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『僕の心のヤバイやつ』とリアリティ
下記の記事の続きとなります。
この記事では、僕ヤバの面白さをリアリティという切り口から考察します。
一般的なラブコメとの違い
僕ヤバは分かりにくい。その意味では純文学に近いかもしれません。
ほとんどのラブコメは主人公がヒロインのことを好きであることを前提として物語が進んでいきます。しかしながら、僕ヤバは主人公がヒロインのことを好きかどうかが明確ではありません。
加えて言うなら、ヒロインが主人公のことを好きかどうかも明確ではありません。その意味で、非常にリアルだと考えることができます。
僕の心のヤバイやつ
あくまで本作は僕(市川)の心の機微を表現した作品となっています。ヤバイと形容している市川は、自分の感情をまだ特定できていないのだと思います。
ヤバイは多義語であるため便利ですが、単にヤバイと言っただけでは何も言っていないのと同じです。僕の心のヤバイとは一体何なのか、ヤバイに名前を付ける物語と解釈することも可能かもしれません。
僕ヤバとモノローグ
漫画の中の市川
漫画を読む中で、僕ヤバにおけるモノローグ(心の声)は主人公である市川のものがほとんどであることに気付きました。他の登場人物は発言こそしますが、モノローグは表現されていません。
モノローグを市川に限定することで、市川の心の葛藤や行動の重要さが際立ってくると理解することができます。ヒロインである山田の気持ちでさえ読者は推測するしかありません。
つまり、読者は登場人物の行動から行動原理を推測してその人の感情を考察することしかできません。これは、物語の中の市川も同様です。
現実世界の私たち
一方で、現実世界の読者も現実世界の他者の心の声は認識できません。なぜなら、「気持ち」を声に出していたとしても「本当の気持ち」は当人にしか分からないからです。
だからこそ、作中の市川と同じように現実世界の私たちも臆病になったりすれ違いが起きてしまったりします。これが、本作におけるリアリティの一端であると考察します。
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