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ライプツィヒ 音楽の父 バッハの博物館へ
ライプツィヒへの旅の記憶が新しいうちに、この博物館の思い出も書き残しておきたい。
こちらの記事の通り、クリスマス時期に私はライプツィヒを再訪した。
その時に訪れたのが、バッハ博物館。
バッハと交友のあったボーゼ氏の住居が、博物館に改造されている。
場所は、トーマス教会の向かい。
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博物館では無料ガイドを貸して下さる(日本語も有る)ので、それを聞きながら見学するとより理解が深まる。
まずは、博物館入り口に置かれたバッハの胸像からスタート。
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バッハは、1723年から亡くなる1750年まで、この街にあるトーマス教会の音楽監督を勤めた。
見学は二階部分から始まり、音楽一家のバッハの家系図等が説明される。
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この博物館のメインとなる展示物が、こちらのパイプオルガン。
元々はヨハネス教会のために作られたこのパイプオルガンは、バッハが試奏した事が分かっているそうだ。
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また、中世の楽器も展示されている。
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この楽器が飾られている部屋は、壁の音楽家達と名付けられた仕掛けがある。
それぞれの楽器の絵の前にあるボタンを押すと、その音色を聞くことができるのだ。
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また、バッハ家で使われていたと判明している唯一の家具がこちらに展示されている。
立派な鍵付きの重厚な箱だが、これがバッハ家の物と判明したのは、意外と最近(2009年)になってからだそうだ。
この箱は長い間、マイセンの大聖堂博物館にて、寄付金のための箱として使われていたそうだ。
ある人が、この箱の模様がバッハ家で使われていた紋章に似ていると指摘し、調査したところ、本当にバッハ家で使われていた物と判明したそうだ。
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こちらが、バッハ家の使っていた紋章が分かるシーリングワックスの刻印。
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バッハが宮廷指揮者から、トーマス教会の音楽監督になるまでの歴史など。
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こちらは、ボーゼ氏との密接な関わりを示す資料。
隣人であり、友人でもあり、家族ぐるみの密接な関係だった。
子供達の洗礼式では、ボーゼ氏の妻が名付け親として式に立ち会ったそうだ。
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二階の窓からは、トーマス教会が見える。
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そしてこの部屋には、バッハとトーマス教会少年合唱団が住んでいた家の模型が展示されている。
バッハは少年合唱団とこのように共同生活をしていた事もあり、少年合唱団にとても多くの時間を費やしたそうだ。
子供達との共同生活は、時には彼にとってはうるさ過ぎたようで、作曲活動に集中できないと文句を言う事もあったとか。
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バッハは、ライプツィヒに来てから、ハイスピードで楽曲を作成し続けた。
作曲だけでも大変な仕事であるが、演奏指導、少年合唱団の取り纏めにも、その時間の多くを使ったそうだ。
バッハ直筆の楽譜や肖像画、またバッハの墓から発見された遺品は、一階の宝物室に飾られているが、残念ながらこの部屋だけは写真不可。
私達が目にするバッハの肖像画の原画、そしてコピー2枚が飾られている。
バッハはヨハネ教会に葬られたのだが、その後長い間彼は忘れられた人だった。
墓も、どこにあるのか不明になっていた程だ。
しかし、第二次世界大戦で教会が空爆に遭ったことで、バッハの墓は縁のあるトーマス教会へと移された。
博物館の宝物室には、妻の物と思われる腕輪や指抜き等が小さな箱に入れて飾られている。
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直筆の楽譜も数枚展示されているが、非常に光に弱い為、数ヶ月ごとに展示品を変えているそうだ。
こちらは、バッハの筆跡研究の様子。
滲んだインクで、楽譜が読めなくなってしまっている。
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五線を書くためのペンというものを、ここで初めて見た。
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年代判定は難しいものだが、紙の透かし模様には個性があり、製紙業者、年代により模様は異なり、ある程度の年代を推定できるそう。
こちらは、当時使われていた紙を漉く道具。
画像では見にくいが、細かな模様が確認できる。
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ボーゼ氏は武器商人であったため、倉庫に使われていたであろう扉には、武器の絵が描かれている。
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中庭も、花が咲く時期はきっと綺麗だろう。
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一階のチケット売り場には、カフェやお土産コーナーもある。
クリスマスコンサートと同じ内容のCDを買い求めたところ、なんと最後の一枚だった。
私はライプツィヒにおいては、つくづく運が良い。
最後のコンサートチケット。
そして、最後のCDとは。
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一度目のライプツィヒ訪問では、その街の持つ歴史を知りたくて、あちこちを訪れた。
今回は、バッハの足跡を辿る旅。
音楽の父、バッハ。
音楽が溢れる街ライプツィヒを作った人。
ライプツィヒは、多くの音楽家を輩出している。
世界中にワグネリアンと呼ばれる熱狂的なファンを持つワグナーも、ライプツィヒ生まれだ。
シューマンもメンデルスゾーンも、私の住む街デュッセルドルフに来る前に、ライプツィヒに住んでいた。
小学校の音楽室に飾ってあった、たくさんの肖像画。
バッハは、上段の一番左に飾ってあったことを覚えている。
クルクルしたカツラを被り、ちょっとイカツイ顔をしたこの男性は、まさに音楽の父、音楽の天才だったのだと、改めて実感した旅だった。
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