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コペンハーゲン①物憂げな人魚姫

ドイツの隣国、デンマーク。
首都コペンハーゲンと言えば、まず思い浮かべるのがアンデルセン童話。
この街にある人魚姫の像には、不名誉なニックネームが付けられている。
それが、世界三大ガッカリ。
ブリュッセルの小便小僧、シンガポールのマーライオンが仲間として挙げられている。

ブリュッセルの小便小僧を見ても、私はがっかりしなかったのだから、人魚姫を見てもきっとがっかりしないだろう!
焦る気持ちを抑えながら、まずは人魚姫を書いたAndersen アンデルセン像へ。

アンデルセン像

市庁舎とチボリ公園の間に置かれている像。

チボリ公園

アンデルセンの視線の先にあるのは、チボリ公園。
様々な遊戯施設やレストランなどが集まった一大娯楽施設だ。
彼はこの公園を何度も訪れて、執筆の参考にしていたとか。
残念ながら、訪れた時には閉館時期のため、外からの様子のみ。

市庁舎

アンデルセン像の後ろに聳えるのは、立派な市庁舎。

夜はライトアップされる

塔は修復中のため登れなかったが、こちらが内部の様子。

また、この市庁舎前がシティガイドの集合場所になっており、せっかくなのでこのツアーに参加させてもらった。
約三時間のツアーで、街のメインや歴史をお話してくださる。
そのため、記事①はそのツアーにて訪れた街の様子をまとめたい。

Strøget ストロイエ

ストロイエは、街のメインストリート。
様々なお店やお土産物屋さん、カフェ、レストランが並ぶ。

長いメインストリートの真ん中あたりにある噴水。
三羽の鳥は、人生の三段階を表すそうで、大学の卒業式の後は、みんながこの噴水でお祝いするのだとか。
ガイドさんは、ご自身の卒業の時の様子を写真で見せてくださった。

噴水の後ろにあるのは、ロイヤルコペンハーゲン。

デンマークのおもちゃメーカー、レゴのお店もこの通りにある。

フライングタイガーも。

QNIQLOやMUJIも。

裁判所

重厚な建物は、裁判所。

裁判所の反対側には建物が並んでいるが、かつてここは処刑所だったという。
裁判所で刑を言い渡された人の中には、すぐに道の反対側に送られ、処刑されてしまう人もいたのだとか。

ガイドさんが、ある小さな通りに連れて行ってくれた。

この通りの名前は、何と『トイレ通り』。
ここは街の中でも一番古い通りに分類され、かつてはこの通りの私達が立っている場所は汚水や排泄物が集まり、運河に流れ込む仕組みだったそうだ。

そして、もう一つ面白い建物の仕組みが紹介された。
二階の窓に設置された小さな突起。
今のように玄関モニターがない時代、リビングにいながら、鏡の反射を利用して、玄関の訪問者を確認できるような仕組みだったらしい。

Christiansborg クリスチャンボー城

コペンハーゲンで一番高い塔を持つこの建物。
王室と政府の迎賓館としての役割を持つこの場所は、更には国会議事堂、内閣府、最高裁判所の三権が集まる場所でもある。
まさに、国家の中心とも言える。

大きな庭には二頭の馬がいて、馬に乗ってこの場所に戻ってくる様子も見る事ができた。
建物中の様子は記事②にて。

警備隊がしっかり守っている。

Amalienborg アマリエンボー城

こちらは、国王とその家族の居住地。
旗が掲げられているのは、建物内にいることを表しているそうだ。
2024年1月に退位したマルグリーテ元女王、現国王フレデリック10世、迎賓館、博物館の四つの建物が円形に並んでいる。

警備隊の交代式が毎日行われ、国王が所在の時は音楽付き、不在の時は音楽無しで執り行われるそうだ。
私達が訪問した時には、音楽付きだった。

Nyhavn ニューハウン

ニューハウンとは、新しい港という意味。
コペンハーゲンはデンマーク語でKøbenhavn と書かれ、商人たちの港という意味だとガイドさんが教えてくださった。
元々この街は港が賑わう街だったが、1671年に新しい運河がここに造られ、2年後に開港した。
今は、コペンハーゲンで一番の観光地とも言える場所で、色とりどりの家はレストランやカフェになっている。

港には、大きな碇が置かれている。
ほとんど誰も見向きもしないこのオブジェ。
ガイドさんは、静かにこのオブジェについて話し始めた。
メモリアル・アンカーと呼ばれるこのオブジェは、第二次世界大戦で命を落としたかたへの追悼の意味が込められたものだ。
1940年、ドイツ軍がコペンハーゲンの街に侵攻し、多くの犠牲者が出た。
街のほとんどは焼き払われ、古い建物が残っていないのは戦争のせいだという。
みんなで静かに黙祷を捧げた。

夜のライトアップされた港

人魚姫の像

私が初めて人魚姫を読んだ時の事。
それまでは読み聞かせをしてもらっていた本を自分で読んでみたくて、小学生の頃に図書館の童話集を片っ端から読んでいた時期があった。

私が知っていた人魚姫は、可愛らしい人魚が、王子様に恋をするお話。
しかし、初めて自分でそのお話を読んで、その悲しさに私は号泣してしまった。

恋のために、自分の声を犠牲にし、知らない世界へ飛び込む。
そこまでして得た足は、しかし歩く度に痛みを伴う。
それでも人魚姫は、王子様のために、痛みを堪えて軽快にダンスを踊るのだ。

しかし、王子は自分を選ばなかったので、魔女との約束の通り、海の泡にならねばならない。
姉たちが準備した、人魚に戻るための方法。
それは、愛する人の命を奪う事。
人魚姫は、その方法は選ばず、海に身を投げる。
海の泡となった人魚姫は、風の精霊となり、王子様の選んだ花嫁の額に祝福のキスを贈る。
救い難い悲しみの物語は、人魚姫の一途な想いと、その清らかさを伝えているようだ。

ディズニー映画のハッピーエンドは素晴らしいけれど、私はこの人魚姫の像を見て、この悲しい結末を思い出さずにはいられなかった。

ニューハウンのカラフルな街並みは都会の雰囲気だが、人魚姫の像があるのはその喧騒から少し離れた海沿いの場所。
都会の真ん中ではなく、この場所に人魚姫がいるのは、人間の世界に憧れ、遠い世界からやってきた人魚姫に相応しいような気がした。

少し背中を丸めて岩の上に座る人魚姫は、物憂げで悲しそうで、人間の足を得た事を後悔しているようにすら見える。
しかし、悲劇が人々の感情を揺さぶり人気を博すのは、よくある事だ。
世界三大ガッカリと言われながらも、その像を見に、街外れのこの場所に多くの人が足を伸ばすのだから。

人魚姫の話は、悲しい物語だ。
それはしかし悲しいだけではなく、無償の愛の型なのではないかと思えてきた。

笑う人魚姫がいたら、人々は笑顔になれるのだろうか。
ディズニーのアリエールは、笑顔のキラキラした可愛らしい人魚姫だ。
しかし、この街にいる悲しそうな人魚姫の佇まいは、笑顔のアリエールよりも心惹かれるのは何故だろう。

私は、やはり人魚姫の像にガッカリなどしなかった。
ただ、彼女には王子様と幸せになって欲しかったと、幼い頃の思いが溢れ出る。
ハッピーエンドは、いつの時代も分かりやすい幸せの型だから。

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