見出し画像

乾麺の味と私の鈍さ 上

 乾麺を食べると思い出すことがある。
 もう十年以上も前のことになるが、私には陳という台湾人の同級生がいた。大学の三年生の時に留学生として編入してきた。フルネームは忘れてしまったが、彼女の笑うと歯が全部剥き出しになる笑顔のことは今でもすぐに思い出せる。

 彼女の名前を思い出せないのは単に私が薄情なだけであって、我々はそこから四年間同じ学部と大学院で過ごした。研究室こそ違ったが授業はほとんど同じで、何度か実験の班が同じになったこともあった。私のサークル同期で田淵という男が陳と同じ研究室だったので、田淵に会いにいくと高確率で陳とも顔を合わせた。大抵は夜遅くに残って実験をしている時で、夜食はいつも決まって乾麺だった。飲み会などのイベントごとで顔を合わせることも多く、普通に同学年の友達の一人だと思って過ごしていた。けれど大学院を卒業する間近、修論発表会を終えて最後の春休みに突入するころ、急に彼女は姿を消した。

 母国の実家で何かがあったのだとか、海外の企業に就職することになって卒業式を待たずに旅立ったのだとか、修論のストレスを溜めすぎて気を病んでしまったのだとか。噂だけならたくさんあったが、どれも信じられるような信じられないような内容で、実際にどうして陳がいなくなったのかはわからなかった。そんな噂も春休みに入り、大学構内に人がまばらになるにつれて薄れて行き、卒業式で少し再熱したけれど追いコンの記憶と共にすっかり消えてしまった。

 消えてしまった記憶はちょうど一ヶ月後、研究室とサークルが同じ後輩からの連絡で蘇った。陳が住んでいた家の大家から大学に連絡が入り、家賃を滞納していて本人にも連絡がつかないので家を引き払って欲しいというのだ。私は大学と同じ都市で就職したため呼び出しやすかったのだろう、家の片付けを五月の連休中に行うというので参加することになった。田淵は研究室に残ってドクターに進学していたので来るだろうと思ったが、後輩が連絡するというのであえて私から連絡することはしなかった。


 当日の朝、陳の住んでいたアパートの近くにあるコンビニに集合した時、正直ドアを開けたら陳がいたり、最悪の事態に至っているのではないかという恐怖がなかったと言えば嘘になる。集まってきた後輩と顔を合わせると、彼も何を考えているのかソワソワとしていた。「ところで今日は田淵は?」と聞こうとしたけれど、すぐに陳の研究室の後輩、ドクターの先輩、大学の軽トラを駆り出してきた准教授、と予定していた全員が揃ったため家の状況も田淵の動向も確認するタイミングを逃したままアパートへ移動した。

 アパートの前の道路に車が一台止まっていて、私たちが近づくと大家が降りてきた。近頃では大家がいても管理会社に任せている場合が多いが、当時はまだ大家自らが出向いてくるケースも多かった。国民的アニメに出てくるおじいちゃんにそっくりな人だった。その人を先頭に階段を上り、部屋の番号を確認し、大家が鍵を開ける。一堂が息を呑むのがわかったが、大家は何の躊躇いもなくドアノブをつかむと勢いよくドアを開けた。

 鼻をつく強烈に甘い、芳香剤の人工的な匂いがした。玄関には黒い革靴が脱いであった。玄関の右手がユニットバスで左手がキッチン、その向こうのドアは開け放たれていてそこがもう六畳の居室だった。部屋の中は薄暗かったがすぐにシャッと音がして光が差し、大家がカーテンを開けたのがわかった。それほど親しくない女性の一人暮らしの家に本人の許可を得ずに入る、というのはなかなかの緊張だった。してはいけないことをしているような気持ちが大きかった。靴を脱いで玄関を上がる頃には芳香剤の匂いにも慣れて、ここに陳本人はいないことを理解した。

 あまりじろじろ見てはいけないと思ったが、狭い部屋だったので何があるのかは大体すぐに見えてしまった。大量の本、幾らかの服、大きな段ボール。キッチンには乾麺を食べた後と思われるパッケージのゴミ。全員がそれぞれに気まずい思いをしていることを感じ取った後輩がテキパキと全員に指示をだし、女性が衣服を、大家と准教授が書籍を、私と後輩が大型家電を運び出すことになった。

 洗濯機はベランダにあり室内を片付けなければ運び出せなかったので、最初は冷蔵庫から取り掛かることになった。ついでにキッチン周りも担当に加えられ、私は食器棚に手をかけた。開けて驚いた。ぎっしりと乾麺が詰まっていたのだ。研究室で見たときは日本のものも食べていたように思うが、そこに入っていたのは全て台湾のものだった。ふと気になって詰んであった大きな段ボール箱を見ると、同じメーカーのロゴが書いてあった。中にも当然未開封の乾麺が詰まっていた。

「ここまでだとは思わなかった」
私たちの驚きを聞いて様子を見にきた准教授の言葉である。陳が乾麺ばかりを食べていることは研究室でも当然知られていたのだろうが、研究室で作るのが楽だから食べていると思われていたらしい。私もスパゲティばかり食べていた。けれどここまで同じメーカーの乾麺ばかりがあるとなると、やはり台湾や台湾に暮らす家族への郷愁があったのだろう。乾麺を段ボール箱にまとめながらぼんやりと陳の人となりを思い出したが、彼女の底抜けに明るい人柄とはどうも結び付かなかった。
(続く)

下はこちら

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?