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『僕の心のヤバイやつ』と斜陽

ーそして僕らは大人になっていく

 Twitterの更新を楽しみにしていた『僕の心のヤバイやつ』(以下、僕ヤバ)がアニメ化されていたのを知って、ぶっ通しで11話(執筆時点の最新話)まで見てしまいました。
 ストーリーが分かっているにも関わらず、ここまで熱中して鑑賞できたのでやはり面白いのだと思います。見視聴の方であっても、アニメの1話を見ることができたら最後まで見ることができると思います。
 この記事の目的は、『斜陽』を通じて本作の面白さを分析すること、となります。
 直感的には、歴史の教科書に『進撃の巨人』を、国語の教科書に『僕の心のヤバイやつ』をそれぞれ採用しても、既存のものと同じだけの貢献はすると思っています。

 以下の考察は、オタク特有の妄想であることにご留意ください。
 思考がまとまらないので何部かに分けて記事にします。

『斜陽』について

 『斜陽』は太宰治の小説でもあり、ヨルシカの曲でもあります。
これらと僕ヤバの関連性を探ります。

太宰治の『斜陽』について

 私は数年前に読んだことがあります。一言でまとめると、時代に取り残された貴族の没落を描いた物語です。内容はそれほど記憶していないですが、読破後の脳内イメージは今でも鮮明なままです。

人から尊敬されようと思わぬ人たちと遊びたい。けれども、そんないい人たちは、僕と遊んでくれやしない。

太宰治 『斜陽』

 全体を通して貴族としてのプライドや陰鬱さが漂っているのですが、なぜか美しいと感じるそんな小説でした。

夜が明けて新時代の幕が上がります。
ですが、その前に日が暮れる必要があります。

直治は時代が変わること、日が落ちて夜になることを受容していきます。
自分の時代が終焉を迎えようとしていても、
夕日が次第に沈んで空と地上が赤く燃えている
この一瞬を美しいと感じた思います。

ヨルシカの『斜陽』について

 歌詞の考察についてはページ下部のNoteの方が読みごたえがあると思います。私は曲単体での考察は行ってないからです。

高く成った葡萄みたいだ
届かないからやめて
僕は恋をしたんだろうか

ヨルシカ 『斜陽』

 アニメの観点からいうと、市川視点の歌詞になると思います。
高値の花である山田を酸っぱい葡萄と対比させているように見えます。これは、市川が山田にアプローチしない(好意の否定)ことを合理化していることと対比できます。
 一方で、どれだけ合理化しようとも恋に落ちたという事実は変えようがありません。

市川は恋に落ちて山田を好きになることを受容していきます。
市川の自我が変容を迎え辛い葛藤をしていても、
放課後に山田とともに下校する
この青春の一ページを美しいと感じた思います。


僕ヤバのリアリティについて考察しました。


参考文献




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