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短読12 犬だけで道を彷徨うのを見ても曇ったまま心が動かない

はじめに

十二首目は、豊冨瑞歩さんの歌です。ご投稿ありがとうございました。音の欠落から気持ちについて掘り下げていきました。どうぞよろしくお願いします。

犬だけで道を彷徨うのを見ても曇ったまま心が動かない

豊冨瑞歩 短歌集『展開』

まず読んで思ったこと

 この歌を読んだときに、まずだいぶお疲れなのかなーって思いました。〈犬だけで〉、犬だけが一匹だけいて、それが道をふらふら歩いてる。もしかしたら首輪とかをつけてるのかもしれないんですけど、そういう状態の犬が一匹だけでうろうろしてるとやっぱり気にかけるものっていうのが、多かれ少なかれあるのかなとは思うんですよね。この人は普段の自分の精神状態であれば、「どうしたのかな」ってそこに注目していくような動きが多分あると思うんですけど。でもなんかこの下の句で〈曇ったまま心が動かない〉って言ってるので、いつもだったら気にかけている状況にすら反応していない感じっていうのが、ちょっと不具合として一つあるのかなって思いました。
 この歌を読んだときに、〈彷徨うのを見ても〉ってところで、すごい自分の側に引き戻されるような感じっていうのがあるなーって思っています。最初〈犬だけで道を彷徨う〉っていうのって、その犬の方にばーっと視線を向けて注目してる感じがあるんですけど、〈のを見ても〉っていうのが、今度はそれを見てる人の方に視点がいくと思うんですよね。その〈のを見ても〉っていうところで、ちょっと段差を越えていくような、がくんっていう変化みたいなのを感じたのが結構面白いなーって思いました。
 あと〈曇ったまま〉、曇ったままっていうのが六音、(本来は七音になる)四句目が六音になると思うんですけど、ここでこの〈のを見ても〉って来て、段差を越えて〈曇ったまま心が動かない〉っていう感じでスピードが落ちていくような感じ。この六音のちょっと音が足りてないこともまた停滞感が出てきてるのかなーって思いました。
 なんか〈曇ったまま〉って言い方もちょっと不思議な感じがするんだけど、それは何でなんだろうな。なんか今のところはっきりはしないんですけど、少し不思議な感じで〈曇ったまま〉って出てくるなって思いました。

さらに読む

 〈曇ったまま〉が不思議な感じになるのは、歌の中で見せられている場面がここで宙吊りになるからじゃないかと考えました。三句目〈のを見ても〉で、いったん視点の意識が歌の(語り手の)人のほうに向くんだけど、〈曇ったまま〉というのは本来天気の表現です。だから自分の方に意識が向かう過程で、犬が彷徨っていた空間への視点はもっと引き(全体を捉えるような形)になると思います。それによって見えてくる〈曇ったまま〉は、心情でもありながら、犬が彷徨っていた空間が持っている空の様子でもありそうな気がする(最後まで読んでしまえば四句目は心情のことだとしてわかりますが)。そこにこの歌の空白みたいなものができるのかなあと思いました。
 こころがとまっているとき、無理に動かさなければ動かせない感覚があって、そのガタガタな感じというのを思いました。こころが動かないときは無理に動かさないのが一番なんですけど、でもそれってある意味自分にとって異常事態なわけだから、どことなく焦っちゃうよなあって思います。焦って動くときは大体空回りして疲労するんだけど、この歌では焦ることもできない停止感が強めな感じがしました。
 短歌では「字足らず(音が足りてないこと)」は難しいと言われがちですが、心情の、喪失感や欠落感とはマッチしやすいと結構言われるのを思い出したりしました。この歌では〈まま〉が延長して結句(5句目)につなげてくれるような気もしてきます。ところで57577に慣れると字足らずは何かと目立ちやすいんですよねえ、なんでなんでしょうか。

企画趣旨はこちらから

https://note.com/harecono/n/n744d4c605855


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