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お葬式

おいでませ。玻璃です。

私の小学校では、春の小運動会と秋の大運動会があった。
校庭で春の小運動会の練習をしていた時、担任の先生から呼び出された。

「お姉さんが迎えに来られたからすぐに着替えて帰りなさい。
おばあちゃんの病院に行くそうやから急いで。」

私は一瞬で状況を理解した。
トメおばあちゃんが危ない。

迎えには長女のさゆり姉さんが来ていた。

あのうっそうとした木々に囲まれた個室に家族全員が集まる中、私は駆けつけた。その時の状況を実ははっきりと覚えていない。
もう亡くなっていたのか、まだ息が合ったのか。
私は混乱していた。家族みんなが泣いている。
特に母は
「お母ちゃん、お母ちゃん!」といって祖母にすがりつき号泣していた。
初めて見る母の姿だけは鮮明に覚えている。

その後お葬式までの流れがどうだったか記憶にない。
ただ、白装束に着替えた祖母が冷たく柔らかそうに見える皮膚の下が妙に固い。
父方の祖父が亡くなったのが私が幼稚園の時で、ほとんど記憶になかったので、物心ついてから始めて体感する人の死だった。

そしてお葬式の日がやってきた。
小学校の制服に着替えて、皆と一緒に菩提寺へ向かう。
久しぶりに会ういとこたちもいた。
あの頃は椅子ではなく本堂に並べられた座布団に正座して座る。
とにかく足がしびれた。
葬儀の流れもわからず、ただみんなと同じように悲しみに包まれた空間にいた。

いよいよ納棺の儀だ。
参列者みんなで花を棺に入れ、祖母と最後のお別れをする。
たくさんの花が祖母を包む。その祖母の顔は穏やかでたくさんの祖母との思い出が私の中で思い出された。
皆、神妙な面持ちでお別れの言葉を祖母に贈る。

そんな時、住職さんから
「では、近しい親族の方はご自分の髪の毛か爪を棺の中にお納めください。」

と声がかかった。
私たちの地域では、そういう風習があった。
祖母からすると子供や孫までの近親者がそっと自分の髪の毛や爪を納めた。

その時、トメおばあちゃんの長男である博正おじちゃんが

「俺は髪の毛もほぼないしのぉ、爪も昨日切ってきたばっかりやけぇ、
入れる物がないがどうしようかねぇ。」

博正おじちゃんの少ししか髪の毛が残ってないハゲた頭に蛍光灯の光がピカリと反射している。

シーン…。

ぷっ!
アハハ!
ゲラゲラ ゲラゲラ

人はなぜ笑ってはいけない場所で笑いたくなるのか。
悲しみに包まれた緊張感いっぱいの本堂が一変して笑いの渦になった。
トメおばあちゃんの

「ま~た、博正が下らんこと言って!
こんな時くらい真面目にせんといけんよ!」

と、苦笑しながら息子を叱る声が聞こえてきそうだった。

その後、火葬場から告別式と、私は人が死ぬということがどういうことなのか徐々に実感した。

すべてが終わったときに、急に「死」に対する恐怖が襲ってきた。

こうやって父方のフチおばあちゃんも死ぬのかな。
お父さんもお母さんもそのうち死んじゃうのかな。
いや、私もそのうち死んで焼かれるんだ。

そんなことを考えて眠れなくなった日があった。

この「死」と「生命の大切さ」を考える機会を与えてくれたのは、いつも思慮深いトメおばあちゃんの最後の私への贈り物のような気がする。

こうやって私もそのうち孫たちに身をもって教える日が来るのだろうか。

ではまたお会いしましょう。


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