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あなたの力が必要です~蒲田シネマトーク開催に寄せて

「蒲田シネマトーク」というオンラインイベントを現在開催させていただいています。

「蒲田=映画の街」は過去のもの

東京都大田区蒲田は「蒲田行進曲」という曲で「キネマの天地~」と歌われていることがよく知られているように、今から100年前のこの地には松竹蒲田撮影所が誕生し、戦前は日本映画をリードする場所として名をはせていました。

しかしトーキー(有声映画)が主流となって、町工場が周辺に多かった蒲田はだんだん映画撮影に向かなくなり、1936年に松竹撮影所は大船に移転してしまいます。結局わずか16年の期間ではあるのですが、これがのちのちまで「蒲田=映画」のイメージを作ることになります。

戦後は多くの歓楽街と同様、20軒を超える映画館で賑わい、その後は『砂の器』や『シン・ゴジラ』などの名作映画で印象的な撮影地としても名を残します。しかし当地にあった映画館は2019年についになくなってしまい、「映画の街」と言っても単に歴史の話・・・となりかけているのが、ただいまの状況です。

なにが私を突き動かすのか?

地域振興活動を手がけている中で「街の財産はなくしたら簡単に帰ってこない、あるものをいかに残すかをまず考えるべき」とよく言っています。古びた街の佇まいも、老舗の商店なども、利便性という意味では使いにくいときもあり、マンションやチェーン店に置き換わってしまうのは世の常ですが、そこに人情があり、人が癒やされる風景があります。

そこをなされるがままにしてしまうと街の個性が漂白されてしまい、住むには味気ない街となってしまいます。こうした現象は地方都市が近代化とモータリゼーションのなかでシャッター街を生み出した状況を思いだしていただくとご理解いただけると思うのですが、地方だけでなく都市圏でも「個性のない街」問題は人口減の問題と絡み合う形で各地で現れているというのは、東京の中のローカルと言うべき大田区で活動しているとよく見えるところです。

企画のコンセプトがかなめ

とは言うものの、さてこの「映画の街としての財産」と言っても、キモとなるのはわずか16年です。「100年の歴史を次の100年に」と思うものの、果たしてそこで渡すべきバトンは何なのか、という話があります。

さきほど書いたように松竹蒲田撮影所の映画というのは基本的に無声映画です。これを見て育った人というのは年齢的にもうほぼいらっしゃいません。映画全体のことを考えても、「無声映画」をクローズアップして構成するのは無理があります。同様に松竹蒲田が作り出した「蒲田調」と言われる作風も、ここをクローズアップして(いち特集上映ならまだしも)次世代に渡すバトンとするには違和感を感じます。

そこでもっと広い視点から蒲田で映画を取り上げる意味を考え、再構築する必要があると思いました。具体的には、

① はじめての本格的トーキーの制作という映画史の大転換期を支えた気質や、「流行は蒲田から」のキャッチフレーズに見られる先進性を企画に織り込む
② 「城南地区の下町」として人情味あふれ、一方「お笑い芸人のイジリにも使われる」強い個性を持つ街のキャラクターを意識する
③ 100年という世代の重なりを意識して、いろいろな世代の多様な映像表現(映画にこだわらない)を紹介する

といったことを踏まえてイベントの形にしていこう、と考えました。

本来、リアルイベントとして今年6月に実施したかったのですが、コロナウイルスの影響で叶わず、オンラインの形で再スタートしました。シーズン1として9月下旬から10月にかけて全5回の企画を用意しています。

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公開中の3つのイベントは先に挙げた①や②のポイントを形にしたものですが、今後公開する第4回や第5回のイベントはいま流行りのtwitchによる実況つき映像配信など、③を意識した企画を実施する予定です。

ぜひお力を貸してください

現状ではひとり企画ひとり発信の形になっていますが、一度形をつくれば多くの方の人の輪が出来ていくものと考えています。「100年の歴史を次の100年に渡す」という意味では、100年目の今年だけでなく101年目の来年などにも継続してシーズン2、シーズン3と企画を実施することになると思いますので、そのときにより多くの方に参加していただけたら、と思っている次第です。

蒲田カルチャートークのデザインやお手伝いスタッフの謝礼など運営費用に使わせていただきます。大田区の街をこれからも盛り上げていきます!