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ヨルシカ 「斜陽」歌詞考察

「斜陽」歌詞全文
頬色に茜さす日は柔らかに
爆ぜた斜陽に 僕らは目も開かぬまま
<演奏>
悲しくってしようがないんだ
お日様で手が濡れた
眩しくって仕方がないし
途方に暮れた帰り、
落ちて行くように茜が差したから
もう少しで
僕は僕を一つは愛せたのに
斜陽に気づけば目も開かぬまま
静かな夕凪の中
悲しくってしようがないんだ
お日様に手が触れた
とろとろと燃えるみたいに
指先ばかりが焦げた
高く成った葡萄みたいだ
届かないからやめて
僕は恋をしたんだろうか
あのお日様のように、
落ちていくのに理由もないのならもう
<演奏>
頬色に茜さす日は柔らかに
爆ぜた斜陽も僕らの道をただ照らすのなら
もう少しで僕は僕を一つは愛せるのに
斜陽にはにかむ貴方が見えた
静かな夕凪の中
僕らは目も開かぬまま

【注】前提として当方はお日様が僕の恋する相手、斜陽はその相手の笑顔なのではないかと考察しています。

まず序章
「茜さす」とは「日、光、昼」などにかかる枕詞で、本曲でも直後に「日」がきています。ここでは頬色に茜さすと言っているので、頬が日に照らされて紅潮しているのが想像できます。
恐らく僕の恋している相手が日に照らされて頬が紅潮しているのではないでしょうか。そんな相手が笑顔で微笑む(=日は柔らかに爆ぜた斜陽)姿を「僕ら」は直視できないのでしょう。
この「僕ら」は僕と僕の友達たちのことでしょう。僕を含めた皆が彼女に見とれていることからも彼女がどれだけ美しいのか伺えます。

そして1番の歌詞へ
悲しみにくれている僕の情景が映し出されます。お日様で手が濡れたとありますが、これは太陽の眩しさに顔に手をかざし汗を拭っている、悲しみで溢れた涙を手で拭った、そして彼女に緊張して手が手汗で濡れてしまったとも想像できます。(ただ悲しみにくれているため失恋?したのではないかと考えています)
その後悲しみに暮れながら帰路につこうとしていると日が落ちて茜が差してしまいます。
ここで僕は僕を一つは愛せたのにと言っている所から、僕は自分の事を愛せていないことがわかります。
もう少し陽の当たる所を歩いていれば一つは僕が僕を愛せる部分が見つけられる、つまりお日様のような彼女の側を歩いていれたら照らされた自分に好きな場所を見つけられると希望を抱いているのではないでしょうか。
そしてまた斜陽の眩しさ(彼女の笑顔)を直視出来ず、静かな夕凪の中(彼女がいなくなった後の静寂の中)を佇んでいることが想像できます。

ここで2番の歌詞へ
1番と同様に悲しくて仕方ないことが僕から吐露されています。
お日様に手が触れた、つまり彼女に触れることができたのでしょう。しかし、指先ばかりが燃えたとあります。
これはイカロスの翼からオマージュしているのではないかと考えています。イカロスは迷宮に閉じ込められますが、父が作った人工の翼で空を飛び自由を得ます。しかし、その翼を過信したイカロスは太陽の近くまで飛んでしまい、翼が太陽に焼かれ、最後は海に落ちてに死んでしまいます。
ここでは、お日様のような高嶺の花である彼女にため彼女に関わってしまったため、身分不相応も思う僕は彼女に近づくことが出来ないのでしょう。
そんな彼女を僕は高く成った葡萄のようだと表現します。葡萄は低木に実をつける果実ですが、高い所に成った葡萄は人が脚立に乗っても届かないほどの高さに成ります。
僕がどれだけ背伸びしてもあなたの隣に立つことは出来ない、だからそんな高い所に成っても届かないからやめて、と僕の辛い思いが吐かれます。
ここで僕は自分が彼女に恋をしていたのでは?と実感し始めます。恐らくそれまでは憧れの念の方が強かったのでしょう。僕を照りつけるあのお日様のような彼女に。
最後の「落ちていくのに理由もないのならもう」という歌詞は僕が彼女に対して恋に落ちることに理由は無い(いつの間にか好きになってしまっていた)のならもう仕方がない!と少し吹っ切れた感じが見受けられます。

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そして3番、最後の歌詞へ
彼女の笑顔は変わらず僕らを照らすほど眩しく輝いています。まるで僕らの人生の行く末を照らしているかのように錯覚するほど。
彼女の側で、彼女に照らされていれば僕は僕を愛せるのではないか、そう思ってならないのにやっぱり貴方は遠くの存在で結局僕らは彼女のいる所へ手を届かせることができません。
そんな彼女の笑顔を見届け、静かな夕凪がまた訪れます。
そんな静寂の中で僕らは彼女の眩しさが忘れられず目を開けられない(泣いている?)ままこの曲は終わります。

まとめ
高嶺の花である彼女をお日様と捉えるなら、この歌は身分が不釣り合いで叶わないけれど諦めきれない恋心を歌った切ない片思いの歌とも解釈できます。

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