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ポメラ日記 #003 ポメラは書く行為を研ぎ澄ませるための筆記具である

ポメラ日記 その3

本日“も”晴天なり。
毎日,まさに、秋晴れといった天気で朝を迎えるのは気持ちがいい。
一昨日は息子の看病で一日看護休暇を取った。
息子が昼寝をしているわずかな休息時間にもロスタイムなく執筆に集中させてくれるポメラの存在は、やはり良いものだと改めて思う。

人生経験のごく短い幼児にとって、多分、世界のいろいろなことが新しい。
もっとミクロには、毎年毎月毎週登場する新しいおもちゃやYoutubeの新作動画など,まるで次々に現れるアトラクションのように現れる様々な刺激に、四歳になる息子も釘付けだ。
新しいものに対して興味を持ち、経験したい、知りたいと思うこと,詰まるところの“好奇心”は、人間にとって原始的な欲求なんだな、と育児をしているとよく思う。

確かに好奇心は,子供だけではなく、ときに立派な大人にとっても振り払いがたい衝動である。かく言う私は自他共に認める“新しい物好き”で、新登場!とか、限定発売!とか、新機能!といった分かりやすい謳い文句にめっぽう弱い。原始的な欲求を制御する術を知らぬまま
成人してしまった悲しい大人代表である。(読者の中にも同じ性を持つ人がいることを祈る)
ポメラに興味を持ったきっかけは新しいポメラの登場なのだから、やはり好奇心が購入に至った遠因だ。散財することがたまにキズではあるものの、やはり新しいものと向き合う時間は何にも代えがたいな、とここ数日のポメライフを満喫しつながら切に思う。
ポメラが数多い散財の(負の)遺産たちの仲間入りをしないよう心がけたい。

それはさておき。

数日使ってみて感じたのだが、このポメラは筆記具である、と結論づけた。

かつて、紙とペンがタイプライターに置き換わったとき、タイプライターの存在は筆記具の延長線上に存在したはずだ。PCやスマートフォンが世界を席巻した今となっては、タイプライターやワードプロセッサーという言葉自体が死語になりつつある。PCなどのデジタル端末は加速度的に高機能化した結果、タイプライターの代替品として捉えることはもはや困難であり、機能の一部に吸収されてしまった。
文字を書くのではなく、打つ。字を書くのではなく、タイプする。という行為は私たちの日常にすっかり溶け込んでしまって、呼吸をするように私たちは日常的にタイプしている。

ポメラの魅力は、このもはや何でもない営みに改めて意味を見いだしてくれる点にあるように思う。
私を含めて、ポメラに興味を持つような人種の殆どは、言葉を紡ぎ出し、文章として何かを残すことに何物にも代え難い魅力を感じているはずだ。
私が購入前に思ったように、(そして多くのポメラ購入予備軍の皆様が考えるように)PCさえあれば、文字を入力し、文章を作り、世に発信していくことはできるし、それどころかポメラよりも利便性に優れた点すらあるのは確かだろう。
だが、紙とペンに向かう時と同じモチベーションで、PCに向かい合うひとが、今日日果たしてどれだけいるだろう。PCに向かう私たちのモチベーションは、多機能になったが故に極めて多様であり、一方で散漫なものになってしまったように感じる。
ポメラは、キーボードで文字をタイプする、という行為しかできない代償に,目的と行為、そして結果をひとつなぎにしてくれる。まるで紙とペンで大切な誰かに手紙を書くときのように、言葉と自分だけの時間を用意してくれるのだ

確かにこれは,誰にでも必要な端末とは言い難い。値段も安くはない。それでも、後悔は無い。
何気ない日常を、研ぎ澄ませてくれる端末。
それが、私にとってのポメラだ。


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