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成績評価との折り合いの付け方 ~最初の成績発表を終えて~

こんにちは。ボストンは昨日から今シーズン初の大雪が降っており、かなり道にも積もっています。学校に行くのが少し億劫になりますね。

家の前はこんな感じ

さて、今回はケネディスクールで最初の学期だった秋学期の成績が発表されたので、それについて思ったことを書きたいと思います。


ハーバードケネディスクールの成績システム

アメリカの大学院の成績評価は、日本と同じように大学によってシステムが大きく異なります。ここで書くのは私が通うケネディスクールに当てはまる内容ですのでその点ご注意ください。

成績は10段階で評価されます。Aが最も良く、Eが最も悪いです。(A, A-, B+, B, B-, C+, C, C-, D, E)。卒業までの全科目を平均してB以上の成績がないと卒業できません(修士号がもらえない)。

そして、ケネディスクールでは成績評価は基本的に相対評価です。一部当てはまらない科目も存在するようですが、多くの科目(特に必修科目)は下記の割付に沿って評価されます。

HKS Grading Guidelinesより

つまり、Aを取れば概ね全体の上位1割、A-を取れば全体の上位3-4割には入っているということになります。

ちなみに、このように相対評価を実施し、かつその割付を厳格に行っている職業大学院はあまり多くないと思っています。しかし、ケネディスクールがこの形態を続けているのは、もちろん適度な競争を促すためですが、それに加えて教授と生徒の癒着関係を作らないようにするためだと思っています。

以前もこの記事で紹介しましたが、ケネディスクールでは授業や教授に対するフィードバックのシステムが整っており、生徒からの評価に応じて授業が改善されるということが日常的に起こります。一方でこの仕組みは教授からしてみれば「いい成績をつけてあげるから生徒のみんなもいい評価をしてね」という交換条件的な関係性に陥るリスクがあります。そこで相対評価を採用し、Aを10~15%に制限することでその策を封じているのだと思います(これがメインの理由ではないと思いますが)。

ちょっとポリシースクールらしいですよね。

今学期の成績

今学期は7つの科目を履修し、それぞれの成績はこの様になりました。

  • 経済学: A

  • 政策デザイン&デリバリー: A

  • 交渉: A-

  • 人種と人種差別(前半): A

  • 人種と人種差別(後半): A

  • パブリックスピーキング: A

  • ソーシャルインパクトの戦略: A

交渉を除いてAだったので、4.0点満点のGPAで言えば3.97ということになります(A=4.0, A-=3.7として単位数で加重をかけて計算。なおケネディスクールでは公式のGPAは算出されません)。

私は留学経験がこれまでなかったので、正直英語で受講する科目でどれだけ評価されるかというのは不安がありました。もちろんオールAとまでは行きませんでしたが、そもそもそこまで行けるとは思っていなかったですし、自分の割には悪くないのではないかと思っています。

ちなみに話はそれますが私はGPA反対派(!)でして、その理由は下記の二つのポストに書きました。もしご興味があれば。

成績との折り合いの付け方

さて、職業大学院(MBA, MPP, MPHなど)に通う学生にとって、成績評価をどれだけ重視するかというのは正直かなり微妙なところだと思っています。

大学院である以上、もちろん良い成績を取ることは重要ですが、職業大学院は質の高いプロフェッショナルを世の中に輩出し活躍してもらうことが目的なので、授業だけに専念して結果的に就職やキャリアに時間を割けなくなるのも、それはそれで本末転倒にも思います。

そのため、一部の大学院では相対評価を取り入れず、シンプルに絶対評価で成績を付けるところもあります。そうすると、たとえば全生徒の7割がA、というようなこともあり得ます。そのシステムの場合は生徒も適度に勉学に励みながら卒業後にも目を向けて課外活動にも取り組めます。

ただ、ケネディスクールがそのような絶対評価を取り入れず、明確に相対評価を採用しているところに、私は「授業に力を入れることで必然的に卒業後に必要な力が付くはず」という学校側の思想のようなものを感じます。実際に、ケネディスクールのカリキュラムはアカデミックな要素が強いものは多くなく、ほとんどの授業が実世界で応用できるようなスキルやマインドセットを涵養することに重きが置かれています(詳しくは授業振り返り記事をご参照ください)。

もちろん、相対評価にしたところで、成績を気にしない人たち(特にスポンサーを受けており卒業後所属機関に戻る人に多い)は、平均成績B以上だけを死守して卒業するという選択を取ります。しかし、なんだかんだ相対評価の場合はほとんどの生徒が成績を気にしているように思いますし、私もその一人です。

私は入学当初は成績を気にするのはやめようと思っていましたが、授業を受け始め、思ったよりも応用や実践に重きが置かれていることを知り、無理をしない程度に授業に力を入れていくことにしました。そしてその選択は間違っていなかったと思っています。

一方で、成績が目的になり始めると危険だとも思っています。課題が少なめのいわゆる「楽単」を指向するようになったり、(あまり多くはありませんが)意義が感じられない課題に必死に時間を割いたり、ということになりかねません。あくまで自分が意義を感じる範囲で授業や課題に取り組み、それを後押しする仕組みとして成績評価を上手く利用するというのが、成績との賢い折り合いの付け方かなと思っています。

もちろん、人によって成績との向き合い方は違うと思いますので、これが正解だとは思っていません。授業にどうしても意義を感じられない時は成績をまったく気にしないというのもありだと思います。いずれにせよ「成績とどう向き合うか」という論点に対してはしっかりと答えを持っておくべきだと思います。そうでないと、中途半端に成績を気にしつつ、悪かったときは勉学以外を言い訳にする、というようなよくない関係になってしまう可能性があるからです。

私の場合は、今回ある程度良い成績を取ることができたことで、「自分の頑張り方が合っていた」という自信を得ることができました。次の学期からは自分が意義を感じる授業や課題には真剣に取り組み、その評価は必ず真摯に受け止めることを基本戦略としつつ、たまに発生する意義を感じない課題についてはいい意味で割り切って最低限の労力で済ませるという逃げ道を持っておきたいと思います。(ただし意義を感じる/感じないの判断には気をつけなくてはいけませんが。)

ちなみに、私は大学時代(学部)の成績はあまり良くなかったのですが、一度戦略コンサルの場で働いたことで、アメリカに来てからタスクを効率よくこなしていくことができるようになった気がしています。私がつけている勉強記録によれば、この学期の平均勉強時間は授業時間を入れても一日5時間程度でした(個人的な調べ物や英語学習、読書などは除く)。もちろん5時間は短くはありませんが、寝る時間が無くなるとか、余裕がなくなるといったようなレベルではありません。実際に効率よく授業や課題を消化することで、それ以外のことにも時間を割けたという実感があります(特に料理!!)。これは個人的には大きな進歩だったので、また改めてブログに書きたいと思います。

長くなりましたが、成績評価との向き合い方は、「全てに全力で取り組む」「完全に手を抜く」の二択ではなく、自分が授業に感じる意義に応じて、成績評価の仕組みをうまく活用していくことがポイントだと思いました。

ではまた。

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