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「自由」とはどこからやってくるのか?

「あ~、自由になりたいなぁ~」

「自由がないんです!もっと自由でいたい!」

「なんでもっと自由にやらせてもらえないんですか!」

こんな言葉を日常でよく耳にする。人はみな、生まれてすぐ「オギャー!」と泣いたころは、自由に生きている。おなかがすいたら泣き、眠れなかったら泣き、母親の存在を感じればほほえみ、眠くなったら寝る…

そう、みんな自由に産まれているのだ。それなのに、なぜ?いつから?

大自然の中で…at屋久島

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年末年始、私は屋久島で過ごした。ゲストハウスで迎えた新年。年明けすぐにみんなで近所の神社へ初詣へ。そしてその後、1人自転車をかりて深夜の温泉へ…。そこは、「海中温泉」という名の海にある温泉。干潮の前後2時間しか入れないその温泉が年明けすぐの1月1日1時に入れた。これは行くしかないと向かったその温泉。当然、更衣室もなければ、男女も一緒。すでに2人の先客がいて、初湯を楽しんでいた。その日は雪もちらつく極寒。近くの岩陰に服を脱ぎ捨て、すぐさま温泉へ飛び込んだ!しばらくして空を見上げれば、煌々と光る月、そしてその横で月に負けんまいと輝く星たち。そして、すぐそばで聴こえる波音…最高のひとときだった。

そう、まさしく「自由」な時間だった。身も心も…。新年すぐの自分、新しい場所で、自然の中で、まさしく新たな気持ちで…。そしてそれは「オギャー!」と生まれてきたときの気分であるようにも感じた。(わからないが…笑)

社会契約論から考える「自由」

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そんな年末年始。時を同じくして読んだ本の1つ「苫野一徳特別授業『ルソー社会契約論』~「よい社会」にたどり着くために~」https://www.amazon.co.jp/dp/B08P5JY77B/ref=dp-kindle-redirect?_encoding=UTF8&btkr=1 の中にも「自由」についての記述があった。

人間は自由なものとして生まれた、しかもいたるところで鎖につながれている。自分が他人の主人であると思っているようなものも、実はその人々以上にドレイなのだ。どうしてこの変化が生じたのか?わたしは知らない。何がそれを正当なものとしうるか?わたしはこの問題は解きうると信じる』

『社会契約論』の中の有名な一説である。

苫野さんはこれを「わたしたち人間は、どうすればみんな自由に生きられるのか?そのための社会を、わたしたちはどのような考えにもとづいてつくっていくことができるだろうか?」と説明してくれている。

哲学書には必ず答えが明記されているとのこと。そして、この『社会契約論』においても上の問いへの答えが記載されているとのこと。そして、その答えは「社会契約」と「一般意志」だと書いてある。

はい。よくわからない!笑

でも、苫野さんはこの本でわかりやす~く書いてくれている。ぜひ詳細は本を読んでもらいたい。「社会契約」とは、「みんながみんなの中でより自由になるための契約」であり、「一般意志」とは「みんなの意志を持ち寄って見出された、みんなの利益になる合意」と書いてある。つまりは、みんなが自由に生きるためには、そのみんなのために、みんなで意見を出し合ってみんなで決めることが大切だ!ということなように感じる。

大人になると、社会に出ると、自由になることはややこしい。でも人間は自由に産まれ、その自由を願う存在であるとルソーは洞察している。それが人間の絶対的本質であると…

こどもたちの「自由」はどこへ?


なんだか難しい話になってきたが、最後に考えたいのは、「オギャー」と自由を持って生まれてきた人間は、いつからその自由を手放していくのか…?それは、まさしく「一般意志」が少ない家庭であり、幼稚園・保育園であり、学校であり、社会の存在がそうさせているようにも感じる。そう無意識に手放してしまうのだ。だからこそ、「みんなの意志を持ち寄って見出された、みんなの利益になる合意」をどの場所(学校、園など)でも大切にしていくべきだ。そして、それが実現されるキーワードは、やはり『対話』だと感じている。

つまり『対話』の少ない社会では、人間は自由になれないのだ。

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われわれはいまこそ「対話」をはじめるべきだ。それは、みんなが自由になるための1歩なのだ。つまり幸せへの近道なのだ。

今日、福岡県に緊急事態宣言が出された。われわれはいま「新しい生活様式」という名のもとに、自由を手放さざるを得ない状況になった。しかし、それは本当だろうか?本当に自由を手放さないといけないのだろうか?いや、そんなことはない。新型コロナウイルスはわれわれにおしえてくれている。われわれが生きることの本質を。幸せになるために、自由に生きるために、いますぐにやらなければならないことを…

この記事を読んでくれた方もきっと自由を求めているに違いない。こどもたちはもっとそうである。しかも無意識に。だからこそ、みんなで対話をしよう。みんなのために、みんなで意見を出し合ってみんなで決めていこう。VUCA時代(予測不能な状態)だからこそ、対話しよう。

屋久島の大自然の中で、海中温泉で、あの年明け、自然の中にいると、当たり前にそんな感情が湧いてくる。自分の「ありのまま」を、自由を見出すために、何をしていきたいのか?

誰もが求める自由な社会を創る。たくさんのこどもたちがみんなで共に歩んでいけるために、まずは自分の1歩をしっかりみんなと共に創っていきたい。そう誓った年始の屋久島でのひとときだった…

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