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「他人と過去は変えられない」ってホント?

こんにちは、結木です。
人の悩みの9割が人間関係の悩みというのはご存知ですか?

「なんでわかってくれないの?」
「察してよ」
「あいつのせいで◯◯」
「あの時あいつが◯◯しなければ・・・」
「昔、人とうまく合わせられずにうつ病になって」
「会社でパワハラにあって」
「子供が言うことを聞いてくれない」
「旦那が育児に協力してくれない」
「私は嫌われているに違いない」
「喧嘩売られた」

などなど・・・人間関係の悩みは尽きません。
そういった悩みを何とかしたいと心理学の本を読んでみたり、自己啓発系の集まりに出かけてみたり、カウンセリングを受けてみたりした人もいらっしゃるんじゃないでしょうか。
その中で、ほぼ出てくるのがこの言葉「他人と過去は変えられない、変えられるのは自分と未来だけだ」
聞いたことありませんか?
SNSなんかでもよく見かけますね。

これは、エリック・バーンおじさんの言葉です。
セルフレームのオシャレメガネが似合う鼻の大きなおじさんで、ちなみに精神科医です。
世界一有名な心理学と言われる「交流分析(TA)」を提唱した割と有名なおじさんです(いい加減失礼ww)

人は考え学ぶ能力を持っているので、今この瞬間とこれから先の人生は変えられる、もう起こってしまった過去のことや、何を考えているかわからない他人のことにフォーカスしても、問題の解決にはならない。と言う感じの意味です。
頭ではわかっていても、「自分の問題」になった時、どうしても受け入れ難くなることもあるのではないでしょうか。
いざ「自分の問題」になった時、「他人と過去は変えられない」としながらも、「あの時、あいつが言ったせいで」とか「あの時、〇〇を選んでいたらこんなに苦しまずに済んだのに」とか変えられないものに文句や愚痴を言いながら、変えられる自分と未来のことなんて置き去りで、置き去りになった自分は、ただただその状況に嘆いている。

あの時(過去)を悔やんで、あいつ(他人)を恨んで、こんなはずじゃなかったと言い、現在の自分を嘆く。
何もしないで。
自分は変わろうとしない。
自分と未来は変えられるのに。
誰かがお膳立てしてくれるのを待ってる人もいますね。
お膳立てしてくれたとしても、やらない、ずっと嘆いてる。
変わりたいと言いながら、変わらないと決めている。
そんな人、周りにいませんか?
あなたなら、そんな人に力を貸してあげたいと思いますか?


ちょっと話が逸れましたね。元に戻します。

過去の出来事、他人の行動や言動をただただ何もしないで恨み嘆き、望ましくない感情をぐるぐる回す。
「お前が悪い!あいつが変われ!何で私がこんな気持ちにならなきゃいけないんだ!」
この感情自体は悪いものだとは思いません。無理にポジティブに変換することの方が、個人的には危ないと感じるからです。
なかったことにしてはいけないけれど、その場に止まるのもうまくない。
「このおかげで自分も色々気づけたし、勉強になった、ありがたい」と思う前に、怒りや悲しみや恨みつらみはちゃんと出す(受け止めるのが最優先)と言うのを忘れないでいただけたらと思います。
で、感謝できる時が来たらそうすればいいだけのことです。
無理やりポジティブ変換することで起きる、感情の誤魔化しの代償は結構大きいです。だって、自分の中に湧いている感情を誤魔化しているのですから。小さな誤魔化しも、コツコツ溜まれば・・・ですね。

さてさて・・・

メガネのバーンおじさんの、もうすでに起こってしまったことに囚われるよりも、今とこれから先のことに目を向けた方がいいよと言うのはその通りだと思います。
でも、本当に「他人と過去は変えられない」のでしょうか・・・。

「ねえねえ、バーンおじさん、それほんと?」ってなもんです。

<過去は変えられないことはない>

まじか!!!

起こってしまった過去・良くも悪くも歩んできた歴史・幼い自分ではどうしようもなかったことは事実として変えられません。
でも、その出来事が、自分にとって一歩踏み出せたり、気づき・学びをもたらしてくれた時、思い出しても泣かなくなった時、ネタとして笑い話になった時、事実は変わらなかったとしても、出来事の捉え方や解釈を変えることができます。
笑い話にできるって、最高じゃない?と個人的には思います。
私にも今となっては笑い話、割とあります。

もうそれって「過去は変えられる」としてもいいんじゃないかなと私は思うのです。ムリヤリ?ww

自分にプラスのフィードバックができれば、過去は変えられる

例えば、過去にイジメられたことがある場合、変えられない事実としての出来事や、その時の感情を受け止め認めた上で、その時の自分のような人を少しでも減らしたいと思う人もいるでしょうし、せめて自分は優しい人になろうとする人もいるでしょうし、今同じような経験をして辛い思いをしている人の手助けになる活動をするかもしれません。
その時辛かった自分の感情や、他人への怒りを「うんうん、辛かったね。もういいよ、しっかり悲しみ切っていいよ」って受け止めること自体がもう「過去が変わっていく第一歩」だと私は思うのです。

「過去は変えられない」というのは、過去に起きてしまった出来事は残念ながら、タイムトンネルでもない限りは変えることができないけれども、その出来事においての感情・・・捉え方は変えることができる。
自分自身にプラスの反映をミルクレープの層のようにどんどん重ねていくイメージ。
いっぱい重なったミルクレープ、美味しいじゃないですか!
重ねて、重ねて、美味しい人生ですね。

では、他人はどうでしょう。

<他人は変えられないことはない>

まじか!!!(2回目)

今すぐ変わってほしいといくら他人にアドバイスしたところでその通りになることはほぼありません。
自分には自分の正義(判断基準・感受性)があって、相手には相手の正義があって、みんな自分の人生を自分なりに生きています。
でも、人は環境(ここでは、自分以外の人や物事)によって絶えず変化し続ける生き物。今すぐは変わらなかったとしても。

だから、変えられないものは放っておけばいいという思いも大切なところではあるけれど、ここはひとつ「もしかしたら自分の接し方で、何か変わることがあるかもしれないな」という期待を持ちながら接してみるとか、生きていけたらいいと思いませんか?
こんなことを言うと、自分が変わったら負けとか、他人に期待するから病むって言われたとか言う人が少なからず出てくるのです。

本当に負けですか?勝ち方はそれでいいのですか?
相手を言い負かす、説得する、あるいは喧嘩することも必要なときはあります。
でもその前に一瞬自分に聞いてみてください。
「勝負に勝ちたいのですか?幸せになりたいのですか?」
「あなたの求める勝ちはこれですか?」って。

そして、他人に期待はしてもいいのです。
するでしょ?え?せえへん?
私はしますよ!うへへ!←
で、ここからが大事。
自分の期待する結果にならなかったから病むのです。自分が望む結果に相手が合わせてくれなかったから落ち込むのです。自分のご機嫌や期待に相手を合わせようとするだなんて、どんだけ偉いんですかってなもんです。
相手は相手なりに期待に応えようとしてくれたかもしれない。相手なりの努力をしたかもしれない。
知らんけど(笑)
人に期待しない人生なんてちょっぴり悲しいと思いませんか?

他人は今すぐ直接的に変えることはできなくても、変わるかもしれない

実際、家事や掃除を一切やらない旦那さんといつも言い争いの喧嘩をしていた奥様が、喧嘩になる前にいつもとは言葉や態度を少し変えただけで、すぐではなかったものの、旦那さんは旦那さんなりに家事や掃除をしてくれるようになった人が、私のクライアントさんにはいらっしゃいます。
自分の態度や言葉を変えるの、負けた気がして嫌だと言っていた奥様でしたが、渋々やって下さったそうです。最初はほんと嫌だったみたいです。
でもある日、私にこう言って下さいました。
「先生、最初は嫌だったんですけど・・・、私が態度を変えて相手が変わるもんかって思っていました。でも続けるうちに、自分の気持ちに余裕ができて、嫌な気持ちがなくなって、心が楽になっていったんです。あー私はこの人と喧嘩をしたかったんじゃなかったんだって。そしたら、ある日、旦那がお皿洗いを・・・」
奥様に何をお伝えしたのか、ここでは伏せますが、「家事やってよ!」って直接言ってくださいとお伝えはしていません。(もちろん直接言うことの方が効く場合もありますね)
少し時間はかかったものの、確実に旦那さんは変わったのです。

これ、他人は変えられるとしてもいいと思いませんか?

ここまでお読みいただきありがとうございました。
「他人と過去は変えられないかもしれないけど、変えられるかもしれないし、変わるかもしれない。自分と未来はもちろん!」くらいの感じがいいのかもなーなんて思いながら、今回の記事はここまでです。

長かったですねー。最後までお読みいただきありがとうございました。

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