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生きづらさに気付かなかったマイストーリーVOL.2

「ううぅ…ひっく…」


今日も私は
古い校舎に増設された多目的トイレで
ひとり泣いている

休み時間を知らせるチャイムがなりはじめると
凛と立つナイチンゲール像に目を背けながら
足早にトイレにかけこむ

これがわたしのルーティンだった

鍵の閉まる音をトリガーに

体中の血液が一気に頭のてっぺんに流れ込む
視界にモヤがかかり
頭がくらくらした

世界はいつも曇り
お尻の奥がひやっとして
いつも寒くて
わたしはひとりぼっち



子どもの頃 
母につなごうとした手を振り払われたとき

小学校のときの仲間はずれ

そのときと同じ感覚だった。

進路決定後~看護学校

「看護師を目指す」という
ブランドバッチを持ちたかったわたしは
幼いころから決めていた歌手の夢をかきかえた

そして
このころから
わたしは食べなくなった

最高の仲間たちに囲まれ
相変わらず毎日楽しかった

けれど
魂が抵抗していたんだろう
そして
それを母にアピールしたかったのではないか
と今となっては思う

55kgあった体重は
33kgになり
制服のスカートがストンと落ちた

ニキビだらけだった肌は粉を吹き
生理も止まった

からだはむしろ
力がみなぎるようになり
勉強の合間に長時間歩いた

心配した母に連れられていった消化器内科で
胃カメラをのんだ
もちろん身体的な病気なんてみつからない

紹介された心療内科で
入院をすすめられた

なんで?
こんなに元気なのに

自分で治します
といって入院は免れた

けれど
自分で治せるわけがない

   余談だが 
   摂食障害を完全に克服するまで
   10年かかった
   社会人になり実家を出たら症状は治まり、
   産後に里帰りしたときに再発した
   要は母にアピールする手段だったのだ
   無意識下だけれども

   小さい子どもがいう
   「お母さん!!みてみてみて~!!」
   ってやつと一緒。

このころから母に怒りをぶつけるようになった

内容は主に食事のこと

「そんなに油いれんといて!」
「なんでそんなに早く皿に盛るん!
冷めるやん!!」
「このお菓子だけは食べられるのに
何で買ってないん!」

異常な食へのこだわり

過食期になると
勉強の合間に階下に降り
山のようなマーガリンをのせた食パン
一袋を一気に食べ
解凍していない冷凍食品をガリガリと食べた

喉に何かを通さずにはいられなかった

飲み込む感覚は心を安らかにしてくれた
けれど
お腹にたまっていく感覚は罪悪感にかわる

右手にシャーペンを持ち
左の腕にスーパーの袋を通し
夜じゅう吐き続ける

次の日の朝
母にとがめられると
切なさ 寂しさ 怒りで
体中がねじまがるような感覚になった

(朝起きてお弁当のおかずもパンも全部なくなっていたら そりゃとがめるだろう 当時の母の苦悩は相当だったとおもう)

一方で
受験勉強は順調だった
当時珍しかった看護学部のある大学
そこに進むための専門塾に
通わせてもらっていたためである

ロッテンマイヤーみたいな黒い服と黒ぶち眼鏡
ドスの効いた声で怒鳴る厳しい先生だった

厳しい授業をこなし
偏差値68 理数系に限れば70を超えていた

大学にすすむ予定だったが
看護学校の指定校推薦の話しがきた

正直 努力し続けるのはしんどかった

ラクになれる
と思った

「看護師」というブランドが欲しいだけで
「看護学部の大学生」というブランドが欲しいわけではない

ほしいブランドが最短ルートで
手に入る3年課程の看護学校。

指定校推薦に乗らない手はなかった

看護学校入学〜看護師へ

看護学校に入学した

拒食期真っ只中
30kg代だったわたしは

昭和のオフィスレディのような
明るいブルーの制服に
身をつつみ
目をキラキラさせ
颯爽と歩いた

これからはじまる
新しい生活が楽しみでならなかったのだ


最高の仲間に囲まれた温かい世界が
広がるに違いない

しかも

同じ夢をもつ仲間と一緒に歩めるなんて!!

みんな〜!!
声出してイコー!!
がんばろーぜぇーい!!!

こんなセリフがぴったりな
体育会系のむさ苦しいノリのわたしの心は震えた


世界は温かく
敵なんていない。人類みな兄弟!

そんなコンセプトを持ち
目をキラキラさせて

誰とでも仲良くしたがる
ガリガリの
自信満々(に見える)な女は

皆から鬱陶しがられた


地方からでてきた子
都会の育ちの子
いろんな価値観が交錯する新たな社会では
初っ端から距離を詰めてくる人間はウケなかった

要は「自分」という商品を売るマーケティングに失敗したのだ

中高のときの暖かい世界観にかまけて
忘れてしまっていた

認知されないうちに自分を出しすぎると
押し売りになり

結果

「売れない」ということを


これは私の猛省すべき点
そして成長につながった


「こはるちゃんがしずかちゃん(仮名)に楽しそうに話しかけるから寂しかった」
       

「痩せてるのを自慢してる」


「テストがいい点なことを自慢してる」
 

「合コンで彼氏がすぐできたことを自慢してる」
 

これらは
後に友人になった人から聞いたいじめの理由


全く身に覚えがない


けれど

そう見えたんだろう

多感なお年頃

コンプレックスをつついてくる存在は
目障りで

そして

脅威になる

自分を守らなければならない


子供の頃のいじめより
徹底してる

空気みたいに

空気以下のように扱われた

授業で発言したらシンとする
グループを組むときには避ける
宿泊学習ではリーダーを押し付ける
(結果、役割があった方が楽だったけれど)

みんなの前で
「ダイエット成功の秘訣は?」

「お弁当ちっちゃーい!かわいー!」

「ぶりっ子で彼氏作ってその後いけてる?」

遠くから大きな声で囃し立てる

学園ドラマでよくみるやつ



そして冒頭の多目的トイレルーティンへ

これが1年続いた


なぜ耐えられたのか

8ヶ月ほどたったある日
母に話したことがきっかけだった

母は泣きながら

辛い思いしてまで通う必要はない 
看護師にならなくてもいいから
もう辞めなさい
と言った

大切な娘が
看護師になる夢を 
いじめによって
諦めなければならないかもしれない。


辛くてたまらないと思う

私なら学校に怒鳴り込んでる


けれど
その言葉を聞いたとき思った

は?
なんで?
辞める?
わたしが?



それではっとした

そうだ。

「看護師」
というブランドバッチを
最短で手に入れるために
看護学校に入学したんだった

思い出した。

教習所だと思えばいい

ブランドバッチを手に入れるためには
感情を無にすることだってできる

   思い返せばこのとき
   神様がちがう道に行け
   といっていたのかもしれない

   けれど
   一度決めたレールをはずれることは
   このときのわたしの辞書にはなかった

次の日から
わたしは変わった

昼休みになると
凛としたナイチンゲール像を横目に
颯爽と通りすぎ
空き教室に忍び込んだ

手にピンクの園児用弁当箱をもって。

そして
廊下から遠い窓際の席に座り

かすかに聞こえる笑い声を聞きながら

星のピックが刺さった
愛情こもった
お弁当を食べた


ブリンカーをつける馬のように
目の前のことだけに集中すると

冷たくモヤがかかった世界に
弱々しい光が流れ込んでくるように感じた

厚い層で自分を囲み、かすかな光を充満させると
お尻の奥がひやっとする感覚もない

これで生きられると思った



そして
わたしは
ひとりぼっちの4ヶ月を楽しんだ

  余談だが
  このころも
  気弱なタイプの男子学生からモテた。
  ちょっとした支配欲をくすぐるのだろうか


進級すると
周りは皆
いじめなんて低レベルなことを
やる暇なんてなくなった

臨床実習がはじまったのだ

5人グループで全病棟を周る

厳しい指導者

学生を虫ケラのように扱う
怖くて冷たい看護師さん

毎日3時間の睡眠

※注 これは20年以上前の話し。今は学生を尊重した教育が徹底されている

みんな助け合わずにはいられない
足を引っ張る子は疎ましがられた
皆 余裕がなくなったのだ

1年間 勉強や実技練習に集中し基礎が固まっていたわたしは、
指導者からも一目おかれるくらいの
レポートをかきあげた
患者様とのコミュニケーションも難なくはかれた

すると必然とグループのメンバーから
頼りにされるようになった

いじめなんてあったけ?

と言わんばかりの空気感で
皆がわたしの周りに集まった

それはもう自然に


この体験で加わったわたしの世界観は

やっぱり世界は敵ばかり
厚い層をまとって
自分を守らなければ生きていけない

幼いころに感じていた世界観をさらに根拠づける体験となった

ただ
ブランドバッチがあれば
敵は簡単にひるがえる

そんな価値観も加わった

余裕のない自分を助けてくれる
ちょっと優秀で穏やかな子


というバッチをもったわたしが
とたんに人気者になったように

そして

世界は敵ばかり
と信じてやまず
襟にたくさんのバッチをつけたハタチのわたしは
晴れて看護師になった


VOL1から引き続きここまで読んでくださった方 
本当に感謝しかありません!
「もっと壮絶な辛い体験をしている人はいっぱいいるから私なんて…」と思う方は多いと思います。私もそうでした。

感情にフタをして

私は幸せ。
と思い込もうとしていたのです。

けれども、積み重なった辛い体験は
自分自身の世界観になり、
潜在意識となり、
そして生きづらさにつながります。

あのとき自分がどういう体験をして
どのように思ったか
それらを俯瞰してみることで、
この体験で今の自分があり
強みになっていると思うことができます。

そして、
そのときに感じた世界観は
もう手放しても大丈夫なんじゃないか…
と思えるようになったりします。

私自身も、
あのとき見ていた世界観は
ちょっと大げさだったな。
とか大したことなかったんじゃ…
とクスッと笑えたり
新たな発見があったり

毎日イライラモヤモヤしてしまう・・・
そんなあなたは、
一度人生の棚卸しを試されてみてください
心がすーっと軽くなりますよ

さて
次回のvol.3は
20年に渡る看護師時代のお話しです
そして
3人の子どもを20代で産み育てます
不機嫌な母に育てられた私自身の子育ては?!
産後うつ~!虐待!?
いろいろありました…

楽しみに待っていてもらえると嬉しいです☺️






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