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トロンボーン練習日記 3

「出来ない」時間を気長にのんびりと過ごす…これは私の得意技だ。

 トロンボーンで吹いた楽曲のテーマやアドリブが美しく響き、アンサンブルの中で影響力のあるメロディーとなっていくためには相当な音楽力と楽器力が必要だ。その能力を手に入れるためには近道の練習法やすぐに役立つ方法論などは殆どないというのが私の経験的意見である。
 それは、一見スポーツに似ているといえるかもしれないが、私は全く違うと思っている。体や心のどこか、もしくは全体を「鍛え」、競争力を養い、他人や自分に「勝つ」ために努力する感じとは別のものだと思う。*これは決してスポーツの価値を低く見ているということではない。
「美しい」を自身の頭の中で膨らませ放出し広げていく、そんな感じ。
歯を食いしばって「鍛える」ものでは決してないのだ。
 努力の過程で「出来ない」ことと向き合うわけだが、淡々と研究し掘り下げていくのが楽しいのである。
 なので私は「出来ない」時間を過ごすことを楽しみ、いろいろ考え試すことを喜んでいるのだ。競争ではないし、期限もない。

 音楽制作をコンテクストの面で考えた場合、当然「前進する」ための地道な作業や丁寧な作り込みがある上での話だが、時に飛び出す大胆突飛なアイデアや方向転換、一瞬のひらめきによって新たな境地を見出すことがあったりするのかもしれない。
 だが制作の核であるコンテンツにおいては、音楽を論理的に考え発展させる部分と、作者自身の感覚が「感じるうた」を捉え成長させ具体化させていく部分があり、後者が非常に難しく、これには試行錯誤や実験、たくさんの失敗経験や成功体験、膨大な音楽遺産からの学びなどが様々積み重なり、そしてやっと道が拓かれていくのだと思う。気の遠くなる様な大変時間のかかることであり、やはりショートカットの出来ないものだと思う。

 「トロンボーンで自由を手に入れ、更に自分の音楽を生み出す」
遥か彼方の目標に思えるかもしれないが、コツコツと楽しむことを忘れずに探究していきたい。

最近の気付き:最初から最後まで「考える」の連続であり、「感じる」こととの擦り合わせをしながら(自分にとっての)「美しい」作品制作に向かうこの世界では、自分のコントロールが全く効かない感覚との対話が重要なのだと思う。

^_^どこかから「トロンボーンやってる暇があったらトランペットをもっと勉強しろよ!」という声が聞こえてきそうだが、、、それには一言「うるさい!」。

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