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「人間失格」を読んでみた


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▪️本著の要点

  1. 東北の裕福な家庭に生まれた大庭葉蔵は、幼少期より「人の営み」というものがまったくわからず、人と会話もできなかった。そこで、「道化」を演じて生きていくことを考える。だが体育の時間に竹一に道化を見破られ、激しく動揺する。

  2. 上京した葉蔵は、堀木から酒とタバコと女を教わる。葉蔵は銀座のカフェの女・ツネ子と入水自殺を図るも、女だけが死んでしまう。

  3. タバコ屋の娘・ヨシ子と結婚した葉蔵は人並みの幸せを得ようとしていたが、ある事件をきっかけにアルコールに溺れ、薬物中毒になる。葉蔵は人里離れた病院に入れられ、ついには「人間失格」となる。

▪️要約

道化:人の営みがわからない

恥の多い生涯を送ってきた。

自分には人の営み、人間の生活というものがさっぱりわからない。自分と世のすべての人たちがもつ幸福の観念は、甚だ食いちがっているような不安に襲われる。自分は東北の裕福な家庭の生まれで、小さい頃から「仕合わせ者だ」と言われてきたが、まわりの人たちのほうがずっと安楽なように見える。

自分には、他人の苦しみの性質や程度がまるで見当つかない。みんな歩きながら何を考えているのだろう? 夜はどんな夢を見て、朝は爽快なのだろうか? 人間はめしを食うために生きていると聞いたような気がするが、金のためということもあるのか……? 考えれば考えるほどわからなくなり、不安と恐怖に苛まれる。

自分は他人とほとんど会話ができない。何をどう言っていいかわからないからだ。

「道化」として生きることを決める

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そこで、道化になることを考えた。自分の懊悩は胸の奥に隠して、表面的には絶えず笑顔をつくり、ひたすら無邪気な楽天家を装って「道化」を演じるのだ。何でもいいから笑わせておけば、いわゆる「生活」の外にいても気にされないのではないだろうか。自分は空気のような存在だ。自分は道化になって、家族や下働きのものたちに必死にサービスをした。

自分は勉強が「できた」ようで、成績は操行以外すべて十点だった。受験勉強はろくにしなかったが、中学には無事入学することができた。
中学でも例の道化を演じ、日に日にクラスの人気を得ていった。以前よりも演技はのびのびとして、教師も「大庭さえいなければ、いいクラスなんだがな」と口では言いながらも笑っていた。
もはや自分の正体を完全に隠蔽できたのではないか、とほっとしていた矢先、背後から突き刺される事件が起きた。

その男・竹一は、貧弱な体つきで体操の時間はいつも見学をしていた。その日は鉄棒だった。自分はわざと厳粛な顔をして「えいっ」と鉄棒めがけて飛び、砂地にドスンと尻餅をついた。クラスのものたちは大笑いして、自分も苦笑いしながらズボンの砂を払っていると、見学していた竹一は自分の背中をつつきこう言った。「ワザ、ワザ」。

自分は震撼した。ワザと失敗したことを見破られたのだ。世界が一瞬にして地獄の業火に包まれて、発狂しそうな自分を必死でこらえた。

上京

画学生、堀木に出会う

自分はやがて上京し、高等学校に入った。本当は美術学校に入りたかったが、将来は自分を官吏にしたい父の意向に従った。
東京では上野桜木町にある父の別荘に住んだ。父はほとんど留守にしていたため、父の目を盗んで画塾に通った。その画塾で、堀木正雄という画学生と知り合った。堀木は東京の下町生まれで、自分より六歳年上。家にアトリエがないため、この画塾で洋画の勉強を続けているのだという。

堀木は自分を飲みに連れ出し、遊びの相手として付き合わせた。自分は彼から酒、タバコ、女を教わり、それらは「人間恐怖」から逃れるよい手段であることを知った。

カフェの女、ツネ子と海に飛び込む

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父が桜木町の別荘を売り払うことになり、自分は古い下宿に引っ越した。これまでは父に小遣いをもらっていたが急にひとり住まいになり、たちまち金に困るようになった。にもかかわらず堀木と酒を飲み歩き、高校にもほとんど出席しなくなった。
その頃、銀座のカフェでツネ子という女給に出会った。ツネ子は自分より二つ年上で、昨年の春、夫と一緒に広島から上京した。夫は東京でまともな仕事につかず詐欺罪で捕まり、刑務所にいるという。ツネ子は「毎日夫に差し入れしているけど、明日からはやめます」と言った。

自分は女の身の上話に少しも興味をもてなかった。ツネ子とは一晩限りの関係を結んだが、朝になると「はやくわかれたい」という思いが湧き上がりあせった。
それからしばらくカフェには行かず、遠くにいながら絶えずツネ子におびえていた。しかし十一月の末、堀木に誘われカフェに連れて行かれた。自分たちは無一文だった。隣に座ったツネ子に小声で「お酒を。金はない」と言い、あびるほど酒を飲んで酔い潰れた。
気がつけば枕もとにツネ子が座っていた。「もう来てくれないと思った。うちが稼いであげても、だめ?」「だめ」。
明け方、女の口から「死」という言葉が出た。女は疲れ切っているようだった。自分も世の中のわずらわしさを考えると生きていけると思えず、その提案に気軽に同意した。その日の夜、ふたりで鎌倉の海に飛び込んだ。
女は、死んだ。そして、自分だけが助かった。

▪️必読ポイントー堕落

シヅ子とその娘との同棲

鎌倉の事件のため、自分は高等学校から追放された。行く宛がなく、仕方なく浅草の堀木の家をたずねると、そこに女の訪問者があった。女は雑誌社の人のようで、堀木に頼んでいたカットを受け取りに来たようだった。
その女、シヅ子は甲州出身の二十八歳で、五つになる娘と高円寺のアパートに住んでいた。夫と死別して三年になるという。女は自分にこう言った。
「あなた、ずいぶん苦労して育ってきたみたいね。よく気がきくわ。かわいそうに」
自分はシヅ子のアパートに転がり込んだ。シヅ子が雑誌社に勤めに出たあとは、娘と二人、おとなしく留守番をした。女児は「気のきく」おじさんという遊び相手があらわれたことを、とても喜んだ。
シヅ子は雑誌社に頼み込み、漫画を描く仕事を紹介してくれた。「あなたを見ていると、たいていの女の人は何かしてあげたくてたまらなくなる。いつもおどおどしていて、滑稽家なんだもの」。自分は漫画で得たお金で酒やタバコを買えるようになったが、心はどんどん沈んでいった。

飲酒の量は次第に増えていった。自分はシヅ子の衣類をこっそり質屋に持ち込み、お金をつくっては外で酒を飲むようになった。三日三晩飲み続けたあと、アパートの前まで来ると、中からシヅ子と娘の会話が聞こえてきた。シヅ子のしんから幸せそうな笑い声が聞こえ、自分はそっとドアを閉めた。幸せなのだ、この人たちは。自分という馬鹿者が、このふたりの幸せを壊してはいけない。
自分はそれきりアパートには帰らなかった。京橋のスタンドバーのマダムに「わかれてきた」と告げ、その夜から泊まり込んだ。

タバコ屋の娘、ヨシ子と結婚する

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バーの向かいの小さなタバコ屋に、十七、十八くらいの娘がいた。ヨシちゃんという色の白い八重歯のその子は、自分がタバコを買いにいくたびに「お酒をやめて」と笑って忠告するのだった。

年が明けた厳寒の頃、酔ってタバコを買いに出たら店の前のマンホールに落ちてしまった。
「ヨシちゃん、助けてくれえ」と叫ぶと、ヨシちゃんは自分を引き上げて傷の手当てをしてくれた。ヨシちゃんは笑わずに「飲みすぎよ」と言った。
自分は「明日からは一滴も飲まない。酒をやめたら、僕のお嫁さんになってくれるかい?」と冗談で言ったら、ヨシちゃんは「モチよ」と答えた。
次の日は昼から酒を飲んでしまったが、ヨシちゃんは「昨日約束したもの、飲むはずがないわ。飲んだなんて、ウソ」と微笑んだ。
ヨシちゃんの汚れのない美しさは尊い。こうして自分たちは結婚した。

罪と罰

ヨシ子を内縁の妻にして、築地の木造アパートにふたりで暮らし始めた。酒はやめ、漫画の仕事に精を出し、夕食後はふたりで映画を見に出かけて、帰りには喫茶店に寄った。自分は、心から自分のことを信頼してくれているこの小さな花嫁と一緒にいるのが楽しく、ひょっとしたら、自分もようやく人間らしいものになれるのではないかと期待した。

そんな矢先、堀木があらわれた。飲みに誘う堀木を断れず、それからたびたび飲みに出かけるようになった。そして忘れもしない、蒸し暑い夏の夜。堀木と自分は、アパートの屋上で隅田川を眺めながら小さな宴を開いていた。

酔っ払った堀木は「腹が減った。何か食うものはないか」と下に降りて行ったが、すぐさま血相を変えて引き返してきた。「なんだ?」と自分もついて行くと、部屋への階段の途中で堀木は「見ろ!」と小声で指差した。部屋の中には、二匹の動物がいた。

目の前がぐらつき「これもまた人間の姿だ、驚くことはない」と胸の中で呟きながら、ヨシ子を助けることも忘れて階段に立ちつくした。自分を襲ったのは怒りでも嫌悪でも悲しみでもなく、すさまじい恐怖だった。この瞬間、すべてに自信を失い、この世に対する一切の喜びから永遠に遠ざかってしまった。それは、自分の生涯において決定的な瞬間だった。

人間失格

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自分はもはやわけがわからなくなり、ただアルコールに溺れていった。朝から焼酎を飲み、歯はぼろぼろに欠け、表情は極度に卑しくなった。
ある大雪が降った夜、銀座の裏道を歩いていたときに突然吐いた。これが最初の喀血であった。このことを薬屋の奥さんに相談すると、「お酒はおよしなさい。どうしても飲みたくなったら、これを」と小箱を持ってきた。モルヒネの注射液だった。

自分は何の躊躇もなくモルヒネを腕に刺した。すると不安がきれいに忘れられ、陽気な気分になった。はじめは一日一本だったが、二本になり四本になり、その頃には、もうそれがなければ仕事ができないようになっていた。薬代はおそろしいほど膨れあがった。

「もう川に飛び込もう」と覚悟を決めたその日の午後、父の知人と堀木があらわれた。「お前、喀血したんだってな」。堀木はかつてないほど優しく微笑んだ。
「とにかく入院しなければ、あとはまかせなさい」と父の知人は言うと、自動車に乗せられた。ずいぶん長いこと揺られ、森の中の大きな病院に到着した。自分はある病棟に案内されて、ガチャンと鍵をおろされた。そこは脳病院だった。

自分はもう罪人どころではなく、狂人だった。もしここから出ても、自分は狂人、いや、廃人という刻印を押されることだろう。
人間、失格。もはや自分は、完全に、人間ではなくなったのだ。

▪️すゝめ

本作のあとがきでは、物語から十年後、ある男と京橋のバーのマダムのやりとりが描かれている。マダムは葉蔵のことを「とても素直で、よく気がきいて、神様みたいないい子だった」と回想する。
この言葉は何を意味するのだろうか?
葉蔵は「人間失格」だったかもしれないが、それは「世間」の見方であり、本当はそうではない……という太宰の強い主張を感じる。

本作は、一筋縄ではいかない「人間」というものを見事に描いた傑作だ。
戦後すぐに発表された作品だが、いま読んでもまったく古さを感じない。古典の魅力は、そんな普遍性にあるのだと再認識させられる。まだ読んだことがないという方は、ぜひ一読いただきたい。


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