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東京を歩く#6 本郷通りをかねやす越えて飛鳥山まで

本郷通りは千代田区の神田橋から北区の飛鳥山公園までを繋ぐ道で、江戸時代に栄えた日光御成街道と概ね同じルート(途中まで中山道と共通)。旧街道沿いということで見どころが多く、寄り道しながら歩き通してみることにした。

「本郷も かねやすまでは 江戸の内」という川柳がある。江戸時代に口中医師(歯磨医)であるかねやすの店が本郷にあり、そのあたりまでは江戸らしい街並み、そこから先は農村的な家が並ぶことを詠んだもののようだ。今回はその本郷を通る本郷通りを起点から終点まで歩いてみたい。

ちなみに冒頭の川柳の「本郷『も』」のところだが、これは、芝にも兼康かねやすという店があり、南に向かって進む場合には芝の兼康あたりまでが江戸、という「芝も本郷もかねやすまで」の意味だという解釈があるらしい。

芝のあたりまで東京タワーを見に行った前回の記事はこちら↓

2024年9月も後半。今年は残暑が厳しく、9月半ばまでは35度あたりの真夏の気温が連続していたが、今日の天気は曇で、暑さもいくらか和らいでいる。

今回は大手町駅からスタート。ここから本郷通りの起点である神田橋に向かうつもりだが、付近でまず見ておきたいところがある。
大手町といえば箱根駅伝のスタートとゴールになる場所で、スポンサーである読売新聞の本社ビル近くには箱根駅伝関連のモニュメントがいくつかある。目を引くのは、ガッツポーズでゴールテープを切る姿の絆の像や、歴代優勝校銘板

歴代優勝校銘板

これらのほかに箱根駅伝のスタートラインゴールラインを示す金色のプレートも地中に埋まっている。モニュメントやゴールラインは大体同じ場所にある一方で、スタートラインだけはビルの反対側にあるので注意。見つけるのに時間が掛かってしまった。

ようやく見つけた箱根駅伝スタートライン

スタートライン探しに時間を費やしているうちに天気が怪しくなってきて、細かな雨がパラパラしてきた。雨予報ではなかったので傘は持ってきていないものの、傘なしでもなんとかなる程度だったので、続けて近くにあるもう1つのスポットに向かう。
それは平安時代の豪族である平将門のお墓、将門塚。平将門は、関東地方の独立を狙って平将門の乱を起こしたものの朝敵(天皇や朝廷の敵)として討伐された人物としても知られる。将門塚はその祟りも広く知られており、周辺開発のためにお墓を取り壊そうとした工事関係者に不幸が起きたとも言われている。そのためか、都心の超一等地にありながら広いスペースが与えられ、とてもきれいに管理されている。現在の将門塚は2021年にリニューアルされたもので、大手町エリア再開発とあわせて行われたもの。

将門塚

大手町を北に歩くと神田橋に着く。ここから本郷通り終点の飛鳥山までは8kmほど。

神田橋。本郷通りの起点

本郷通りを歩き始めてすぐ、それまでパラパラとしていた雨が本格的に降り出してきた。傘がないのでやむなく雨宿りする。通り雨ではあるようだが、今日はこのあと別の予定もあり使える時間が限られていることからタイムロスはつらい。30分ほど雨宿りを続けた時点で、今日中に全工程が終わらないことを覚悟。まさかの複数日程コース。

ようやく雨も上がり歩くのを再開。御茶ノ水のあたりまで来ると、ニコライ堂がある。中に入ることができるのは平日の午後だけらしいので、敷地の外から眺めるだけにとどめる。

ニコライ堂

湯島聖堂前という交差点から少し寄り道をして、東京十社の1つ神田明神に参拝する。神田明神は3体の神様、だいこく様、えびす様、まさかど様を祀っている。まさかど様とはもちろん平将門のことで厄除けや勝負事の神様とされている。平将門の乱では朝敵とされた人物がここでは神様として祀られているわけで、こんなに両極端の評価をあわせ持つ人物は滅多にいないだろう。

神田明神

本郷通りに戻る。ここからしばらくは国道17号を歩く。このあたりは江戸時代の旧街道沿いで、日本橋から京都までを結ぶ中山道と、同じく日本橋から日光までを結ぶ日光御成街道の共通部分になっている。 江戸から日光までのメインルートは日光街道だが脇街道もいくつかあり、その1つが日光御成街道。「御成」の文字がついているように、徳川家が日光に行く際によく使われた道のようだ。

本郷三丁目の交差点まで来ると、冒頭の川柳を壁に掲げたかねやすビルがある。

かねやすビル。1階のテナントは和菓子屋

少し進むと東京大学本郷キャンパスが広がり、有名な赤門もある。言問通りを挟んで反対側も本郷地区のキャンパスの区画ではあるが、地名が文京区弥生であることから弥生キャンパスとも呼ばれている。
文京区弥生は弥生式土器が発見された土地であり、弥生時代という名称の由来になっている。言問通り沿いには弥生式土器発掘ゆかりの地碑もある。

弥生式土器発掘ゆかりの地碑

東大弥生キャンパスにある農学部の前あたりで、中山道と日光御成街道は分かれ、国道17号を行けば中山道、都道455号を行けば日光御成街道となる。
街道が分かれるこの付近には、2本の道を挟んだ両側に東京十社である根津神社白山神社がある。寄り道してそれぞれに参拝することとした。

根津神社の千本鳥居
白山神社の狛犬は目が怖い

本郷通りである都道455号を進み本駒込駅を過ぎたあたりに南谷寺なんこくじがある。南谷寺は五色不動ごしきふどうの1つである目赤不動として知られる。五色不動の中では目黒不動が特に知られているが、この目赤不動のほか、目白不動、目青不動、目黄不動についても対応するお寺が存在する(目黄不動は2つある)。

南谷寺(目赤不動)

それぞれの色の由来は、不動尊の目の色であったり、地名であったりまちまちなようだが、目赤不動については伊賀国 (三重県)の赤目山に由来するという説明書きがあった。

雨宿りによるタイムロスや寄り道をたくさんしたことから制限時間が迫ってきた。東洋文庫ミュージアムに寄って今日は終わりとする。
東洋文庫ミュージアムは東洋文庫が所蔵する貴重な蔵書を並べたミュージアム。マルコポーロの『東方見聞録』、杉田玄白の『解体新書』やそのもとになった『ターヘル・アナトミア』が陳列されている。また、コレクションの一部を一室の壁面全部で納めたモリソン書庫はそれ自体がアート。入場料は900円。

モリソン書庫

2日目。1日目の中断地点に近い巣鴨駅からスタート。せっかくなので、近くにあるとげぬき地蔵真性寺しんしょうじに参拝してから本郷通りに戻ることにした。
真性寺には江戸六地蔵の1つがある。江戸六地蔵はいずれも主要な街道において江戸の出入口に当たる場所に設置されており、真性寺も中山道にある。かなり大きいお地蔵さんで驚いたが、江戸六地蔵はいずれもこのくらいのお大きさなのだそうだ。

真性寺

本郷通りの次の目的地は、東京を歩く#2で訪れた小石川後楽園と同じ特別名勝の六義園りくぎえん。庭園の中は紀ノ川や和歌の浦といった和歌山県にちなんだ地名が多く付けられていて、藤代峠という小高い丘からは庭全体を一望できる。ツツジが植えられているそうなのでシーズンに来てみたい。入園料は300円。

藤代峠からの眺めた六義園

本郷通りはその先、東京を歩く#4で訪れた旧白河庭園上中里駅のあたりを通って、西ヶ原駅を過ぎる。上中里駅も秘境駅だが、西ヶ原駅も東京メトロで最も乗降客数が少ない駅とされており負けていない。何か見どころは無いかと思っていたら、西ヶ原一里塚なるものが目に入ってきた。江戸時代、街道沿いに日本橋から一里毎(約4km毎)に置かれた一里塚だが、西ヶ原は本郷の次の一里にあるということのようだ。

西ヶ原一里塚

本郷通りの上下線は、この一里塚のためにわざわざ間隔をとって敷かれているように見える。近くにある説明文を読むと、この辺りに別荘を持っていた渋沢栄一が塚の保存に尽力した経緯があるようだ。

一里塚を過ぎゴールである飛鳥山公園が見えてきた。飛鳥山公園は江戸時代に上野公園と並ぶ桜の名所として整備された公園で、日本で最初の公園の1つとしても知られる。
この辺りは渋沢栄一にゆかりがあるため渋沢史料館といった施設もある。今年は新札が発行されたので公園全体が渋沢栄一に乗っかっている雰囲気だ。

渋沢史料館の渋沢栄一像。なんかシュール

公園内には飛鳥山の山頂があり、立派な公共基準点が設置されている。標高は25.4メートルで自然の山としては23区最高峰の愛宕山より30センチだけ低い。

飛鳥山山頂

近くの王子駅と飛鳥山山頂付近を結ぶミニサイズのモノレールがあり、愛称をアスカルゴと言う。名前の通りカタツムリのように丸っとしたフォルムはかわいらしく、わざわざこれに乗ることを目的として飛鳥山公園を訪れるファミリーもいるとのこと。

アスカルゴ

王子駅まで来たので、最後に東京十社の1つである王子神社まで足を伸ばして今回の東京歩きを終わりにする。

王子神社

今回は本郷通りを歩き通してみた。途中の悪天候により2日に分けて歩くことになったのは予定外だったが、見どころが多くたくさんの場所に立ち寄ったので、時間を掛けて巡ることができてむしろ良かったかもしれない。

飛鳥山公園近くには都電荒川線が走る

旅のスタンプ
[訪問:東京十社]神田明神、白山神社、根津神社、王子神社
[訪問:江戸六地蔵]真性寺
[訪問:五色不動]目赤不動 南谷寺


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