みんなのために出来ること、全力でそれだけやっていた。自分がそれまで持っていた自然療法の知識、それから…あまり覚えていないけれど、何か人を勇気づけることをやっていた。

何かお礼をたくさん戴いていたから。病棟のたくさんの人と交流していた記憶はあるけれど、それ以上は覚えていない。

でも覚えていること。

励まして一緒に病気に立ち向かっているつもりだった子が亡くなったこと。入院していたからお葬式には行けなかった。

そんなことが、何回か。小学生の子も、保育園の子も。何人も。

2回は退院していたタイミングで、お葬式にも行かせて貰った。でも、心の区切りなんてつくものじゃなかった。病気と子どもだけが繋がりの関係で、その後いかがですかとも聞けず、わたしは心の中に幾つも刻が止まった時計を抱えていった。

それが、ふっと内側を見たときに繋がった。

痛みとして感じた彼らは、つうりさんの読経が始まるとゆっくり和らいで、緩んで、暖かくなって、解き放たれていった。もう、ただ涙が止まらなかった。

重かったビーズアクセサリーが軽くなって輝き始めた。


読経はとてもパワフルで、わたしはそれを届けたい、と思いついてしまって。

自分をポータルにして実家のお墓を思い浮かべたらいい感じで届いたようだったので、場所も知らない、ご先祖様でも名前も知らない、でも理論上確かに存在する人たちを思って、読経を届けました。と、いうつもりになりました。

だって、教科書があるわけでもない、感覚の世界。想像は創造になるなら、それは可能!というのは後で思い出したわけですが、結果とても言葉にできないような浄化、スッキリ感を手にしてその時間は終わりを遂げました。

人生で初めてお経がありがたいと思いました。


体験の全てを言葉にはできないけれど、今日新たな局面を迎えた記念にできる限りの想いを綴りました。新たな局面…わたしの内側で涙の滲みのようになっていた子どもたちが光になった日。

「亡くなった人が自分の内側にいて、一緒に現実をクリエイトしているという感覚が本当の供養」正確ではないかもしれませんが、今日つうりさんが言っていた言葉。それが本当にしっくり来ています。

最近悲しい死が多かったから、そんな虚になった関係性を持て余している人にもこの言葉が届けばいいと思っています。





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