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獣化する人々 SNSという名のドラッグ

最近どうにもSNSを通じた色々な事が問題になりつつあるので、ここでずっと思っていたSNSのヤバさを書いておこうと思う。

一応断っておくとこのNOTEもSNSであり、宣伝する媒体も全てSNSであるため、SNSとは切っても切れない社会であるというのは重々承知している。

ところがこのSNSは脳にとってはかつてないほどの刺激であるため、ほぼドラッグ化しているのが現状である。獣化と書いたが、これはネットで炎上させている側の人々だけではなく、毎日のようにSNSを触れている人でも獣化していると個人的には感じている。

僕らは快楽から逃れられない

大前提として、僕らは脳が感じる快楽から逃れられないという事を理解するべきだと思う。

例えば、今回のSNSによる承認欲求などもその一つだが、もっと原始的な快楽でいうならば、性欲などもそれにあたる。異性とのセックスは快楽物質が脳内に駆け巡るため、抗いがたく魅力的な欲求の一つと言える。

また、眠たい時に瞬時に睡眠欲を振り切って仕事モード100%切り替えれるかというと、到底無理に決まっている。寝ろという脳からの指令とは別に、睡眠自体が気持ちが良いと理解してるせいで、ダブルパンチで睡眠への欲求が脳に来てしまう。

私たちは基本的に脳内に巡る快楽物質の虜と言える。

恋愛しているときはバカになるというのもそうだが、恋愛経験ある人はわかるように、誰かに惚れている時、もしくは恋人同士になってすぐの時は脳内で快楽物質が出まくってるように思う。自分もそういう最中はなんでか分からないレベルで、その人と会うたびにドキドキして正常な判断などできてなかったんだろうなと…冷静になって思い返してみると酷いものだ。

つまりこれらの快楽物質に浸かってる状態というのは、脳は正常モードではないわけで…SNSも同じだなと感じる瞬間がある。自分を含め、承認欲求が満たされたり、あるいはSNSで脳が刺激されている人々は、まるで上記のような欲求に溺れている最中と似たような振る舞いをしてるように思う。

防波堤と精神力

「睡眠欲や性欲、恋愛と同じならSNSも別に大丈夫じゃん?我々が日常的に行ってることだし…」と思う人がいるかもしれないが、SNSの場合そう簡単にはいかない。

自己顕示欲や承認欲求を刺激するような仕掛けがそこらじゅうにしてあり、バズりたい!いいねをもらいたい!という欲求と、実際に貰えた時の快楽物質の出かたは常軌を逸してると言っても過言じゃない。

「別に快楽物質がいっぱい出るのは問題ないんじゃ?」と思うかもしれないが、そのトリガーをぶっ壊して快楽物質に溺れるのが所謂クスリ、麻薬と呼ばれるものだ。

そしてこの麻薬がなぜ中毒になるかというと、我々の脳がその時の快楽を忘れられないからだ。

一度快楽の最大値を味わってしまうと最後、そこが目指すべきポイントとなり、その最大の快楽を飢えるようにして求め始めてしまう。

つまりこれが快楽の防波堤なわけで。この防波堤を一度壊されると、それがナチュラルの状態へと移行してしまう。

麻薬を推奨するわけじゃないのでそこはしっかり覚えておいてほしいが、覚せい剤の快楽を知ってる人生と知らない人生は全然別というぐらいの快楽らしい(セックスの100倍以上の快楽があるとかなんとか)故に一度この快楽を味わってしまうと最後、薬物で得られる快楽以外、刺激が弱すぎて何も感じなくなってしまうレベルだそうで。

そしてこの薬物レベルではないものの、SNSの快楽は明らかに恋愛かそれ以上くらいの快楽を簡単かつ身近に体感できてしまうように感じる

そういう意味でSNSで防波堤が壊された人はいるでしょう。SNSがある人生と無い人生が別物みたいな虚無感を覚えているのであれば…すでに中毒症状と言える。

「SNSくらいなら精神力があれば何とでもなる」というような理屈を言う人が居たとして、本当に精神力で何とかなるのか?という疑問が残る。

冒頭で説明した眠気が迫ってる最中瞬時に仕事100%に切り替えれる精神力を持ってる人って存在するのか?あるいは恋愛してドキドキしてる最中に「いやいや冷静になれよ自分」といってクールダウンできる人は存在するのか?

そもそも精神力なんてものはまやかしで、多分精神力でなんとかなると思ってる人は、いざ自分が同じ状況になったら簡単に精神力を発揮せず屈してしまうと思う。人間はそんなに強くない。精神力などというもので解決できるのであれば、不倫も犯罪もこの世界から無くなっているハズだ。

結局のところ薬物にしてもSNSにしても、我々のニュートラル状態を破壊してしまうレベルでの快楽状態を、いとも簡単に味わえてしまうツールであると理解するべきだなと。

そうなると薬物などと同じで、SNSとの正しい付き合い方は「距離を置く」になると思う。

「私はそんなに依存してないから大丈夫」といいつつ、毎日のようにSNSを眺めたり、ツイートしていいねや誰かからのリアクションを待っているならば、それは既に防波堤が壊れていると見るべき。

そうやって壊れた防波堤の先で、承認欲求に振り回されてヨダレを垂らして快楽を追いかけまわしたり、SNSで炎上させたり他人を傷つけたりと、まさに獣化してると言えよう。また、そうでなくともSNSでフォロワーに構ってもらいたがったり、SNS上でしかコミュニケーションできず、そのことを正当化した上で礼節や思慮に欠けるような人たちもまた同様に獣化していると言える。痛みや苦しみの逃避先としてのSNSを、本能の求めるまま過剰に摂取し続けてる獣である。

僕たちは人間だ。SNSでハイになって必要以上に傷つけるべきではないし、現実の痛みから逃れるためにSNS中毒になるべきでもない。

身を持ち崩さないこと

これは別にSNSに限った話ではない。薬物もそうだしゲームもそうだし、強烈な快楽を味わえるもの全般に言えるはなしだ。

岡田斗司夫さんが言っていた言葉が刺さったので紹介するが、結局ありとあらゆるコンテンツに溢れた社会なので、身を持ち崩さない事が大切だという事を動画で説明していた。自分もそうだと感じる。

お金などもそうで、お金で何か承認欲求みたいなのを満たそうとする人は、高級ブランド品を身にまとい、高級な車を買い…と際限なくお金を使って、ふくらみ続けるが満たされない欲求というドロ沼にハマってるわけだ。

結局のところ「足るを知る」ということに尽きると思う。

この世界は凄まじいコンテンツとその快楽に溢れている。故に実は生きにくい社会なのかもしれない。いつでも溺れる事のできる莫大な快楽の海がどこまでも広がっているが故に。

その上で身を持ち崩さない生き方を選択する事は、とても難しいことだとは思う。でも私たちは自分で自分のハンドルを握らなければならない。となると快楽コンテンツに主導権を奪われてはいけない。

私たちの喜怒哀楽が、すべでSNSからスタートしているような状況は、己の精神状態がSNSにハックされてしまっている。SNSのいいねやリプライで喜び、SNSのニュースでキレ散らかす様はSNSに脳の侵食されているのも同然である。

スナック菓子やエナドリを浴びるように摂取しているのは健康的とは言えたもんじゃない。快楽コンテンツはそういう栄養過多でデブるものだと理解した上で、上手に付き合うのがコツなんじゃないかな。

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