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レーゲンスブルク①大聖堂と石橋
Regensburg
レーゲンスブルク
私の同僚の一人は、この街の大学で学んでいた事があり、とても美しい街だと教えてくれていた。
ただ、デュッセルドルフからレーゲンスブルクはまでは遠く、約550km。
私が行く機会を得られずにいると、街は2006年に世界遺産に指定された。
ますます、私のこの街への憧れは強くなっていったのだった。
また、別のお友達は、名作『ベルサイユの薔薇』を描かれた池田理代子氏の作品、『オルフェウスの窓』のファンであり、作品を私に熱心に勧めてくれた。
これはレーゲンスブルクが舞台となった作品であり、所謂『聖地巡礼』として、この街を訪れる日本人が多いことを、彼女は私に教えてくれた。
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そして私はようやく、この街を訪れる機会を得た。
街の歴史は大変古く、1世紀ローマ時代まで遡る。
街の名前Regensburgは、ローマ軍がドナウ川とレーゲン川の合流地辺りに駐屯地を設営し、Castra Regina(レギーナ河畔の駐屯地)と呼んだ事に由来する。
5世紀には、ゲルマン民族により街は占領され、更にローマ帝国崩壊後は、カール大帝率いるフランク王国の一都市となる。
13世紀頃に、街は交易の中継地として最盛期を迎え、帝国自由都市になる。
その頃のレーゲンスブルクは、ドイツ最大の都市にまで発展していたそうだ。
ここは街全体が世界遺産されているが、その多くの建物は、この全盛期に建てられたもの。
街はその後、交易の衰退と共に力を失い、15世紀からバイエルン公爵領に。
街の繁栄には、聖エメラム修道院も大きく影響し、1663年に永続的帝国議会開催地に指定され、再び繁栄を取り戻す。
18世紀、スペイン王位継承戦争、フランス革命と相次いで戦争の舞台となり、街は再度衰退の道を歩む。
19世紀になって工業化されたものの、すでに近隣の街のほうが発展してしまっていた。
発展しなかった事が幸いとなり、新しい建物が造られず、結果的にこれらの古い遺産が残された。
またWW IIでも、それほどの大きな爆撃を受けずに済んだそうだ。
オルフェウスの窓に憧れ、是非レーゲンスブルクを訪れたいという友達のために、街の様子は、オルフェウスの窓に関連する場所も記載した。
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Regensburger Domレーゲンスブルク大聖堂
2本の塔が聳えるドームは、ケルンの大聖堂に似ており、また高さも150メートルで、ケルンの大聖堂とほぼ同じだ。
大聖堂に隣接する礼拝堂は、7世紀からあるそうだ。
大聖堂の建設は1273年スタート、1634年完成。
当時は尖塔はなく、ルードヴィッヒ1世の命により、19世紀に入り尖塔が作られた。
彼の銅像は、大聖堂南側に見つける事ができる。
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ドナウ川沿いのモニュメントは17世紀の街の様子が再現されており、そこには尖塔のない大聖堂の姿があった。
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聖ペーター大聖堂という別名の通り、街の守護聖人でもある聖ペーターが、天国への鍵を持っている。
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因みに、市の紋章は鍵が交差したこのマーク。
バチカン市国もこの交差したマークが使われていることから、レーゲンスブルクが如何に大きな権力を持っていたかを思い知る。
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世界最大の壁掛けパイプオルガン。
その重さは35トンだとか。
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ステンドグラスも美しい。
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Domplatz ドーム広場
大聖堂前の広場には、ホテルやレストランが並んでいる。
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ドーム広場の前にある帽子屋さん。
ここはドイツ最古の帽子屋さんであり、映画アリス・イン・ワンダーランドでジョニー・ディップが被っていた物は、ここで作られたものだそうだ。
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また、街には観光トレインが走っており、その姿も可愛らしい。
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Steinere Brücke ドイツ最古の石橋
大聖堂と共に、この街のシンボルとも言える橋。
1135-1146年にかけて建設されたこの橋は、ドイツ最古の石橋。
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Bruckmandl 小さな石の男
石橋は中央部分が高く、両端が低く設計されている。
そして、この石橋の中央部分、一番高い場所にあるこの小さな像。
これには、言い伝えがあるそうだ。
かつて二人のマイスターが、それぞれ二つの大工事の完成速度を競ったという。
それはこの街の二大シンボル、大聖堂と石橋。
橋を担ったマイスターは、毎日大聖堂の塔を見上げては、その完成を気にしていたのだそうだ。
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Brücktor ブリュック門(橋の門)
市内にはいくつか塔が残っている。
かつて城壁で囲まれていた街は、このような塔で防御されていた。
右側の大きな門の部分は、路面電車が走れるように造られたそうだ。
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宮本輝さんの小説、ドナウの旅人の表紙を真似て一枚。
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Salzstadel 塩倉庫
橋の門の隣に建てられてている白い建物は倉庫。
かつて、塩は貴重品であり、塩で財を築く事もあった。
ここは、税関の役目を果たしていたようだ。
今は、博物館として使用されている。
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Wurstkuchl ドイツ最古のソーセージ屋
この街にはドイツ最古がたくさんあるが、ソーセージ屋さんもその一つ。
この塩倉庫の隣にポツンと建つ小さな建物。
近くまで行くと、ソーセージを焼く美味しそうな香りが漂ってくる。
この場所は、橋工事の労働者に食事を提供する目的で作られたそうだ。
ザウワークラウトとソーセージ、そしてビールも忘れてはいけない。
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Wiedfangbrunnen ヴィーダーファンクの井戸
橋の門の西側にある井戸。
この場所は中世は港であり、木材などが置かれた場所であった事から、中高ドイツ語の木材保管場所という名前が残っているそうだ。
井戸は既に枯れているが、17世紀に飲料水確保のために掘られたもの。
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旧聖カタリナ教会
橋を渡り北側のエリアは、Stadtamhofと呼ばれている。宮廷の街という意味で、バイエルンが造った街の名残。
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街全体が世界遺産だが、この地区にある旧聖カタリナ教会も、世界遺産指定の一つ。
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レーゲンスブルクの外部強制収容所跡
橋を渡り切った右側の空き地で、小さな石碑を見つけた。
地図にも観光マップにも載っていないこの石碑は、この街の悲しい歴史をひっそりと伝えていた。
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レーゲンスブルクから北へ100キロの街フロッセンビュルクには、強制収容所があった。
1942年以降、この橋の袂のColosseumという宿泊施設に、約460人の男性捕虜が移送された。
この宿泊施設は、今もこの石碑の近くに残っている。
彼らは1日12時間もの間、爆撃を受けた線路の補修を任され、過酷な労働条件と不衛生な環境、そして空襲の危険も重なり、5週間で40人もの死者を出したという。
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レーゲンスブルク音楽学校
こちらは、オルフェウスの窓ファンのお友達のために。
漫画での音楽学校の建物は、後に記述するトュルン ウント タクシス城を参考にしていると言われているが、橋の袂に実際に音楽学校が存在する。
隣接する教会のための附属音楽学校のようだ。
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Kepler Momument ケプラー記念堂
こちらも、オルフェウスの窓関連。
キッペンベルク商会の差金で、レーゲンスブルク管弦楽団とのコンサートはオペラ座での公演が出来なくなり、代わりにこの場所でコンサートを演奏した。
ケプラーの像が中心にあるので、漫画の中のような演奏はできないようだ。
公園の中にあるこの場所は人も多く、足を止める人が多かった。
ケプラーとは、Johannes Kepler。
ケプラーの法則でも知られている天文学者。
ガリレオから手紙を送られた記録もあり、友人だったそうだ。
彼は、レーゲンスブルクで亡くなったことから、この記念堂が残されているようだ。
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Hotel Maximilian ホテル マキシミリアン
もう一つ、オルフェウスの窓ファンのお友達のために。
駅前にある豪華な建物は、漫画内でショルツ先生の滞在ホテルとして描かれている。
ケプラーモニュメントからも見える距離。
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レーゲンスブルク②へ続く。
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