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二本の万年筆

万年筆が好きだ。
仕事ではボールペンを使うけれど、署名をする時は万年筆を使う。

手紙も必ず万年筆で書く。
万年筆を手にすると、ほんの少し背筋が伸びる。
そしてなぜか、字が上手に書ける気がするのだ。

ペン先が紙を削って、ボールペンとは違う音を立てる、その音も好きだ。
だから、いつも静かな部屋で手紙を書く。
相手を思いながら。

万年筆は、叔父が使っているのを見たのが最初だ。
初めて見た時に、カッコイイなと思った。
ペン先が金色で尖っていて、スルスルと紙の上を動くさまが、とても綺麗だと思った。
Ditoも書いてみたい?と、叔父は聞いてくれたのだけれど、自分にはそぐわないような気がした。
高価な宝物のような気がして、興味があったのに、それを手に取ることができなかったのだ。

叔父がその万年筆で、綺麗な文字を書いていくのを、叔父の椅子にくっつくほど近くで見ていた。

叔父は、私が万年筆に興味があると分かると、書いてごらんと、再び私に万年筆を差し出した。

強く書いてはダメだよ、優しく書くんだ。
できるかな?

叔父は、万年筆を私に握らせると、私の小さな手を包んで、一緒に文字を書いてくれた。
いつも鉛筆で書くような強さではなくて、紙を滑るような優しい感覚が分かった。

叔父が書いたのは、私の名前だった。

Ditoの名前は、いい名前だよ。
いい漢字を使ってる。

それから、一人で万年筆を握らせてくれたのだけれど、ペン先の方向を上手くコントロールできず、文字がかすれた。
いい名前だよと言ってくれたのに、私は自分の名前を上手く書けないのが悔しかった。

いつか上手に書けるようになるよ。

叔父はもう一度万年筆を手に取り、お手本のように私の名前を書いてくれた。

スルスルと文字を書く叔父が、羨ましかった。

今思うと、小さな子供に万年筆を持たせるのは、多少心配ではないかと思うのだ。
ペン先は、繊細だ。
叔父は大らかな人であったけれど、万年筆を大切にしていたのも知っている。
叔父はあの時、万年筆の良さを私に伝えたかったのではないかと思う。
右手から伝わってきた叔父のゴツゴツした手と、その温もりを、ふと思い出す。

叔父はその時に、万年筆の名前を教えてくれた。
モンブラン。
私は、それはケーキの名前だよ、と言った記憶がある。
叔父は、私に万年筆を垂直に持たせてから、万年筆のてっぺんを指さした。

ここに何があるか分かる?
私は、叔父が何を聞いているのか分からなくて、じっと万年筆を見ていただけだった。

Ditoには、ここに白い山が見えるかな?
叔父は、私を試すかのように聞いてきた。

私はようやく、白い山を見つける事ができた。

モンブラン、白い山。
私は、そんな素敵な名前を持った万年筆を、すぐに気に入ってしまった。
いつか私も自分の万年筆が欲しい、と幼い私はそう思った。

ドイツに初めて旅行に来た時に、どうしても欲しいものがあった。
それが、モンブランの万年筆だった。
当時の私にとっては、少し背伸びした買い物だったけれど、数か所お店を回りいつくもの万年筆を見せてもらい、ようやく一本を決めた。

叔父の万年筆は、少し太くて丸みのあるもので、叔父の大きな手に似合う万年筆だ。
私は、自分の手に合った少し細めのものにした。
叔父の万年筆のように、てっぺんに白い山はない。
でも、上から見ると、モンブランのマークが見つけられるというデザインも気に入った。
それは、予定よりも少し高い買い物になってしまったけれど、今も後悔などしていない。

最初の頃、インクが出なくなって専門店に修理をお願いした時には、壊れてしまったのではないかとドキドキした。
でも、壊れているのではなくて、インクが固まって詰まっているだけだった。
そして、その修理店のかたが、お手入れの方法を詳しく教えてくださった。
それからは、一度も問題が起きることなく使い続けている。


一文字一文字、丁寧に書く。
叔父のような綺麗な字は書けなくても、丁寧に書く。
きっと、思いは伝わるから。


手紙を書いている時間も、相手に届くまでの時間も、相手に対しての小さなプレゼント。
便箋を選ぶ時から、楽しい。
いくつもの棚にある便箋を、一つ一つ見るだけでもワクワクする。
切手を買いに郵便局に行き、記念切手や季節の切手があるか聞き、封筒に貼る。
いつ届くだろうかと相手の顔を思い浮かべながら、ポストに投函する。

メールならば一秒で届くのに、私はこんな時間の無駄使いが好きだ。


旅先にも、必ず万年筆を持参する。
お土産屋さんで絵葉書を選び、旅の間に友達に絵葉書を送る。
写真付きのメールやメッセージのほうが、もらうほうは嬉しいのかなと思いながらも、毎回絵葉書を選ぶ自分がいる。
こんな古臭い私から届く絵葉書を、喜んでくれる友達もいるのだ。

ドイツに留学した時には、もう一本万年筆を買った。
それがLamy(ラミー)で、こちらもドイツの万年筆だ。
これは、留学中に親しくなった友達が使っていて、初めて知った。
万年筆で書いたものを何やらペンのようなもので消したのを見て、私は驚いてしまったのだ。
私は、砂消しや修正液、修正テープしか知らなかったからだ。

それは一体どういう万年筆なの?と聞いたところ、授業の帰りにラミーを買えるお店に連れて行ってくれた。
私はよく書き間違いをするので、消せるという利点が気に入って、留学中はずっとこれを使っていた。

ドイツでは、黒いインクはあまり使われず青いインクが主流だ。
私も初めてその時に、青いインクの文房具を買った。

ノートを埋める青い文字が新鮮だった。
モンブランよりも少しペン先が太く、私の字はやや丸みを帯びる。
昔のノートをめくると、授業についていこうと必死で書いたメモが、所狭しと並んでいる。
読めない文字もたくさんあって、自分がどれだけ必死だったか分かる。
私の懐かしい思い出の一つだ。

今は、消せるボールペンが手軽に手に入るけれど、当時の私にとっては画期的だった。
私は、大学時代の友達へのプレゼントに、私が使っている物と同じラミーを贈った。
全く同じ型の、全く同じ色だ。
友達はとても喜んでくれて、それからは日本への一時帰国の度に、インクと文字を消すためのペンをたくさん買って帰った。
誕生日やクリスマスのプレゼントを送る時にも、いつも忘れずに同封した。


友達も、手紙や葉書をよく書いてくれる人だ。
今でも、友達の筆跡を見て、ラミーを使って書いてくれているのだと分かる。
遠くにいても、その文字の青さが私達を繋げているのだと感じる。
インクが日本で買えるようになったから、もう送ってこなくていいよ、と言われてから数年が経った。
日本でいくらでもインクが買えるはずなのに、友達はいつも私が使っていたインクと同じ色を使って、手紙を書いてくれる。
その几帳面さや生真面目さが、彼女らしいなと思う。

大学時代は、まさかこんなに離れて暮らすことになるなんて、私達は想像していなかった。
留学したいという希望はもちろん語っていたけれど、永住するとは思っていなかった。

私達は講義と講義の間に、とりとめのない話をして、一緒にお昼ご飯を食べ、週末には一緒に出掛けた。
私が運転免許を取った時、最初にドライブに一緒に行ったのもその友達だった。
卒業旅行も、彼女と一緒だった。

私達は当時、あまりお酒が強くなかった。
今も私は、それほど飲めるほうではない。
日本に一時帰国した時に、初めてお酒で乾杯した時には、私達もいつの間にか大人になっちゃったね、と笑い合った。


今も時々、ラミーを使いたくなる時がある。
モンブランよりも、丸みを帯びた優しい文字になる。
そして、文字を書く度に、その友達の事を想う。

母になった友達は、ますます輝いて見える。
大学時代にはなかった目尻の皺を見つけても、それを老いだとは決して思わない。
子供に眼差しを向ける時、その目尻の皺がより深く刻まれるのを知っているから。


今日、久しぶりに友達に手紙を書いた。
もちろん、ラミーの万年筆で。

万年筆のキャップを取った途端、当時の思い出が溢れ出すような気がした。

素敵な人と出会えてよかった。
ラミーの万年筆を握りしめて、そう思った。

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