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5歳の時から、コミュニティマネージャーだった。

やりたいことなんてない。
なりたいものなんてない。

ずーっとそう思っていました。自分のやりたいことってこれかな? に気づけたのは、35歳をすぎてからです。遅っ。でもね、過去の自分を振り返ってみると驚愕の事実が浮かび上がりました。私、5歳の時からやってることがコミュニティマネージャーでした。それから、私はずっと居場所を求め居場所をよくしたいと行動し続けてきたこともわかりました。

自分が何者で、なにをやりたいのか? その鍵は、間違いなく過去にあります。


5歳の頃からお節介

私の1番古い記憶は、幼稚園年中さん、つまり5歳くらいのころです。5歳児の私は、1つ年下の年少さんの女の子のお世話をしていました。お世話といっても年が1つしか変わらない幼稚園の女の子がすることなので、ただのお節介だったかもしれません。しかも同級生の女の子とお世話の取り合いをしていたので、年少さんの女の子からすれば、ありがた迷惑だったかもしれない。

それから、自分の家に遊びに来てもらうのが大好きだったようです。必ずしも自分がその輪の中心にいないといけないというわけではなく、遊びに来たお友達が楽しめるよう、おもちゃの遊び方を勝手におすすめしていたらしい。

できているかどうかはさておき、私は5歳の時から自分の居場所やコミュニティーの中にいる人のことを助けたいとか、手伝いたいとかそういう欲求に溢れていたようです。


ファーストプレイスへの執着

では、このままお節介世話焼き資質がずっと続いたのか? というと、そうでもない。13歳の時の時の出来事で、居場所に対する価値観がガラッと変わってしまったからです。

何が起きたかというと、父の仕事の都合で夜逃げをして引っ越ししました。つまり、ある日突然、学校に行けなくなり、逃げるようにして引っ越しし、これまでの居場所がなくなりました。大きな衝撃でした。

思うに、私がお節介資質を幼稚園・学校で発揮できていたのは、意識が外に向いていたからなんですよね。それができるのは、私の基盤となる家族、つまりファーストプレイスが満たされていたからこそ。でもこの出来事をきっかけに自分の大事な居場所であり、信じて良い場所は自分の家族だと考えるようになりました。


人の役に立ちたい

少し時間が経過し、高校生になってからは、家族以外のコミュニティに意識が向くようになってきました。そしてそのコミュニティの中でできることを朧げながら探していた気がします。

高校生の時に憧れていた職業は、通訳と学校の先生でした。通訳は英語が得意だったからなんとなくできそう、というふんわりした理由でした。でも今思えば、英語が得意だからというより、自分と異なる言語で話をしている人と仲良くなるための支えがしたかったのではないかな。

私は、今ライターとしても仕事をしていますが、ライターって日本語の翻訳者なんです。何かを伝えたいって思っている人の代わりになり、より届く言葉や表現を選ぶ仕事なので。つまりそれって通訳ですよね。だからやっぱり、私のやりたいことの本質は、人と人が繋がるサポートだったのでしょう。


ファーストプレイスへの執着その2

大学生になる前に、もう一つ大きな人生の転機が訪れます。父が亡くなったことです。中学生の頃に引き続き、いや、家族が一人欠けたからこそ、昔以上にファーストプレイスに固執するようになりました。大学生なら、将来について考える時期なのにその頃の私と言えば、何かの職業につきたいとか、何かになりたいという社会的な目標は1つもありませんでした。

仕事はがんばりたいけど、同時に、いやそれ以上に早く結婚したい。だから結婚しても続けられる仕事をとしか考えていませんでした。つまり今思えば、自分のファーストプレイスを求めていたんだと思います。


お節介資質が覚醒する

結婚して、子供を産んで自分のファーストプレイスが安定しました。それなりに楽しくやりがいを感じる仕事セカンドプレイスも安定しました。そうなったとき私のお節介、もといホスピタリティが覚醒します。

まずは自分の住んでいる地域に関してです。私が初めてコミュニティ運営を経験したのは、地元にある子育てサークルでした。このコミュニティーは、同じ町内に住む未就園児とそのお母さんが通います。私はこのコミュニティに6年間お世話になりました。最後の1年は自分が会長になり、その間ちょっとしたトラブルもあったけど、このコミュニティを良くするためにはどうすればいいか全力で向き合いました。


私は自分の人生を生きていない

2人目の下の子供が生まれ、2歳とか3歳位になってくると、多少育児が楽になりました。上の子に関しては、その頃幼稚園の年長さんだったので、もっと手がかからなくなりました。にもかかわらず当時の私は、家族のことがなによりも1番だったので、子供たちに過干渉になりすぎていました。

ある日、今から思えば取るに足らない些細な出来事で、長男とぶつかったことがあって、でもそのことをきっかけに自分の弱点に気がつきます。私は子供を通して自己実現をしてしようとしていて、自分の人生を生きていない。


私は私に戻る

そこから、自分だからできる仕事をしたいと思うようになります。いろいろ行動し続けた結果、ブログを書き、そこからウェブライターになりました。ライターの仕事を増やしたり、ライターとしての自分を認知してもらうためにオンラインサロンに入ったのですが、気付いたらコミュニティを運営する側になっていました。

きっかけは誘われたからなんですが、最初は意味が全くわかりませんでした。だって私はライターとして認知されたいだけだし、あわよくば仕事につなげたい。そんな思いでコミュニティにいたからです。でも、今となっては誘われた理由がわかります。私は誰にも頼まれていないのに、気づけば自分にできる範囲でコミュニティがよくなる行動を勝手にしていた。コミュニティが良くなるためであれば、勝手に議論していた。それってもう、苦なくできることですもんね。お節介な私が戻ってきたんだと思います。

ライターか?コミュニティマネージャーか? どちらかを選ぶなら…の葛藤を経て結局今は好きなこと両方やろうと思い、今の自分に至ります。


私は何者で、何をやりたいのか?
完全ではないけれど、今の私は昔よりもうんとわかっています。
私はただ、自分の大事な居場所を異常なまでによくしたい。
大切な居場所を守りたい。それだけなんです。


自分歴史をただ振り返るとりとめのないnoteになってしまいましたが、何が言いたいかというと、何者かになりたい人ほど過去を振り返った方がいい。何者かになろうとしても、自分の根にないものにはなれない。持ってない資質になるのではなく、昔から気づけばやっていること、勝手に体が動いていたことを異常にやり続ける。その時、何者かになっているんじゃないか。そんな気がしています。


そうそう。自分の過去を振り返るのにすごく役立ったのが、前田高志さん著書『勝てるデザイン』(私も編集協力で本作りに関わりました)にも出てくる自分年表です。

こんなふうに自分の年表を作ることができます。


年表データは、こちらの記事からダウンロードできます。おすすめです!




告知!

7月16日にコミュニティの話をするオンラインイベント「すごいコミュニティ3」を開催します。オンラインコミュニティのコルクラボの運営をしているすないぱ〜こと川島さんと私浜田でお話しします。


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