コミュニティは、決まりで縛ってはいけない。完結編
株式会社NASUにて、コミュニティ事業を担当している浜田綾です。
私にとってのコミュニティ運営の原点となる育児サークルでの出来事をnoteにまとめています。今回で完結編になります。
1本目
2本目
3本目
いくら近所に住む仲間とはいえ、考えが合わない時だってある。近所に住む仲間だからこそ、揉めるくらいなら最初から規則をきっちり作っておけばいいじゃないか。そう思えば思うほど会則はどんどん増え続けました。
仕方ない。これは、仲良くなるための工夫なのだ。そう言い聞かせながら。
ある女性との出会い
そんなある日、息子たちと一緒に近所を散歩していたとき、ベビーカーを押す女性とすれ違いました。ベビーカーには1歳になるかならないかくらいの赤ちゃんが乗っています。ふと思いたち、私は押している女性に声をかけてみました。ちなみに、この女性ママだとしたら少々年上、おばあちゃんだとしたらめっちゃお若い。だから判断がつかなくて、どちらであっても失礼じゃないように差し障りのない会話からはじめました。
私「(ベビーカーの赤ちゃん)、可愛らしいですね。何ヶ月ですか?」
女性「ありがとうございます。もうすぐ1歳なんですよ。」
型通りのやりとりをした後、もし近所に住んでいるなら「たんぽぽ」の存在を教えてあげようと思い私はこう続けました。
私「この町内に住んでいますか? であれば、自治会館で毎週水曜日に育児サークルがあるので、よかったらぜひ遊びに来てみてください。見学だけでも大丈夫です。」
すると…
女性「私はこの子のおばあちゃんで、この子は孫なのよ。娘に伝えときますね。育児サークルってもしかして、たんぽぽ?」と逆に聞かれました。
私はこの段階では名前は出してないのになぜ知ってるのだろう? と不思議そうな顔をしながら「そうです、ご存知ですか?」と答えると、女性の表情が一気に柔らかくなりました。
女性「ご存知も何も……!たんぽぽは私が近所のお友達と平成元年に立ち上げたのよ!今も続いているってすごい嬉しい。あなたは今たんぽぽに通っているの?」
私「はい、もう6年お世話になってます。私にとってもうちの息子たちにとっても大事な場所です。大したことはできてないんですが、今年は会長もやっています。」と答えると。
女性「そうなのね。たんぽぽを大事にしてくれてありがとう。これからもよろしくね。」と笑顔で声をかけてくれ、彼女はその場を立ち去りました。
この瞬間の気持ちをうまくいい表せる言葉が私の中には、まだありません。
でもとにかくこの話を思い出すたびに胸が熱くなって言葉に詰まるんです。(書いている今もうるっとしている)
全ての靄が晴れる
この当時私が抱えていた、メンバー間での意思疎通が取れていなかったことへのモヤモヤ。それに対する私の対応。先ほどの彼女とのやりとりが、そういう靄をすーーーっと取り払ってくれました。
これがゴールだなと。
私も数十年後、彼女のようになりたい。
私も数十年後散歩しているときに「今からたんぽぽに行くんですよ」って親子連れに出会いたい。そうして「私の息子たちも喜んで通っていたんですよ。今もまだあるんですね。嬉しい。」って言いたい。それが全て。そういう情景が浮かび、私もこうありたいと強く思いました。そう考えた時にはっきりとわかったのは、私がこれからやろうとしている会則作りは間違っているってこと。
明文化されたものが少なくて、多少不便であってもこのサークルは20年どころか30年弱続いてきた。それが全ての答えじゃないか? つまり、明文化しなかったからこそ続いているんじゃないか? はっきりした会則がないことは、不便だ。意思の疎通が取れないこともある。その度に話をしなきゃいけないし、それで嫌な思いをしたりすることもある。でもだからそれを避けてはいけないんじゃないか。
今までは、「わかってくれない向こうが悪い、わかってもらうにはわからせる会則を作るしかない。」という考え方しか浮かばなかったのだけど、するするーーーっと絡まっていた何かが解けるかのように思考がほぐれてきました。
考えがほぐれてゆく
なんで私はここまで会則作りに執着していたのか。それは、意見が食い違ってもめたくないから。じゃあなぜもめたくないのかといえば、この先もお付き合いが続くからギクシャクしたくないことと、あとはこの場所が、たんぽぽがなくなったらいやだから。ただでさえ、年々自治会の中で立場が弱くなってるのに、なにかやらかしたら、もう自治会館を使わせてもらえなくなり、サークルがなくなってしまうのではないか、そう考えたから。
じゃあ、広報チラシを勝手に作って配布しようとした彼女たちはどうなのか? 彼女たちもサークルの人数が増えないと、このサークルがなくなってしまうと感じた。だからこその行動だったんですよね。
つまり、私も彼女も根っこは同じ考えなんです。
行動の仕方が違っただけ。
それに、他のママ友に聞けば、この一件が起きる数週間前からチラシを作ったママ友たちは、「人数が増えないからチラシを作ろうと思う」ってサークル内で話をしていたらしい。私がただその場にいなかっただけで、彼女たちは彼女なりにアクションしていたのに。忙しいことを理由にサークルに行ってなかっただけで、その回の情報をフォローアップするなり、異変を感じ取る手立てをしなかったのは私。そんな時のための会長なのに、役目を果たせていなかった。
考えれば考えるほど、愚かな自分が恥ずかしくなりました。私が正しい、勝手にチラシを配る彼女たちは間違ってる。だからこそ規則で明言しておくんだという私の行動は、鎖でしばりつける行為に思えてきてどれだけ自己中なのか。
会則作り、やーーめた!
もう一度向き合おう
私はその次のサークルの会のなかで、みんなに話をしました。チラシの一件のママ友たちとももう一度話をしました。
・人数が減っても自治会の組織だからサークルが消滅する心配はない
・お当番の負担がしんどいと感じるママが増えるなら、その都度話あって、みんながしんどくない運営にしよう
・もし何かあったらすぐ教えて欲しい、小さなことでもたくさん話をしましょう
概ねこんな感じです。会則を作ることは、そもそもまだみんなの前でははっきりとは言ってなかったから、一緒に作ってくれたママ友にだけ謝って、破棄させてもらいました。ルールでなんか縛り付けるのではない。どんなに小さな集まりでも私にとって本当に大事で守りたい場所なら、何度でも向き合う。何度でも話し合う。その覚悟が生まれた瞬間でした。
そのルールは本当に必要か? を問う
これが私のコミュニティ運営の原体験。
ルールは最小限でいいんです。ルールを増やす時って伝えるのが手間だから。もちろん全くのノールールにしてしまうと秩序が保てなくなるけど、縛りすぎるのも考えもの。
できればルールで統制するのではなく、その都度コミュニケーションをとる、コミュニケーションがとりやすい場を作ること。そうしてどこまで明文化して、どこまではしないのか?を決めるのがコミュニティ運営の肝なんじゃないか。
今でも私は結構このポイントにうるさいのですが、その理由はこの体験にあります。偉そうな言い方になってしまいますが、みなさんもぜひコミュニティで何かルールを作ろうとしたときは、それは本当に必要なのか? 管理の手間で作るのか? 秩序を保つために本当に必要なのか? 一度は自問自答してみてください。
それがきっとよいコミュニティ作りにつながる。
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