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日記:YMOと(2023/1/14)
14日夜中、日記を書いてる途中でTwitterを開いた。トレンドに「YMO高橋幸宏」の文字。まさかと思ったけど、亡くなられていた。
もうすぐだろうとは思っていたけれど、辛い。もうYMOの3人が揃うことは無いのか・・・。
日記はだいたい書けていたけど、この事を書かないといけない気がして新しくページを作り直した。でも何を書けばいいか分からない。
YouTubeでライブ映像とか見ながら考えていたら、そのまま寝てしまった。なので15日の朝、寝起きでこれを書いている。(いつにも増して駄文になりそう)
俺が高橋幸宏さんを知ったのはYMOからではなく、METAFIVEからだった。高校2年ぐらい(5~6年前)だったか、ラジオ「スクール・オブ・ロック」で流れた「Don't Move」を聴いて衝撃を受け、すぐに検索したのを覚えている。当時はNUMBER GIRLやZAZENBOYS等のギターロックバンドばかり聴いていたので、小山田圭吾氏のカッティングギターが気になり、まずコーネリアスを聴いた。それから、向井秀徳とLEO今井のKimonosや、TOWATEI、あとはちょっと違うかもしれないけどbaffalo daughterなんかを聴いて、YMOにハマったのは1番最後だった。
音楽系の雑誌やバンドのインタビュー記事でYMOの名前だけはよく知っていた。坂本龍一の「戦場のメリークリスマス」なんてあまりに有名だし、レジェンドアーティストなんだろなという認識。古い音楽。高校生バンドマンが好んで聴く音楽じゃない。そう思っていた。METAFIVE等を経て初めてちゃんとYMOを聴いた時も、なんだか間抜けなリズムだなとしか思えなかった。それでも聴き続けた。良さが分からないのが恥ずかしいとか、そういう不純な気持ちもあったと思う。でも、なにか自分の中で納得のいかない(説明の付けられない)不思議な魅力を感じていた。聴き続ける内に次第にその電子音のかっこよさが分かるようになっていた。同時期にP-MODEL等分かりやすいバンドを聴いてたおかげもあるかな。テクノやテクノポップというジャンルにゆっくりじっくりハマっていった。
俺の音楽の視野を1番広げてくれたのは、間違いなくYMOだ。YMOを知ってから沢山の音に出会った。時代、ジャンルを問わず新しい音楽を聴くことに抵抗が無くなった。バンドマンなのにバンドや邦楽にあまり魅力を感じられなくなった時も、ギタリストなのにギターの音があまり好きじゃなくなった時も、音楽が好きで聴き続けられたのは、幅広く音を楽しむきっかけを与えてくれたYMOのおかげだ。
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今日聴いた曲紹介
亡くなられた高橋幸宏さんと言うと、もちろんそのドラムサウンドも大好きだが、個人的にはボーカル曲のイメージが強い。
中でもナイスエイジや、Chaos Panicは大好きな曲だ。訃報を知った時もこの辺の曲が頭に流れた。
あーでもこれからどうしても聴き方変わってきちゃうかなー。坂本龍一も癌だし残った2人ももうすぐかもしれない。悲しい・・・。これから朝食。
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