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4月1日にプチ失踪しました

こんなタイトルで初noteです。画像は桜並木ですが某ワニっぽさ出ちゃってますね…。

【自己紹介】

23歳オタクです。4月1日から社会人2年目です。2月終わりからずっと在宅勤務してます。


【概要】

私は4月1日にプチ失踪しました。死にたくなった。でも今はもう家に帰ってきてます。というかその日の内に帰ってます。

【記事のメッセージ】

人に心配される前に自分のメンタルとか体調とか労わるようにしましょう、労らないとこんな行動を起こす可能性あります

暇な人に時間潰し程度に読んでもらえればと思います。それでは。


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その日は昨日に続き一切寝ることができなかった。夜中に何かをしていた訳ではなくて、目を閉じても眠れなかった。仕事への不安が原因だと思う。不眠は昨日今日の話ではなく、3月の始めの頃から悩まされていた。


一睡もせず4月1日の朝7時を迎えた私は、重い身体を無理やり起こして自室を出た。リビングに行って既に起きていた母に挨拶をし、眠れていないことを伝えながらソファに座った。母は「はいはい頑張れ〜」みたいな感じで適当に答えてくれた。


朝ごはんはいつも通りバナナだけ食べた。バナナの一番下の部分が黒ずんでいたので、そこだけ食べずに捨てた。自室に戻ってから、気分転換に散歩でも行こうと思い着替え始めた。寝巻きを脱ぎ、色合いが地味でサイズが合わないオタク特有の服を着た後、狭い洗面所に行って冷たい水で顔を洗った。「外出自粛って言われてるし、近所を20分くらい歩いたら帰ろう」ぐらいのことを思いながら髭を剃った。マスクをして、冬用のオレンジのダウンを羽織って、少し大きな声で行ってきますを言ってから家を出た。


家を出るときはすぐに帰るつもりだった。スマホも財布も持たず、傘だけ持った状態での散歩だった。腕時計すらしていなかった。雨はそこそこ降っていたが風は弱く、天気の割にはそれなりの解放感を感じられる散歩だった。


歩き始めて10分くらい経った頃か、次第に、「今なら誰からも連絡が来ないし、自分が消えようとするチャンスだ」と思うようになった。過去に「死にたい」とか「消えたい」とか思うことは何度かあったが、関わってきた人間に対して無責任であるため考えないようにしていた。それが今回は我慢できなかった。そのまま家に帰らず、あてもなく歩き続けていた。


気づけば聖蹟桜ヶ丘近くの多摩川にかかる関戸橋を渡っていた。その後に歩いたルートは「府中、谷保、国立、立川」といった感じだったはず。府中付近の歩道橋がやたらグラついていたことと、谷保から国立にかけての桜並木の道が横に広くて距離も長かったこと、足が冷えて痛かったのを覚えている。桜並木を歩いている時は近隣の人に見られている気がして怖かった。狭い道を歩くべきだったと後悔した。足が痛くてもどこにも休む場所はなかった。とにかく歩き続けた。死んでも良い場所を探して歩いていた。


立川に着く頃にはズボンの裾は濡れて、丈の余った部分が地面と擦れて黒ずんでいた。立川に着いてラーメンスクエアに入り、ベンチに座った。ようやっと休憩できた。ただ少し休んだ後はすぐ立ち上がり、また歩き始めた。目的地がないため、とにかく行ったことのない道を歩いていった。


15時ごろになって、ようやく家にいる母に連絡を入れていないことを思い出した。それから職場にも連絡を入れていなかったことも。人に迷惑をかけていることを意識しだして、すぐに帰らなければいけないと思った。


そこからは近くの交番に行き、電話を貸してもらい連絡を取った。家族は自分を探し回っていた。それは家族だけでなく仕事場の人にもそうだった。連絡が取れなかったことで迷惑をかけていた。心配をかけてしまったこと、迷惑をかけていたことに申し訳なかった。


連絡を取ってからはすぐ家に向かった。帰ってからは少し家族と話し合い、仕事場に連絡を入れた。その後は疲れ果てて足も動かなかったため、横になって休んだ。一度起き上がろうとしたが体の震えが止まらなかったためそのままその日は1日横になって終わった。

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以上が4月1日の自分になります。

現在の自分はカウンセリングを行いながら今後の生活や働き方を模索しているところです。回復次第また近況をここで書きたいと思っています。

緊急事態宣言も出て、一層の外出自粛が叫ばれる世の中です。不安の多い世の中ですが、皆様はどうか精神的にも肉体的にも健康に気をつけてこんな変な行動を取らないよう気をつけてほしいと思います。

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