相手を想うプロセスを経て

 2022年1月29日、半年間受講していたプログラムが終了した。認定NPO法人PIECESの運営するCitizenship for Children(以下CforC)という、子どもも自分も大切にしながら市民性を探求するプログラムだ。7月から9月はみつめるコース、継続する人は10月から1月ははたらきかけるコースとうけとるコースに分かれてプログラムが展開されていた。私はうけとるコースに進み、月に一度子どもとのやり取りのリフレクションを行った。今回はうけとるコースを終えての自分の感想を書いていこうと思う。

 そもそもなぜ参加したのかというと、私がお世話になっているなにかし堂の代表に誘って頂いたからだ。6月くらいのことで、当時はほとんど子どもと関わっていなかったし、CforCのキーワードである「市民性」という言葉もピンと来なかったけれど、誘ってもらえたからとりあえず参加してみようという軽い気持ちでいた。申し込みフォームから既にプログラムが始まっているのかという様な問いが並んでいて、早速苦戦した。1時間以上かけて書き、締め切り間近に滑り込みで提出し、受講できることに決まった。
 そして7月18日からスタートした。みつめるコースは6つのクラスに分かれ、各10人くらいで構成されていた。月1のゼミやクラスの皆で集まっての自主ゼミを通して、PIECESの大切にしている「心でこたえる」について考えたり、最前線で子どもと関わっている方に話を聞いたりした。そこで何より私はこの場の居心地の良さを感じていた。皆とんでもなく優しいのだ。全然まとまっていなくても上手く話そうとしなくてもいい。否定したり決めつけたりしない。そういった前提の共有がなされているからこそ、思ったこと感じたことを素直に吐き出せる。聞いてくれる人は真剣に耳を傾け、うんうん聞いてくれる。ポジティブにもネガティブにも捉えずに、そのものとして大切に扱ってくれる、そんな「優しい間」があった。

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(うけとる・はたらきかけるコースでのオンライン合宿(10/10)で
PIECESから届いたチョコとコーヒーと紅茶たち。)

 3カ月が経ち、私はうけとるコースに進むことを決めた。といっても8月のゼミで行ったリフレクションを経験して自分と向き合うのが怖くなり、正直続けないことを選ぶと思っていた。しかし理事の斎さんからメッセージをいただき、とても嬉しかったと同時に勇気をもらえて、頑張ってみたいと気持ちが変わった。(8月のゼミでのエピソードはこちらのnoteにあるのでよければぜひ。)冒頭にも述べたが、うけとるコースは月一で集まりリフレクションを行う。メンバーは少なめで4人だった。プロセスレコードという、子どもとのやり取りからその時の感情、書く中で気づいたことを記録するものを準備した状態で当日を迎える。1人50分ほどかけて、子どもの言動の背景や願いの仮説を立てたり、関わり方の背景にある自分の価値観や願いに気づいていったりする時間を過ごした。8月のゼミで行ったものよりも、より深く深く感情を覗きに行く感覚があった。
 私の最初のリフレクションは10月18日に行われた。取り上げたのはAちゃんから相談を受けた時のエピソード。Bちゃんとの関係に悩んでいて、「どうしたらいいかなぁ・・・?」と打ち明けてくれたことがあった。ここには詳しくは書かないけれど、無理して関わらなくて良いと思うけどなぁ、普段は仲良さそうにTikTokしている一面もあるし、本当はどうしたいんだろうなぁ。そんなことを考えながらAちゃんに問いかけたり話したりした。その時に何か解決したわけではないし、今どうなのかは分からないけれど、できることがあれば伴走できたらなという気持ちがあるし、だからこそこのエピソードを取り上げた。ただ、プロレコを書いている時に、私はあの場面でAちゃんの立場にしか立っていなかったことに気がついた。「Bちゃんの言動にはどんな背景があるのか、Aちゃんと一緒に考えられたらまた違う展開になったのかもしれないなぁと思う。」そんなことをプロレコに記入した。
 リフレクションの時間は、書いたことを音読する形でエピソードについて話していく。その後クラス担任であるスタッフの方を中心に、様々な視点から問いかけてくださった。初回のリフレクションでは、見えていなかった自分の価値観に気づくことより、子どもの背景や願いの仮説を立てることを中心に問いづくりがなされていた。できごとに沿いながら進んでいき、そして「Bちゃんの言動の背景にはどんな仮説が立てられたりする?」と問われた。3つくらい、こうかもしれないああかもしれない、と話した。リアクションを取りながら聞いてくださると、続けて「あと1、2個くらい出せる?」と仰った。う~~~ん、なんだろう、、、まだある!?なんて思いながら、何とか絞り出そうとまた考え始めた。そうしたら、あ、これもあるのかもなぁと出てきた。話は進みまた新たな問いを投げかけてもらったり感想をシェアしたりして、私のうけとるコースでの初リフレクションは終わった。

 リフレクションが終わった後は、今どんな気持ちなのかを一人になって考える時間が設けられていた。私は、Bちゃんにも抱えているものや願い、環境の中で醸成された価値観、べき像、そういったものがきっとあると仮説を立てる中で想像できたからこそ、もしかすると本人も何かしんどさを持っているのかもしれないと感じられた。そう感じるとBちゃんそのものをまるっと受け止めたくなるような、そんな気持ちになった。Zoomが閉じた後も考えたくなって、どんな背景があるのかを今度はスケッチブックを取り出して書き出して想像していた。
 こんな風に誰かの背景を想像することは、今までほとんど無かったように思う。それよりも自分がどう見られるかばかり気にしていたし。しかしリフレクションという場を通して考えるようになると、相手を好きになっていくのを感じていった。全て仮説ではあるものの、何だかより深くその子に触れられた気がした。それ以降のうけとるコースでも、もちろん子どもの背景や願いを想像する機会はあって、言語化する度に私って彼・彼女らのことをこんな風に思っていたんだと気づき、大切な存在となっているんだなぁと知っていった。それが少しずつ、自分を優しくさせてくれるように感じられた。
 うけとるコースのリフレクションが1月10日に全て終了し、29日にクラス担任のスタッフの方と1on1を30分程度行った(私の都合に合わせて遅い時期に調整してくださり、本当にありがとうございました!)。率直にどうだったかを聞かれ、誰かを想うプロセスを通して好きになっていくのを感じたことや、前よりも優しくなれたように思ったことなどを話した。すると「市民性ってそんなに難しいことじゃなくて、そういう誰かを思いやるところでもあるんだと私も思うよ。」と返してくださった。自分の中で「市民性」という言葉は最後までピンとこなかったけれど、この言葉で、私は私としてこれからも関わっていけると思うことができた。相手を想い大切にできる、そんな風に在りたい。

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