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マインツ 大聖堂・シャガールの窓・活版印刷

ドイツ三大大聖堂。
それはケルン、トリアー、そしてマインツ。
マインツは、フランクフルトとデュッセルドルフを行き来する度に通っていたのだけれど、まだ一度もその駅に降り立ったことがなかった。

マインツを訪れたいと思ったのは、三つの理由がある。
それは、大聖堂をこの目で見る事、シャガールの窓を見る事、そしてグーテンベルク博物館を訪れる事だ。

マインツの歴史は非常に古く、もともとケルト人が住んでいた土地に、紀元前一世紀頃にローマ帝国の都市が造られ始めたようだ。
マインツ中央駅の隣の駅、その名もローマ劇場と呼ばれる駅の真ん前には、円形の劇場跡地が残っている。

大聖堂は、8世紀にボニファティウス司教の時代に造られた。
彼の彫像は大聖堂の前に飾られている。

建物はロマネスク式で建て始められたが、時代と共に様々な建築様式を取り入れる形となった。非常に大きく強固なイメージの建物だ。

ケルンの大聖堂のような煌びやかさはないものの、非常に重厚で堅実な内装で、あらゆるところに司教の彫像が彫られている。

大聖堂前の広場は、市場が開かれる曜日があり、朝から買い物袋を下げたかたで賑わっていた。

広場にはMarktbrunnen 市場の噴水と呼ばれる泉があり、パヴィアの戦いの勝利を祝して造られたものだそうだ。

蛇足だが、排水溝は街のシンボルマークが使われている事が多いが、マインツのシンボルマークがこちらの車輪だ。
起源ははっきり分かっていないそうだが、ウィリギス司教の先祖が車輪職人だったからという説が濃厚だという。

マインツで見たかったもの、もう一つは聖シュテファン教会。
通称、シャガールの窓と呼ばれるステンドグラスが有名となった教会だ。
彼は多くのステンドグラスを手掛けているが、この作品が彼の遺作となった。

教会に入り、一瞬息を飲んだ。
一面が青い世界に包まれ、まるで海に潜ったかのような錯覚を起こしたからだ。
青い色は、教会の作り出すひんやりとした温度と共に、私を深海へと引き摺り込む。
目で、そして肌で、目に見えない力を感じる。
圧倒的なその力の前に、私は感動すら覚えたのだった。

窓の近くに寄れば、どの絵もシャガールの独特のタッチで描かれているのが分かる。

一箇所だけ、雰囲気の違うステンドグラスが使われている。
そこは、マリア様を祀っている場所だった。

中庭の回廊も美しい。

マインツ訪問の、一番のメインとも言えるものがグーテンベルク博物館。
ルネサンス三大発明は、火薬、羅針盤、そして活版印刷。
その活版印刷を発明したグーテンベルクは、マインツの出身である。
博物館では、今も当時の印刷技術を再現するコーナーがあり、私はどうしてもそれを見てみたかったのだ。

グーテンベルク自身の詳細については、今も良く分かっていない事が多いのだそうだ。よく教科書で見るグーテンベルクの肖像画についても、博物館のかたが面白い話をしてくださった。
あの肖像画は、彼が亡くなってから100年ほどしてから描かれたもので、当時すでに彼を良く知る者は誰もいなかったのだそうだ。
ただ、彼は髭を生やしてはいなかったそうだが、当時は髭は賢さの象徴であった。
「だからね、髭を勝手に付け加えた描いちゃったそうだよ」とお茶目に話してくださったので、思わずプププと笑ってしまった。

こちらが教科書でよく見るグーテンベルク

彼の肖像画として一番古く残っているという一枚を見せてくださった。

右側のページの絵が
彼を描いた最古の絵だそうだ

マインツは金細工師が多い街で、彼の父親は金細工師だったという説や、造幣に関わっていたなど説がある。
とにかく、彼は金物を扱う知識を持っていたことは確実である。
グーテンベルク以前にも、印刷技術はもちろん存在していた。しかし、それは木版に彫るもので、非常に手がかかるものだ。
館内には中国や朝鮮、日本の印刷技術も展示されており、当時すでに金属の印刷技術というものはあったようだ。

彼の発明は、ただの金属を使った印刷というものだけではない。
まず、文字の父型と呼ばれるものを作成して、それを母型と呼ばれる鉛合金に流し込み鋳造する。
その様子も実演してくださったのが、あっという間に一つのアルファベットができてしまう。
それを組み合わせて一つの文にし、印刷機に乗せる。
マインツのあるライン川流域は、ワインの産地であり、ブドウを絞る圧搾機からヒントを得て、その印刷機を作ったらしい。
この機械自体は、残念ながらグーテンベルクが使っていた時代のものではなく、再現された物だそうだ。

インクや紙にも彼はこだわり、イタリアから取り寄せた上等な紙を使用したという。

また、3階部分には非常に貴重なものが大切に保管されている。
それが、グーテンベルクが最初に印刷したという42行聖書だ。
180部印刷されたというその聖書のうち、現存するものは48冊。そのうちの一冊がここに保管されている。
その部屋だけは別室になっており、暗いわずかな光だけで照らされている。そして、この部屋だけは写真撮影が禁止されていた。
博物館のかたの説明によると、その聖書が入っているガラスケースは、たとえ戦車が乗ったとしても壊れず、火事が起きたとしても燃えないという。
1455年にその聖書の印刷を開始したというのだから、なんと567年前のものだ。

グーテンベルク前、グーテンベルク後という形で、印刷技術の歴史も非常に詳しく説明されていた。
最後のコーナーは現代的な印刷機、ハイデルベルグ社の印刷機が何台か展示されていた。

印刷技術は、人々の生活を変えた。
それまでは、本は一文字一文字手書きをしていたのだから、一冊の本は非常に貴重なものだった。
あらゆる辞書や図鑑、楽譜なども容易に作成できるようになり、人々の教育に大きな影響を与えた。
また、ドイツ語で聖書を出版したルター。
聖書がなければ、宗教革命はなかっただろう。歴史は、今とは違ったものになっていたかもしれない。

また、言葉を発する事、そして伝えることの重要性も着目すべき点だろう。
最後のコーナーには、新聞を始めとするメディアの展示物が並んでいた。
言葉を書き残す事、伝える事は人の生活に深く関わるのだと実感できる展示方法だった。

彼はただ印刷技術を発明したのではなく、私達の生活を変えたからこそ、三大発明と呼ばれているのだと。

さて、マインツは、ライン川とマイン川の合流地。
川沿いをしばらく歩くと、ちょうどその合流地を見ることができる。
手前を流れるのがライン川。そして、写真中央の細い部分がマイン川だ。

川沿いにはたくさんの人が腰掛け、日が落ちてからも語らい続けている。
デュッセルドルフのライン沿いの賑わいではなく、ただその自然を眺め、そこに溶け込んでいるように感じ、私はその光景をとても美しいと思った。

マインツは、ドイツの公共放送ZDFのスタジオがあることでも有名だ。
街中の信号もマスコットのMainzelmännchenが表示されていて、思わず微笑んでしまった。

街には放送局のマスコットのお土産があり、私もその一つを買い求めた。

最後に。
マインツは、ケルンやデュッセルドルフと並ぶ三大カーニバルの街でもある。

今日の記事は、いくつもの『三大』が登場した。

三大大聖堂
三大発明
三大カーニバルの街
そして、私が訪れたかったマインツの観光ポイントも三つ。

しかし、マインツは三つどころではなく、幾多の魅力を持った街だった。
次回は是非、カーニバルの時期に訪れよう。
きっと、この街のまた別の顔を見ることができるだろう。

ハイデルベルグ社については、こちらの記事にて。

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