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ゆるりと生きるこの頃に。

こんばんは、まどかです。
大分とゆるゆる過ごしてまいりました。
なんとなく、今思うことを書きなぐりました。

恋人とご飯を食べ、家族とご飯を食べ、1人でも食べ、
やはり私はご飯が好きらしい。

そして、人とは他人と共有できないものかと考えていた

非常識だな、冷たい人だ。
どうしてもう少し他人を思いやれないものか

そんな風に思っていても、実は相手もそう思っているのかもしれない
私の普通は、誰かにとってはあり得ないことで
私にとってのまぁいいか、は
誰かにとっては許せないものであるかもしれない

想像力を働かせよう
相手のことを考えて行動や発言をしよう

そんなことは、まず大抵、できないものである
余裕がない時は特に

しらんがなで片付けてしまいそうになる
腹立たしくて悔しくて、悲しくなって口を閉ざす
あるいは激情のままに口を開く

後悔してしまいそうだから
いっそのこと感情を爆発させて仕舞えば昇華できるかもしれないのに
それを溜め込み押し込み、体に溜める

どんどん溜めていく

最後にはあなたの体が蝕まれる
早く気づかないと
体は悲鳴をあげているかもしれない、気づいてと

親のため、子のため、愛する人のため
それは美しい理由であるとしても
あなたがあなたを削って尽くす理由にはならない

まして、いかに尽くして身を粉にしてきたかなど
言ってしまいそうになるのであれば
そんなことやめてしまえ

あなたの愛する人は、大事にしたい人は
あなたに向かってこう言うのか

私のためにあなたの体を傷つけてくれと
あなたは私のために生き、支え、人生の責任をとれと

そんなことを平気で言う人であるならば金輪際関わらなくていいように全力で逃げるが勝ちである

あなたが慈しみたいという人はおそらくそうは言わないだろう
むしろ、あなたに向かってこう言いはしないだろうか

あなたはあなたの人生を生きて。
私のために生きるのではなく、自分のやりたいことやしたいことをやり、お互いに自分のために生きようと。
そして、困った時や辛いときは共に助け合おう。

愛を履き違えてはいけない
それは愛ではなく、からみつく鎖になる
いつしか鎖はがんじがらめになってしまい、自力で解くことはできなくなってしまう

私にできるあの人への愛とは何か
自分のエゴになってしまっていないか

よく考えよう
ゆるりゆるりと時間をかけて
私が一番私を大切にできる生き方を

そして、いつか自分の投げうってしまったとしても構わないと思えるほどの愛する人やものに出会いたい

そんな人生でありたい



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